2017.8.6(日)晴れ
最勝河原から佐比大路、西院の河原、佐比里、道祖神など話が飛躍したのだが、最後にわたしの生家の村にあるサイノカミについて語っておきたい。それは三和町川合(現福知山市)の上地というところであり、その地には山の神とサイの神が祀ってある。年に一度子供たちによってお祀りがなされるのだが、その様子については「丹波の話」(磯貝勇著)に詳しい。
中学生の年長者が中心となって祭りの準備からお詣りまでこなすのだが、わたしがやった後ぐらいでその行事は廃ってしまったようだ。新しく生まれた子供の家で催すのだが、子供が生まれなくなって廃れたのだろう。そのサイの神は実はササの神と呼んでいた。皆がそう呼んでいたし、祭りの際の唱え言も「ササの神のサンデンボウ、シシオーテクダサレヨ、サルオーテクダサレヨ、モウイッペンモワーイ」というものであった。「丹波の話」ではサイノカミと称され、サルオーテのところがシカオーテとなっている。サルシカはわたしの記憶違いかもしれないが、ササノカミは確かな記憶である。
サイノカミの祠、右手の林道が深山に続いている。
磯貝氏は上地の小原志津さん、小原四郎さんに取材しておられる。小原株の本家となる家で綾部高校などの先生をしておられた方で、ササノカミがサイノカミであることを知っておられたに違いない。それとは知らぬわたしは長い間なぜササノカミ(笹の神)なんだろうと不思議に思っていた。
地名の研究をするようになって、ササノカミはサイノカミ(賽の神)であることがわかった。その祠のある付近に我が家の田んぼがあり、サイノキと呼んでいた。小字にもサイノキ、上サイノキがあり、賽(の神)の側という意味だろう。そして「丹波の話」を読むに至ってササノカミはサイノカミであることを確信した。
さてこの神様、ご神体は蛇であると言い伝えられている。あの祠の中には蛇のミイラがあるということだったが、実際にあけてみると何も無かったそうだ。亡くなった母の言うことにはサイノキの田んぼはやたらと蛇が多かったそうだ。
サイノキの田んぼは府道の下に埋まってしまった。サイノカミは左の山陰の麓。
そしてサイノカミの谷向かいに一軒の民家があり、一人の男性が住んでいたそうだ。その人が蛇のような目をしており、「あんんたが今何を思うてるんかわかるんやで」といっていたそうだ。非科学的なことを話す母ではなかったので不思議な思いをしていたのだが、その人も家もわたしが物心ついたときは無くなっていた。ただ、村を出て国鉄の列車で弁当売りをされていると聞いた。「丹波の話」に「合祀の際に担いだ人はイワオさん」というわたしのメモがある。母になにかを聞いて書いたものと思うが、その人がイワオさんだったのかもしれない。つづく