心の風景 認知的体験

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●感動を自分で作り出せるか

2009-07-21 | ポジティブ心理学
●感動を自分で作り出せるか
 基本的には、感動を自分の心だけで作り出すことはできません。
 ただ、感動できる可能性の高い場は、自分で作り出す、あるいはそこに出向くことはできます。
たとえば、
・映画みたり、小説を読んだりする
・外国旅行などめずらしい場所に出かける
・真善美に触れることができる場所に出かける

こうした場には一体何があって、人を感動させるのでしょうか。
まずは、頭の中の知識を激しく刺激するものがあります。
映画を見た。月並みのストリー展開だった。これでは、知的な刺激はありませんから感動できません。奇想天外というほどはなはだしいものである必要はありませんが、少なくともこれまでの知識の中に自然には取り込めないようなもの、予想できない展開があることが必要です。
そして大事な要素は、ポジティブ感情です。
感情を強く刺激するものはいくらでもありますが、ポジティブ感情を強く刺激するものでないと感動になりません。愛と喜びを強く喚起し、さらに正義、勇気、希望、真善美の感覚が湧き出させなくてはなりません。
さて、こんな場をあなたはいくつ持っているでしょうか。
と書いてから、自分を振り返ってみましたが、実は、ほとんどないことに気づかされました。そして、最近、とんと感動とは無縁な生活をしていることにも気づかされました。 

どうしてこういうことになるの?

2009-07-21 | 心の体験的日記
またファイルが消失
半分書きかけのものは出てきたが
間違いなく、全部書いたはず
出力もしてない
あー、こんなことを何度繰り返したら
すむのか
バックアップファイルもとってはいても
なぜか、こういうことに

仕事への意欲がなえる

複数の心理学  かくも違った心理学が共存しうるのはなぜ

2009-07-21 | 認知心理学
複数の心理学 かくも違った心理学が共存しうるのはなぜ

●日本には心理関係の学会が37もある  
脚注に挙げた学会は、日本心理学諸学会連合に加盟している学会名である。(注1)筆者の場合は、日本心理学会と日本教育心理学会との2つに加入しているが、多分、これは少ないほうであろう。この中の学会のもう一つくらいと、さらに、隣接領域の学会一つくらいに加入しているのが日本の心理学研究者の標準ではないかと思う。筆者は、合計7つの学会に加入している。余計なことだが、年末の学会費の支払いが10万円くらいになる。  なぜ、これほど学会が増えてしまったのであろうか。

●研究者の数だけテーマがある  
ここに2000年に行なわれた第64回日本心理学会の大会発表論文がある。発表論文数1200件、参加者2500名に及ぶ。発表の区分けは、伝統的に次の18部門になっている。 「原理・方法」 「社会・文化」 「臨床・障害」 「人格」「発達」 「教育」 「数理・統計」 「感覚・知覚」 「犯罪・非行」 「認知」「学習」 「記憶」  「言語・思考」 「スポーツ・健康」       「行動」「生理」 「産業・交通」 「情動・動機づけ」  この部門のそれぞれが、さらに、自前の?学会をもっているといってもよい。なぜ、自前の学会が必要なのであろうか。

●研究には仲間が必要  研究には一見すると矛盾した面が共存している。一方では、研究者個人の知的好奇心のおもむくままにという内面的側面、もう一方では、自分の知的好奇心を共有してくれる仲間をもとめるという社会的側面とである。前者は研究の自由が保証されるポストを求めさせ、後者は学会や研究会の結成を求めることにつながる。  個人の内面志向と社会志向との共存は、実は矛盾したものではない。学問に限らず創造活動には強烈な内面志向が必要であるが、それだけではだめで、それを支える文化、組織、評価システムといった社会的な仕組も必要なのである。個人の趣味のようなものでも、趣味仲間がある、あるいは必要なのと似ている。  学会はその社会的な仕組の一つなのである。その学会もできるだけ、コンパクトなほうが何かと都合がよい。本当なら、50人程度の研究会が一番なのだが、これだと社会的な認知という点でインパクトが弱い。かといって、大きくなると、官僚化してしてしまって窮屈である。となると、500人程度の学会を作ろうということになる。 心理学のように、心という得体の知れない対象を研究する領域では、研究者間で知的好奇心は拡散する。1200件もの発表があっても、同一テーマで異なる研究者が発表するということはまずない。かくして、学会の群雄割拠がはじまる。

●もっと俗っぽい背景もある  もっとも、学会の群雄割拠状態を作り出す世間的な?事情もある。学会の仕事のうち最も重要なのは、論文機関誌の発行である。これが、自前で出せるメリットは大きい。  大きな学会の機関誌に論文を掲載するには、投稿してから査読をへて掲載までどんなに速くとも1年はかかる。(注1)これを短縮できる。さらに、大きな学会の機関誌は、一定の水準を保つために審査基準が高めに設定してある。そのため、独創的だが論証が雑、あるいは、テーマそのものが奇抜過ぎる、といった理由で審査を通らないことがある。自前なら、そのあたりはかなり融通がきく。  もう一つの世間的な事情は研究費配分である。今、科学技術への国費の投入は莫大な額になっている。(注3)心理学にもそのおこぼれはある。その配分をどうするかは、かなりの程度までは、心理学の中で決めることになる。となると、学会が配分の権限を握ることになる、

