心の風景 認知的体験

癌闘病記
認知的体験
わかりやすい表現
ヒューマンエラー、安全
ポジティブマインド
大学教育
老人心理

出前授業案

2007-06-02 | 認知心理学
出張講義内容

学 科:    福祉心理学科              

教員名: 海保博之                 

高校生・保護者・高校教員が興味を持ちそうなテーマ:

対象はすべてオーケー



講義名 講義内容(約200字程度)

?わかりやすい表現          



?ヒューマンエラー




?頭の働きを考える




受け手の頭の働きに配慮した表現をすることで、その表現はわかりやすいものとなる。メリハリ表現、結論先行表現、動機づけ支援の3つがポイントとなる。
対象 すべて

人はエラーをする動物である。したがって、エラーを事故に直結させない工夫が必要となる。エラーのタイプごとに、そのくせに配慮した工夫をするにはどうするかを考える。


記憶力や集中力をつけるにはどうすればよいかを考えてみる。


あわてることとエラー事故

2007-06-02 | Weblog
04/7/22海保「ミスに強くなる」ちょうさいぼう新書

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30字 20行 「解説」だけで600字 イラストを除いて
第22回「あわてると危ないことは知ってはいてもあわててヒヤリ」
事例「流れ作業で、製品を一つ落としてしまった。あわてたために、さらにもう一つ落としてしまった。
1イラスト
2 
●事例分析 
 あわてると危ないことは、小学生くらいから知ってはいるはずなのですが、事例のようなケースは、実によく発生しますし、誰しもが似たような経験はしているはずです。
 あわてるのは、現実の進行速度に追いつけそうにないかもしれないことを悟った瞬間から始まる、感情の乱れです。これが注意管理不全をもたらし、頭の働きや行為を乱します。
 あわてている状態は、頭の中もパニック状態に近くなっています。
 注意レベルはかなり高くはなっているのですが、それが、遅れを取り戻すことだけに集中してしまい、他のことに注意が配分できなくなってしまいます。頭の働きの狭窄です。
 知ってはいても、それを思い出せないのも、また、適切な状況判断ができないのも、さらに、身体がうまく動けないのも、すべて、注意の配分がうまく自分で管理ができなくなっているからです。
 急ぐ時と似ていますが、あわてるのとの違いは、感情の乱れがないところです。したがって、急ぎ事故も頻度は高いですが、あわてた時ほどではありません。
「類似ケース」
○試験であと5分で終わりと言われてあわててしまい、確認が充分にできなかった。
○約束に遅れそうになったので、あわてて飛び乗った電車は、快速のため、目的の駅には止まらない。
****本文 20行 

30字 23行 700字 タイトル抜き、本文のみ
●背景解説「あわて事故を防ぐにどうしたらよいのでしょうか」
 あわて事故を、あわてている本人が一人で未然に防いだり、事故対応をすることは期待できません。
 したがって、それぞれの状況で発生が予測されるあわて事故を防ぐ安全工学的な手立てや表示はきちんとしておく必要はあります。電車への駆け込み防止策やその危険性の表示や警告のようにです。
 しかし、あわてるような状況を作らない自己努力はできます。
 特に、あわて事故を起こす頻度の高い人は、時間に遅れそうな状況を作らない、仕事が間に合わない状況をみずから作り出してしまうようなところがないでしょうか。点検してみる必要があります。
 さらに、あわてそうになりそうになったなら、その時点ではまだ、自覚できる機会はありますから、あわてるようなことにならないように、考え方を変える、というより、開き直ることもあります。
 時間に遅れそうになったら、遅れてもどうということはない、あるいは、遅れたときにどうすればよいかを考えるのです。あまりたびたびでなければ、意外にそれでなんとかなるものです。
チェック「あなたのあわてやすさの程度は?」***********
あなたに当てはまるときは”3”を、あてはまらないときは”1”
の3段階で判定してください。
□時間に遅れるが嫌い
□何かあると気持ちが乱れやすい
□締切が近づくとおちおちできない
□何かと急ぐほう
□せっつかれるのは嫌い
*10点以上なら、あわてやすいほうです。
***22行

携帯は注意集中の大敵

2007-06-02 | Weblog

04/8/31海保
3章3追加

3 携帯は注意集中の大敵

 携帯の普及がめざましい。今や小学生でさえ持っている。
乗物の中、あるいは道を歩きながら、時には食事をしながら携帯をいじっている。大学生では、机の上に携帯をおいていて常時チェックしている。
携帯はもはや街の日常的な風景になっている。
 さて、その携帯であるが、注意集中には大敵である。よほどうまくつきあわないと、いつのまにか携帯に負けて、注意散漫が日常になりかねない。
 携帯の前身である電話には強力な割り込み機能がある。何があっても、電話がかかってくれば、今していることを中断して電話に出ることになっている。
 携帯電話になって、それが家や会社を離れて、常時、我が身と一緒になったのである。時間と場所を選ばずに割り込んでくる。
 会議の司会をしている人がかかってきた電話に出てしまい、しばらく会議が中断してしまうような場面、あるいは、トイレで電話している場面などに何度か遭遇しているくらいである。
 さて、では、注意をちらさないような携帯との賢い付合い方とはどんなものであろうか。
 まずは基本的な態度として、かかってくる電話で本当に大事な用件はあまりないとしてしまうことである。大事な用件なら、再度、あるいは別途の方法で連絡があるはずと達観してしまうことである。着信記録を見れば、その当たりはだいたい見当がつく。
 その上で、呼び出し音は最低にしておく。さらに、常時マナーモードにしておく。これによって、呼び出し音で注意を乱されることがなくなる。
 そして、携帯を携帯しない時間、あるいは、日を設ける。携帯にとらわれないためにも、これはぜひ、試みてほしい。
 

安全と心

2007-06-02 | 安全、安心、
04/9/20海保
「現代用語の基礎知識」05年版

「安全と心」
●「安全と水はただ」(山本七平)だったはずの日本の「安心社会」を脅かす犯罪や事故が多発している。最近のアンケートでも、56%もの人々が「日本の社会は安心・安全とは思わない」と答えている。グローバル化の波に巻き込まれ、「高リスク社会」への急速な移行が始まっている。
それに対応するための個人的、社会的な諸施策もとられようになってきた。しかし、あたかも「ゼロリスク社会」をめざすかのような極端な「管理」施策も一部ではみられる。「角を矯めて牛を殺す」ことになってしまうのも、まずい。「リスクとの共存」ができる社会をいかに作り出すかに周知を集めるべきであろう。
●犯罪も事故も、それを起こすのも人なら被害を受けるのも人である。そこに心理学がかかわってくる。何がなんでも人の心の問題、あるいは心理学の問題に還元してしまう「心理主義」、あるいは「心理学化」には、問題の解決をも個人の心だけに求めてしまう危うさがある。しかし、人の心への配慮なしの制度的、法律的、組織的な対策にもまた危ういところがある。
●安全と心の問題を考えるための鍵概念を、主に社会心理学の中から拾ってみた。そこには、集団・組織と個人にかかわる古典的諸概念から、犯罪、事故そのものにかかわる心の謎を解き明かすのに有効な概念がある。