前回のヴロツワフ編からの続き。
わ、忘れたわけじゃないの!ちゃんと覚えてて「あーポーランド旅行記の続き作らなくちゃなー」ってずーっと思ってたの!ホントだってば!!
……と言いつつ、前回から4ヶ月も経ってます。もう言い訳するのも苦しい(うぅぅ)
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さて、クラクフに移動した翌日早朝、クラクフ鉄道駅隣接のバスセンターにやって来ました。
今日はバスに乗ってポーランドが誇る世界遺産の1つ「アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所」に行きます!
よく「アウシュビッツ」と聞くとドイツにあるものだと勘違いされている方がいらっしゃるよーですが、実はポーランドにあるんですねー^^;
まあクラクフに初めて来た人なら大抵行くだろうと思います。ツアーだったらまず絶対に行くんじゃないの?
さて、クラクフからアウシュビッツまで行く方法はバスが一般的。
電車も出てますがバスより本数少なくて時間も掛かってしかも鉄道駅から結構距離がある(徒歩20分越)からオススメじゃない。
その点バスなら乗ってしまえば強制収容所入り口まで座ってるだけで連れてって貰えます♪
で、バスチケットなんですが、朝一で行くなら前日にチケット買っておくべき。なぜなら朝一バスが出る時間が早いのでチケットブースが開いてない事が結構あるらしいw
確か座席指定ではないけれどチケに乗車時間は指定で刻印されていたような記憶……だから満席になるとチケ売って貰えないのかもしんない(ここらは実際満席にならないと分かんないね)

アウシュビッツまではクラクフからバスに乗って大体1時間半位。結構遠いんですねー。
それと、アウシュビッツ情報で重要項目として、アウシュビッツ見学は必ず見学ツアーに申し込まなければ入れないという事。
当日窓口で申し込みも勿論出来ますが、ネットで事前予約が出来るので絶対にネット予約しておいた方がいい。何故なら当日窓口は激混みだから!
見学ツアーは人数制限があるから、当日行って直ぐ申し込んで直ぐ入場出来る訳じゃないんですよ。どーかすると何時間も待たされる可能性すらある。
だから特にバカンスシーズンに行く予定の方は事前ネット予約はMUST

↑
アウシュビッツ第一強制収容所入口
それでですね、事前にアウシュビッツの公式サイトでツアー(言語別)の時間を調べてたんすね。
そしたら朝一の時間だけは「FREE」で入れる(ツアーなし)んですわ!(もしかしたら夕方もフリーかもしれないです。自分達夕方に行くつもりがなかったので調べてなかったw)
因みに日本語ツアーはありません。だからロクに何言ってんだか分かんない英語ツアーに申し込む位ならフリーの方がいいやんか!という訳で我々は朝一のフリーチケを予約。
そして…実は日本人の公認ガイドさんがお一人だけいらっしゃるんですが(中谷さんとおっしゃいます)、事前にご都合をメールで伺ったら自分達が行ってる日程の間は日本に帰国してるって(滝汗
まーそーゆー事もあって朝一のフリーで入れるチケを予約した訳ですが。

入口の隣にカフェがあってさー、入場時間までちょっと時間があったからカフェで朝ご飯食べた。
パニーニサンド、すっごい美味しかったんだけどー…かーなーりーお高かった記憶^^;
アレだね完全に観光地ボッタクリ価格だよ。

入口脇にあるアウシュビッツ=ビルケナウの衛星地図画像のパネルかな。周辺の収容所施設の説明がされています。

で、フリーで入る際に(英語が堪能でなければツアーの人でも)入口売店に売ってる↑このガイドブックは絶対に買ってから入場した方がいい。
この公式ガイドブックは本当に親切だった!全ての展示室の説明が凄く分かりやすく丁寧に日本語で書かれてます。
だから時間気にせずにアウシュビッツ見学したい人は「朝一フリーで入って公式ガイドブック購入」、この組み合わせ鉄板ですっ!!
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さあ、中に入ろう。
↑この入口の画像は誰もが絶対に撮影するだろーからアウシュビッツ見学記事では高確率で掲載されてるだろうと思います。
入口のアーチには「ARBEIT MACHT FREI」と書かれている。意味は 「働けば自由になれる」…大嘘やんけ