****本文59行まで  あと8行
********************** 注1 バイオフィードバック学会、ブリーフサイコセラピー学会、動物心理学会、学校教育相談学会、学生相談学会、グループダイナミックス学会、箱庭療法学会、犯罪心理学会、発達心理学会、自立訓練学会、感情心理学会、カウンセリング学会、家族心理学会、健康心理学会、基礎心理学会、行動分析学会、行動科学学会、行動計量学会、行動療法学会、交通心理学会、教育心理学会、人間性心理学会、応用心理学会、リハビリテイション心理学会、臨床動作学会、臨床心理学会、理論心理学会、催眠医学心理学会、産業カウンセリング学会、性格心理学会、生理心理学会、社会心理学会、心理臨床学会、進路指導学会、特殊教育学会、産業・組織心理学会、社団法人日本心理学会 

注2 一時を競う最先端分野では、ニューズレターや雑誌(サイエンスなど)への掲載を先行させることがある。残念ながら、心理学では、これまでそんな話は聞いたことがない。

注3 学術振興会で配分する科学研究費は総額で、   ***億円。その内、心理学関係は、およそ****億円である。

謝罪を妨げる障壁

2009-07-21 | 安全、安心、
●「謝ろう」しかし、
ミスや違反をしたことに気がつく、あるいは気がつかされると、まずは、ミスや違反をしてしまった自分を責める。そして、それは、外に向かっての申し訳なさ、つまりは謝罪の気持ちを生む。これが自然な心の流れであろう。
だとするなら、ただちに、「すみません」が口をついて出てくるはずであるが、必ずしもそうはならない。気持ちを行動(発話)として発現するには越えなければならない障壁がある。
障壁の一つは、少し冷静になってみると、本当に自分だけに責任があるのかが疑問になってくる。相手にも、あるいは状況にも責任の一端はないかが気になってくる。これが、素直な謝罪を押しとどめることになる。
障壁の2つ目は、相手の出方である。相手のほうも自分にも非があり、という、いわゆる下手の対応の仕方をしてくるような時には、「いや、こちらこそ」となるが、一方的にこちらの非を責め立てて攻撃的な対応をしてくると、本心ではなくとも、こちらもつい攻撃的に対応してしまう。
障壁の3つ目は、謝罪文化の変化である。かつての日本人は実によく謝っていたように思う。その片鱗は、今でも、企業不祥事で社長以下3役そろい踏みの謝罪会見に見ることができる。あるいは、犯罪被害者の「謝罪の言葉でもあれば」の言説にもみることができる。
しかし、損害補償を考えてしまうからであろうか、謝罪が補償交渉に不利になることをおそれる気持ちが、素直な謝罪のセリフを抑制してしまう。

溜まる調味料

2009-07-21 | 心の体験的日記
こんびにや吉野家などで買うと
調味料がついてくることが多い
(割り箸も)
ほとんど使わないのでどんどん溜まる
捨てればよいのだが、なにかのときに
と思うと捨てられない

ちなみに、醤油なんて買ったことがないし
そういえば、ほとんど使わないなー

映像の記憶

2009-07-21 | 心の体験的日記
高橋まりこ
めずらしくファンなのである
NHKのSONGSを録画して何回かみている
ところが、みるたびに、へっこんな場面あったっけ?
なのである。
不思議なくらい

映像の記憶ってあてにならないもの
これも記憶の老化現象なのだろうか


サプリメント

2009-07-21 | 心の体験的日記

●認知的体験「サプリメント」06/9/7
サプリメントの広告が多い。買ってみたいものばかりであるが、すべてを買うと、飲むのが大変。以前、一袋だけ買ってきたが、いつまでたっても減らないので止めてしまった。
身体によいある特定の栄養素だけを抽出した飲めば、効率よく栄養がとれるとは思うが、栄養素も実は他の何かと結びついて有効性を発揮しているはず。
それにしても、マルチビタミンなどと銘を打たれるとつい買ってみたくなる。高齢になると、食べる量が減るので、それだけ栄養摂取も減る。サプリメントについ頼りたくなる。今我が家でやっているのは、ご飯にそうしたものを入れてたくことだけ。
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09-7-21
ヒアルロン酸
ヒザが痛いといったら、川北先生がすすめてくれた
これが効いたのか、テニス、存分にできる
指の第一関節の痛さも減ってきた

● 希望が生まれるとき

2009-07-21 | ポジティブ心理学

● 希望が生まれるとき
 ポジティブ心理学者・セリグマンは、実は、動物を使った学習性無力感の研究でよく知られていました。
 学習性無力感の実験とは、まさにナチス強制収容所の動物版です。
 何をしても何も報酬が得られない(そこから脱出できない)状況に長く置かれると、何もしないことを学んでしまうのです。いわば、絶望することを学習してしまうのです。
 フランクルは、しかし、人間では、こうした限界状況に置かれてさえもなお、希望を失わない人の存在に注目しました。
 「生きる意味」の哲学的な吟味は、フランクルに任せるとして、こうした絶望的な状況でなお希望を失わないための条件って、どんなものかを少し考えてみました。
 まずは、現状の認識ですね。どこかに現状が変わる兆しを見つけることが必要です。
 冤罪事件の被告が弁護士とのつながりを保ち続けるように、です。
 さらに、現状を少しでもみずからの力で変えることができる状況を作り出すことです。
 フランクルの体験記のなかに、みずからの空腹を我慢して、餓死寸前の人にパンを分け与える話があります。自分で状況を作り出すと言っても良いかもしれません。
 そして時間的な展望です。
 いずれこの過酷な状況は、時間がくれば解消するはずとする確信です。
 戦争ならいずれ終わるはずとの確信。冤罪ならいずれは晴れるはずとする確信です。
 この「いずれ」が大事ですね。これが、時間的な展望です。