2022.3.5(土)曇り 【今日の”のびちゃん”】NO. 62
家に帰って気落ちしながらも地図を見返していると、見逃していた谷がある、そこはもう他府県だと勘違いしていたのだが、ちゃんと京都府内ではないか。のびのルーツはこの谷ではないか?矢も盾もたまらず用事を済ませ、やっと出かけられたのが3月4日である。かみさんのかつての職場の方がレストランをやっているというので、寄ってランチをいただく。なにせあの谷にはいったら、店が無くて食料が得られないのだ。
農園大衆食堂 Agri ランチはボリュームたっぷりでリーズナブル
前回の集落から別の峠を越すんだが、輪をかけて厳しい峠道だ。幸い対向車は無くて、峠を下りて集落に着く。集落ったって見えるのは4、5軒の家のみだ。立派なお家が急な斜面にへばりつくように建っている。少し道が広くなったところに車を止めて、聞き取りに行く。1軒目、不在。もう一軒をかみさんに任せて、急坂を上っていく。呼び鈴を鳴らすとすぐに奥さんが出てきて、「この辺りに沢山の犬を飼っておられた家を知りませんか?」と質問をする。するとどうだ、「その家なら〇〇さんの家で、、、、」と道も教えていただく。当時の様子もお聞きするが、放し飼いの犬がハイカーを噛んだり、地域の中をうろうろして大変だったそうだ。その家を訪ねたいと言ったが、「耳が遠くてお話はできませんよ」といわれた。一発でのびの生まれ育った家が解ったわけだ。
車に乗って言われた方へ向かうのだが、なにせ狭くて急な坂だから駐車ができない。とある家のそばに少しスペースがあるので駐車させてもらい、訪問するが不在だったのでかみさんを残し犬小屋のあった家に急ぐ。犬小屋の他に大きなケージがあるがどれも空で、紙くずなどが散らばっている。のびの生まれたのはここだったのでは、、、と戦慄を覚えたが、周囲は草も生えていて荒れている。玄関から声をかけるも返事無し、表札もないので確認のしようがない。そこへ一台の軽自動車が通り、慌てて手を挙げ「〇〇さんのお宅はここですか?」と聴くと、そうだという返事。遂にのびの生家を見つけた。しかしその荒れたケージを見れば、犬たちがどんな生活をしていたかすぐに想像できる。多頭飼いの崩壊なんてどのみち悲惨な生活に違いないが、現実にその現場を見ると不憫に思えて仕方が無い。あのケージに20頭近くがひしめき合って暮らしていたかと思うと惨憺たる思いになる。車を置いたところまで帰る数分の間、涙が流れて止まらなかった。
のびが数年間暮らしただろうケージ。
車を置いたところに帰ると、先ほどの方とかみさんが話している。当時の様子を聞いているが、余りの頭数に野放しとなり、食べ物は与えられていただろうがおとなしいのびには充分に当たらなかっただろう。今でも田んぼのカエルやイモリ見つけると食べようとするのはそのせいかもしれない。
お話をいただいた奥さんは、捕らえられた犬たちはみな殺処分されたと思われていた。「みんな保護されてもらわれていきましたよ」というと本当に安心されたようだ。
のびは生まれて数年、一番大切な時期を過酷な環境で過ごしてきた。保護センターだってあれだけの犬を保護するのは大変だっただろう。彼らにとっては命からがら逃げ回ったことだろうから、それらの心的ストレスがPTSDとなってもおかしくない。
帰り道、ちょっと広いところでカイカイしてみた。
わたしたちはこの地に来るべきではなかったのだろうか?複雑な気持ちになったけど、やはり来てよかったと思う。あの地を仲間たちと駆け回り、必死で生きてきただろうのびの姿が目に浮かぶ。人の愛情を受けることも無く、とにかく生きることで精一杯だったろう。
いまわたし達に出来ることは、思いっきり愛情をかけて、のびのこれからの犬生を幸せに暮らしてもうらうことだ。もうかけがえのないわたし達の娘なんだから。
何事も無かったかのように今朝の散歩