心の風景 認知的体験

癌闘病記
認知的体験
わかりやすい表現
ヒューマンエラー、安全
ポジティブマインド
大学教育
老人心理

ヒューマンエラーをめぐって気になること 再掲

2007-04-18 | ヒューマンエラー
03/7/11海保


ヒューマンエラーをめぐっての
最近の気になる話題2つ。


1)医療ミスを繰り返す医師、免許取り消しも(6月26日付け毎日新聞の1面トップ記事)


●リピーター医師---事故多発者、あるいは事故傾性者---の処分について、医療道審議会に諮問。
  ・おっちょこちょいで衝動的な性格 
  ・未熟な技能
  ・貧弱な知識
 が事故を起こさせる。


●事故傾性者、事故多発者をどうする
○一番、厳しいが効果があるのは、排除。
 これが今回の対策のねらい。
 しかし、その職につく、あるいは免許を取得するときにやる---スクリーニング---、ならまだしも、かなり暴力的な対策。
○これより穏便な対策は、エラーをおかす現場を変えてみる、「配置変え」。手術はへたでも、外来医療は得意ということがないか。
  ・状況の中に、エラーを繰りかえさせる力があるかもしれない  
  ・本人の持っている適性と仕事のミスマッチがあるかも
○もう一つは、研修、再教育。未熟な技能、貧弱な知識を改善する。
最近、教育界では、いわゆるダメ教師、入試問題の2割しか解けない先生では困るという話がありましたが、現場から一時的に離脱してもらって、再研修。


●排除は最後の最後の手段ではないかと思う。



私の3冊

2007-04-18 | Weblog
岩波「図書」より
232人が選んだ3冊
最も多いのは
「きけ わだつみのこえ」
これにはびっっくり。なぜ、これが今なのだろう?

ちなみに、20年前は、「銀の匙」
10年前は「いきの構造」だとうな。

自分が挙げるとすると
「自由からの逃走」
「君たちはどう生きる」
「精神分析」
かなー

書くのがきらいになるのはなぜ

2007-04-18 | Weblog
海保著「認知と学習の心理学」培風館


なぜ「書くのが嫌い」になるのであろうか。思いつくままに挙げてみる。

1)思いの世界と表現の世界とのギャップが大きい
/明日、東京に行く/という思いを文章で表現してみる。
「明日は東京に行く」「東京は明日、行く」「明日行くのは東京」「東京に行くのは明日」
というように一つの思いにいくつもの文章表現ができる。逆に一つの文章表現でもそれが意味する思いの世界は必ずしも一つではない。思いの世界と表現の世界との間には、渡らなければならない川と、選択を求められる幾本もの橋がある。
この川の広さと、選ばなくてならない橋の数の多さに気が付くと、書くのがおっくうになったり、神経質な人では、書くのが怖くなってしまうことさえある。

2)書くことを制約するリテラシーが面倒
 書くということは、書かれたものを他の人が読むことが前提になっている。そのため、膨大な守るべき規約(リテラシー)がある。
表現に自由度がある一方では、文法、語彙にまつわるリテラシーは膨大である。それを守らなければ、読み手には言いたいことが伝わらない。
ここで再び、別の形で思いの世界と表現の世界とのギャップに悩まされることになる。自分の思いを正確に伝えたいがそれができないもどかしさを痛切に感じてしまうことになる。
余談になるが、セミナーや授業で、アメーバーのような絵を見せて、これを一方向無線で相手に描かせるとするとどう表現するか、という実習を隣同士でしてもらうことがある。これをすると、いつまでたっても説明が終わらないペアーが多い。できるだけ正確に描いてもらおうとして詳細な情報をたくさん相手に伝えようとするためである。
正確さ中毒と呼んでいるのだが、このように、自分の思いーーこの場合は、説明するものが外にあるので、それほど多彩な思いがあるわけではないのだがーーを正確に相手に伝えたいとの思いが強すぎるのも、それが出来ないがゆえの表現嫌いを生む素地になっている。

3)あらたまったお膳立てが必要
書くためには、さあー書こうという気持ちになることからはじまって、最近はコンピュータが多いが、書くために必要な道具、さらに、書く内容によっては各種の資料が必要となる。
いずれもお膳立てをするには、それなりの努力が必要となる。その努力が書くことから人を遠ざける。


指の第1関節が慢性的に痛い

2007-04-18 | Weblog
キーボード打ち込みのためである
慢性的なので、がまんするしかないのかも
10本の指すべてが同じ痛さ
時々マッサージをするが、まったく効果なし
悪くなる兆しもないので、ほってある。
でもキーボードが打てなくなったら悲劇だなー


写真 筑波山遠景