楽観「何事もポジティブに」
● 悩めない人、悩まない人
わが母、かなり過酷な家庭環境のなかでの孤軍奮闘であったが、母の母,つまり祖母の口癖は、「お母さんが楽観的な人だからよかったね」でした。
こうして心理学をずっと研究してきましたが、心を病んだ人をみるにつけても、確かに母の楽観が家庭崩壊を崖っぷちで防いでくれていたんだなーとつくづく思います。
今となっては判然としないのですが、母、とりたてて、明るいというわけでもありませんでした。ただ、何かを深刻に悩んでいるような素振りが一切ありませんでした。変な言い方になりますが、「悩めない人」「悩まない人」でした。
●楽観主義者ってどんな人
ポジティブ心理学の旗振り役のセリグマンは、悩めない人、悩まない人(楽観主義者)は、ひどい事態に直面したときに、次のような現実認識(説明のスタイル)をする傾向があることを指摘しています。
① 悪いことが今押し寄せているが、それは、一時的である(一時性)
② 悪いことが起こっている原因は、たまたまそこにあった特定の理由によるもので、いつもその原因があるわけではない(特定性)
③ 外の事態をポジティブにとらえる(ポジティブ性)
さらに、別の研究者は、根気強さも挙げます。いつか事態が好転する、それまでがまん、という気持ちの強さです。
こうした現実認識が自然にできるかどうか、あるいは、習慣的になっているかどうかが楽観主義者であるかどうかを分ける決め手になります。
● 楽観主義者になれるコツ
認識の仕方(説明のスタイル)なら、そのように努力すれば誰でも楽観主義者になれそうな気がしますね。
何か悪い(ように見える)事が起こったとき、
① それはすぐに終わる
② 今回だけ特別
③ 悪いことの中にも良いことがある、あるいはもっと悪くならないでよかった
と考えるようにすればよいのですから。
あとは、こうした説明スタイルを習慣化することです。これには、時間がかります。最初はそれなりの努力がいります。
最後に、イギリスのチャーチルの名言を引用しておきます。
「悲観主義者はすべての好機の中に困難をみつけるが、
楽観主義者はすべての困難の中に好機を見いだす。」
● 楽観主義のリスク
余計なことを最後に一言。
楽観主義。
いいことずくめではないことも知っておいたほうがよいかもしれません。
それは、前述したように、楽観主義は、現実認識(説明スタイル)に端を発していますので、認識の錯誤を免れることができないということです。
楽観主義は、事態を冷静かつ論理的に分析するのとは違った(正反対)の認識の仕方をベースにしています。
事が個人の認識の問題だけですむならそれでもいいのですが、事の解決を求められるようなことになると、自分に都合の良い楽観主義的な認識では、何かと危ないですね。とりわけ、解決に責任を負わされている人にとっては。
自分は、育ちもあり、どこからみても楽観主義者ではありません。
事のネガティブな面、欠点、不備なところにすぐに目が行ってしまうほうです。あまり心理学的な根拠はありませんが、楽観主義者には育ちの良さのようなものがあるような気がします。育つ過程で、あまりリスクにさらされなければ、自然に楽観的になりますね。
ところで、かつていた大学のある管理職は、まぎれもなく楽観主義者でした。
一緒にいると楽しくなります。
ただ、会議などになると、その楽観主義的なところが気になってしかたがありませんでした。つい、反論や突っ込みをいれたくなってしまいました。多くは、しまったとなるのですが、そうしないと、何かとバランスがとれた決定にならないところがあるような気がして、そのようにしていました。
きっと、煙たい存在にみえたかもしれません。でも、楽観主義者を自称する人は、私のような非楽観主義者を周りに置いておくのも、悪いことではありません。
最後に、こんなものを見つけましたので、与太話のねたにでもしてください。。
「楽観主義;醜いものも含めてあらゆるものが美しく、特に悪も含めてあらゆるものが善であり、誤ったものも含めてあらゆるものが正しいとする主義まとは信念。これは逆境に陥るという不運に最もよく慣れている人々が最も固執するものであり、笑顔を真似たうすら笑いを浮かべながら説明する、という最も好ましいやり方だ。盲目的な信仰であるため、反証の光が届かない――これは知的な病であり、死以外にはいかなる治療法も効果がない。遺伝性のものであるが、幸い伝染はしない。(ピアス「悪魔の辞書」より)