●貧しさが心を鍛える
物資的な貧しさを味わい、それを少しずつ克服しながら豊かになっていくという過程をじっくりと経験することのできた時代、あるいは、そうした養育環境を与えてもらえた人は、心の豊かさを作り出すという点で幸せである。
なぜなら、子供の頃には、欲求のコントロールという実践的な心の訓練を積めることになるし、適度に豊かになった青年期には、ひもじさのほうに心を奪われることもなく余裕をもって、もっと広く深くみずからの心の探求をすることができるからである。
しかし、生まれたときから何でもある環境では、欲求をコントロールすることを学ぶ実践的な場面がない。さらに、青年期になっての物資的な過度の豊かさは、物質のほうにばかり目を奪われてしまい、自分の心のほうに関心を向けさせなくなる。結果として、過度の物質的な豊かさの中で埋まれ育つということは、自分の心のコントロールという点でも、心を知り陶冶するという点でも、不利な状況を作り出してしまうことになる。
今の日本の社会にみられる、心への強い関心は、物資的な豊かさという時代背景が生んだ、心の脆弱さ、貧弱さへの気づきと、それをなんとかしたい、しなければという強い願望やあせりがあるように思えてならない。
●ほどほどが大事
自分の心への関心は悪いことではない。身体でもそうだが、心について何も考えずの生活は、心の貧しさに、ひいては、突然の心の不具合や病気につながってしまうからである。
さらに、心への関心は、自分を越えて周囲の人々の心にも向かう。これが、精神文化を作り出す。豊潤な哲学、芸術、道徳、宗教が生み出されることになる。
しかし、一方では、過度の心への関心は要注意である。悲しいときに、それをじっくりと受け止めるのはよい。「悲しみよこんちわ」である。ただし、それに自閉してしまうと、そこから抜け出られなくなる。ほどほどで、「悲しみよさらば」ができないと日常生活ができなくなる。
このあたりのバランスが難しい。
物資的な貧しさを味わい、それを少しずつ克服しながら豊かになっていくという過程をじっくりと経験することのできた時代、あるいは、そうした養育環境を与えてもらえた人は、心の豊かさを作り出すという点で幸せである。
なぜなら、子供の頃には、欲求のコントロールという実践的な心の訓練を積めることになるし、適度に豊かになった青年期には、ひもじさのほうに心を奪われることもなく余裕をもって、もっと広く深くみずからの心の探求をすることができるからである。
しかし、生まれたときから何でもある環境では、欲求をコントロールすることを学ぶ実践的な場面がない。さらに、青年期になっての物資的な過度の豊かさは、物質のほうにばかり目を奪われてしまい、自分の心のほうに関心を向けさせなくなる。結果として、過度の物質的な豊かさの中で埋まれ育つということは、自分の心のコントロールという点でも、心を知り陶冶するという点でも、不利な状況を作り出してしまうことになる。
今の日本の社会にみられる、心への強い関心は、物資的な豊かさという時代背景が生んだ、心の脆弱さ、貧弱さへの気づきと、それをなんとかしたい、しなければという強い願望やあせりがあるように思えてならない。
●ほどほどが大事
自分の心への関心は悪いことではない。身体でもそうだが、心について何も考えずの生活は、心の貧しさに、ひいては、突然の心の不具合や病気につながってしまうからである。
さらに、心への関心は、自分を越えて周囲の人々の心にも向かう。これが、精神文化を作り出す。豊潤な哲学、芸術、道徳、宗教が生み出されることになる。
しかし、一方では、過度の心への関心は要注意である。悲しいときに、それをじっくりと受け止めるのはよい。「悲しみよこんちわ」である。ただし、それに自閉してしまうと、そこから抜け出られなくなる。ほどほどで、「悲しみよさらば」ができないと日常生活ができなくなる。
このあたりのバランスが難しい。