3つのマジカル・コンセプト---スキーマ、活性化、アフォーダンス
万能概念なのか無能概念なのか
●よくわかる説明?
まずは、次のような説明を、スキーマ、活性化、アフォーダンス(注1)という専門用語に注意しながら読んでみてほしい。
1)この物語文の理解が良かったのは(正答率が高かったのは)、スキーマがあっ たらかと思われる。
2)反応時間が早かったのは、関連知識が活性化していたからである。
3)この製品で事故が起こったのは、製品にアフォーダンスが作り込まれていなか ったからである。
いずれも認知研究者仲間でごく普通にかわしている会話の中に出てくるセリフではある。しかしながら、もしあなたが違和感を感じたり読み障り?だったりするとするなら、あなたは、行動主義的な訓練をたっぷり受けてきた方のはずである。
なぜなら、ここで使われているような3つの概念は、科学方法論的に問題をかかえているのである。
●説明概念がマクロ過ぎる
説明概念がマクロというのは、説明できる範囲が広いということである。そのこと自体は説明概念として有効であることにはなるが、問題の一つは、あまりに有効過ぎて、実は、何も説明していないというパラドックスに直面してしまうことである。「すべて神の御心のままに」と同じことになる。これでは科学にならない。
もう一つの問題は、こうしたマクロ概念を持ち出してしまうとそれなりに説明できてしまうために、研究者として最も大事なより深く、より緻密に思考することを停止させてしまいがちなことである。この概念を持ち出したとたん、すべて終り。また次の同じような研究が、となって一幕物研究のオンパレードになってしまう。
さらに関連するが、説明が常に後付け的になってしまいがちなことである。得られた実験結果がそれなりに意味のあるものになってしまい、次の新しい研究へのガイド、あるいは、予測をもたらさないのである。
●説明概念が実体化している
さらに、この種の概念が問題なのは、心的概念、したがって、説明のための方便?として用意された概念であるにもかかわらず、それが実体として存在するかのように扱われてしまうことである。実体化には次の2つがある。
1)心的な説明概念を脳生理的な基盤に還元するという意味での実体化
活性度がシナプス結合の強さを反映しているかとか、母親スキーマがどの脳部位と対応するかを研究するといったようなこと自体を研究課題とすることは問題ではないのだが、しばしば、そんな研究の知見の有無に頓着なしに、心的活動の説明が、突然脳にまで話が飛んでしまうことがある。いかにも話しが唐突である。
2)因果関係において、原因に力を及ぼすという意味での実体化
「活性度が高くなったから反応時間が早くなった」は、言うまでもなく、因果的な説明である。しかし、科学の世界での因果的な説明は、原因が操作可能でかつ結果に直接力を及ぼすことが絶対条件である。活性度は、単なる概念に過ぎない。操作もできないし、力もおよぼさないのに、それが原因というのは、おかしいことになる。
●それでも、使い方によっては捨てがたい
行動主義全盛の頃は、逆に、ミクロでしかも物理的な概念・用語による記述が徹底していた。「750ミリミクロの光を1秒見せると、眼瞼が3回まばたいた」の類の記述ばかりであった。正確ではあったが、これでは心がまったくみえない。「心」理学とはおよそ無縁であった。
認知科学と認知心理学が、科学方法論的には問題を抱えていても、大胆に心的な説明概念の使用を流通させた功績は大きい。ようやく素人心理学を越える科学的な「心」理学をおおっぴらに語れるようになったからである。
概念は、一般に、複雑な世界を整理したり、理解(説明)したりするのに有効である。というより、それがどれほどできるかによって、概念の有効性が決まってくる。その意味では、ここに挙げた3つの概念は、極めて有効な概念であることは間違いない。要は、はさみと同じで、使いようである。心の科学の日常的な語りの世界では、多いに使って、語りを豊かでおもしろいものにする。しかし、研究ベースの仕事ではできるだけミクロで精緻な概念、たとえば、計算論的な裏づけのある概念で勝負することであろう。
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注1 スキーマとは、あるトッピクについて頭の中に構築される表象のこと。活性化とは、表象を構成する要素知識の使用可能性が高まること。アフォーダンスとは、環境のなかにあって適切な活動を自然に誘うもの。