心の風景 認知的体験

癌闘病記
認知的体験
わかりやすい表現
ヒューマンエラー、安全
ポジティブマインド
大学教育
老人心理

書くことの心理学

2007-04-09 | 認知心理学
05/7/6海保博之「認知と学習の心理学」培風館

1200文字
5章 書く

5.1 書くのが好き
今でもしっかりと覚えているが、書けなくて七転八倒したのは、はじめての大作「メッシュ化されたカタカナ文字の視認性」という卒業論文を書く時であった。
内容は、実験報告でごくオーソドックスなもので、大作とはいってもその当時の自分には、ということで、400字詰原稿用紙でわずか50枚程度のものであった。にもかかわらず、机に向かってうんうんうなっていた。よほどつらかったとみえて、40年もたっているのに、その光景は今でも自宅の勉強部屋の状況とともにしっかりと目に浮かぶ。
フラッシュバルブ記憶である。

コラム「フラッシュバルブ記憶」******

******

それが、書くのが大好き人間になってしまったのである。そのきっかけは、今にして思うと、23年前のアメリカでの在外研究ではなかったかと思う。
英語が聞き取れない、したがって話せないままの10か月はつらいものがあった。そのうさをはらうためであったのだろう。アメリカ滞在記録のようなものを書いては大学院生に郵便で送っていた。週に1,2回は書いて送っていた。それを保管しておいてもらい、帰国してから、それを掲載するための「Compter & Cognition」というA4の裏紙を使ったニューズレターを毎週発行するようにしたのである。そして、その中に、「認知的体験」と称して、自分の頭の中で起こったことや考えたことなども短い記録として掲載するようにしたのである。

******コラム「ニューズレターのサンプル」


*********

これによって、文章を書くおもしろさを知った。そして、書けば書くほど書くことが楽しくなることもわかった。
それで勢いがついて、これもアメリカ滞在経験の中で頭にひっかかっていた安全やヒューマンエラーに対する考えの我彼の違いを、講談社の現代新書に書くという冒険に挑んでみた。原稿用紙300枚くらい、研究論文のスタイルとはまったく違った表現への初挑戦をしてみた。
これで、人にわかってもらい納得してもらう表現とはどういうものかをしっかりと体得した。
これが、自分の表現のいわばブレークスルーになったと思う。まったく書くことが苦痛でなくなったのである。それどころか、書いていないと不安でしかたないような気分になることさえあった。


心理学研究法

2007-04-09 | Weblog
放送大学 心理学研究法

第1回の講義の時に、心理学研究法は、実に多彩であること、そして、その理由についてお話させていただきました。本講義で紹介した12種類の研究法だけでも多彩だと思われると思いますが、さらに、これでも全部ではありませんよ、といったら、聞いている方々はびっくり仰天されてしまうのではないでしょうか。
学習する方々からすると、研究法が多彩であるというのは、学習が面倒になりますので、歓迎すべきことではないかもしれませんが、研究者にとっては、それほどネガティブな事情ではないと思います。
講義でも申し上げましたが、研究法だけが一人歩きして多彩になってわけではなく、知りたい心の世界の見方が多彩になったがゆえに、それにアプローチする研究法が多彩になってのですから、むしろ、こうした事情は歓迎すべきことと言えます。
かつての行動主義の全盛の時代を、「心抜きの」心理学の研究の時代と批判されたことがあります。心の不思議に誰しもが興味・感心を持ちながらも、研究方法論の呪縛がゆえに、研究することが許されなかったのです。
それを考えれば、なんでもあり、タブーなしの研究が花開いている今の心理学の時代思潮は、研究者にとっては、好ましいと言えます。

写真 東京成徳大学 こども学部

メールの心理学

2007-04-09 | 認知心理学
海保著 認知と学習の心理学 培風館

6章 メールで仕事をする

6.1 メールを開けるのが楽しみ
最近は、研究室に入るとまずすることが、メールを開けることである。
これが習慣のようになったのは、それほど古いことではない。これも20年前くらいだと思うが、研究者仲間で非常に使い勝手の悪い、***メールが使われ出したことがある。「海保さん、メールを入れたから読んでくれる」という電話がかかってきて当惑したのを覚えている。
それから一気にインターネットの普及で、電子メールはもはや研究者のインフラよりも生活のインフラとして使われるようになった。
たとえば、1学期の授業で、「中高生のための認知心理学基本用語集」を受講生に作らせる課題を課した。割り当てられた用語の解説をメールで海保に送らせて、それをホームページ上で公開するのである。
受講生80名。全員がこの課題をなんなくこなした。一人として、私はメールができません、と言ってこなかったのである。
電車にのっても、半数くらいは携帯メールをしている時代である。これくらいのことで驚くほうがおかしい。
さて、自分のメールとのつき合い方の続き。
研究室では、画面に向かって仕事をすることが多い。スムーズに仕事が出来ているときは、何も問題はないのだが、ちょっとつまったり、考えたりしたい時がある。あるいは、学生が来室して仕事が中断されたりすることもある。そんな時、つい、メールを開けてしまうのである。そして、一時、メール処理に熱中してしまうのである。
こうなると、本業ほったらかしになってしまう。こういう日々が今、続いている。それほどまずい状況だとは思わないが仕事に集中できない自分に嫌気がさしてしまうこともある。
しかし、電話での強制的な中断よりははるかにましではある。メールのおかげで、電話が極端に減ったのは本当に助かる。電話に限らないが、デスクワーカーにとって外部からの強制的な中断は、仕事の大敵である。いつでも居眠りができる静謐さが必要なのだ。


携帯での連絡

2007-04-09 | Weblog
4回の着信と伝言が入っている。
こちらから電話すると、女性が出て、心当たりはないという。
その後も一回、
さらに電話すると男性が出て、わからないという。
結局、連絡がつかないまま一日が経過
だいたいこういう電話は、マスコミ関係
一日経過すると、用件消滅、ということが多い。
さて、今日はどうなるか
楽しみである。

近隣の桜並木 今日が最高 また来年合いましょう