05/7/6海保博之「認知と学習の心理学」培風館
1200文字
5章 書く
5.1 書くのが好き
今でもしっかりと覚えているが、書けなくて七転八倒したのは、はじめての大作「メッシュ化されたカタカナ文字の視認性」という卒業論文を書く時であった。
内容は、実験報告でごくオーソドックスなもので、大作とはいってもその当時の自分には、ということで、400字詰原稿用紙でわずか50枚程度のものであった。にもかかわらず、机に向かってうんうんうなっていた。よほどつらかったとみえて、40年もたっているのに、その光景は今でも自宅の勉強部屋の状況とともにしっかりと目に浮かぶ。
フラッシュバルブ記憶である。
コラム「フラッシュバルブ記憶」******
******
それが、書くのが大好き人間になってしまったのである。そのきっかけは、今にして思うと、23年前のアメリカでの在外研究ではなかったかと思う。
英語が聞き取れない、したがって話せないままの10か月はつらいものがあった。そのうさをはらうためであったのだろう。アメリカ滞在記録のようなものを書いては大学院生に郵便で送っていた。週に1,2回は書いて送っていた。それを保管しておいてもらい、帰国してから、それを掲載するための「Compter & Cognition」というA4の裏紙を使ったニューズレターを毎週発行するようにしたのである。そして、その中に、「認知的体験」と称して、自分の頭の中で起こったことや考えたことなども短い記録として掲載するようにしたのである。
******コラム「ニューズレターのサンプル」
*********
これによって、文章を書くおもしろさを知った。そして、書けば書くほど書くことが楽しくなることもわかった。
それで勢いがついて、これもアメリカ滞在経験の中で頭にひっかかっていた安全やヒューマンエラーに対する考えの我彼の違いを、講談社の現代新書に書くという冒険に挑んでみた。原稿用紙300枚くらい、研究論文のスタイルとはまったく違った表現への初挑戦をしてみた。
これで、人にわかってもらい納得してもらう表現とはどういうものかをしっかりと体得した。
これが、自分の表現のいわばブレークスルーになったと思う。まったく書くことが苦痛でなくなったのである。それどころか、書いていないと不安でしかたないような気分になることさえあった。
1200文字
5章 書く
5.1 書くのが好き
今でもしっかりと覚えているが、書けなくて七転八倒したのは、はじめての大作「メッシュ化されたカタカナ文字の視認性」という卒業論文を書く時であった。
内容は、実験報告でごくオーソドックスなもので、大作とはいってもその当時の自分には、ということで、400字詰原稿用紙でわずか50枚程度のものであった。にもかかわらず、机に向かってうんうんうなっていた。よほどつらかったとみえて、40年もたっているのに、その光景は今でも自宅の勉強部屋の状況とともにしっかりと目に浮かぶ。
フラッシュバルブ記憶である。
コラム「フラッシュバルブ記憶」******
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それが、書くのが大好き人間になってしまったのである。そのきっかけは、今にして思うと、23年前のアメリカでの在外研究ではなかったかと思う。
英語が聞き取れない、したがって話せないままの10か月はつらいものがあった。そのうさをはらうためであったのだろう。アメリカ滞在記録のようなものを書いては大学院生に郵便で送っていた。週に1,2回は書いて送っていた。それを保管しておいてもらい、帰国してから、それを掲載するための「Compter & Cognition」というA4の裏紙を使ったニューズレターを毎週発行するようにしたのである。そして、その中に、「認知的体験」と称して、自分の頭の中で起こったことや考えたことなども短い記録として掲載するようにしたのである。
******コラム「ニューズレターのサンプル」
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これによって、文章を書くおもしろさを知った。そして、書けば書くほど書くことが楽しくなることもわかった。
それで勢いがついて、これもアメリカ滞在経験の中で頭にひっかかっていた安全やヒューマンエラーに対する考えの我彼の違いを、講談社の現代新書に書くという冒険に挑んでみた。原稿用紙300枚くらい、研究論文のスタイルとはまったく違った表現への初挑戦をしてみた。
これで、人にわかってもらい納得してもらう表現とはどういうものかをしっかりと体得した。
これが、自分の表現のいわばブレークスルーになったと思う。まったく書くことが苦痛でなくなったのである。それどころか、書いていないと不安でしかたないような気分になることさえあった。