いきなりなんかドクロマークの立て看とか見るとドキドキしちゃうわよねー^^;

建物が沢山並んでるんだけど、入口にナンバーがついた外灯があるので、ガイドブックでそのナンバーのページを見れば中の展示物の概要が分かる

当時のユダヤ人の皆さんがこの地に収容される様子を撮影した写真パネルとか、書類等も展示されてます。

見学ツアーの方が説明されてますが…多分ドイツ語だったか?何言ってんだかさっぱりわかんねーw
展示物がことごとくエグいんだな…
ユダヤ人を騙して連れて来て(当時彼らには安全な場所に一時的に移住させるとかナントカ言ってたらしい)とりあえず身ぐるみ全部剥いで荷物全部没収して収容所に放り込んだそうで。
それで没収された靴だったりブリキ製品だったり革のカバンだったり眼鏡だったり生活用品だったり、ありとあらゆる物が物品別でうずたかく積まれて展示されてる。
コレは靴を展示してある部屋。特に悲しい気持ちになったのは子供の靴だけを集めて展示してある部屋があったんだよね…その子供達の行く末を思うと言葉がなくなる。

ユダヤ人収容者に着せていた収容服
なんかコレ見て「あー、海外ドラマで囚人がストライプの服着せられてるのってココから来てんの?」とか思っちゃったり。

ガス室で使用したチクロンB(シアン化水素)の缶の山
この缶の数だけガス室で虐殺が…いや、ここに展示してあるのはそのほんの一部らしい(怖)
ガイドブック読みながら展示物見てると段々胸が塞がるような…もう何とも言えないイヤ~な気分になってくる。
撮影出来るモノはまだこれでもマシな方。
ところどころ撮影禁止になっている部屋があって、その中に入ると…もう、とにかく、ゾッとするような世界が広がっている。(要するに余りにも残忍なので撮影禁止になっている)
ある部屋で展示物を見ていたら、自分達の後ろにいたイスラエルからやって来ていた女学生が泣きながら膝から崩れ落ちて倒れてしまった。
周囲のお友達数人が抱きかかえるようにして彼女に声を掛けながら部屋を出ていく。
ここにはお揃いのTシャツやポロシャツを着た学生グループが沢山来ていて、それらの学生達の多くがイスラエルから来た子供達なんだそうだ。
イスラエルの中学・高校では多くがサマースクールや修学旅行の形でこの地にやって来て、自分達の先祖が受けた世にもおぞましい歴史を目で見て肌で感じて行くのだそうだ。
それにしても…ユダヤ人でもないBBAの自分でも思わず目を背けたくなるような痛ましい展示物の数々ですよ。イスラエルの子供達にとっては余りにも辛すぎるだろうに。

人体実験された少女達の写真とかね、、、妊婦は優先的に処刑されたそうですよ。そもそも分娩設備がありませんしね…

女性や子供達中心の収容者の写真と、下に愛らしい子供服や花柄のステキなワンピース(勿論没収物)が展示してあり…痛ましさをより煽る。
因みにこの写真に載っている人達は誰一人この収容所から出られずに生涯を終えたそうだ。

「死の壁」
収容所内の中庭にあった。
アウシュビッツはガス室が有名ですが、ガスだけでなく勿論銃殺もしていました。
この壁に真っ裸にされて立たされて、そして数多くのユダヤ人が毎日のように銃殺されたんだそうです。

銃殺だけでなく絞首刑にもしていました。
死の壁の横には絞首刑用の柱が何本も立っていて…

柱では1人しか吊れないのでこのような鉄棒型の絞首台も作って、一度に10人単位でこの台で絞首刑にしたんだそうです。

医務室…と言うか、薬物等による人体実験室と言った方が正しい。
とにかく何もかも胸糞悪い事この上ない施設の数々…だけど、だからこそ、目を背けてはいけないのだな、と見学している内に思い始めていました。

看守の監視台
当然だけど脱走者はもれなく銃殺。

「ヘスの絞首刑台」
アウシュビッツ初代所長だった「ルドルフ・フェルディナント・ヘス」が戦後(1947年)この場所で絞首刑に処されました。
この地に来てこの絞首刑台を見ると「は?それでお前ら許されると思うなよ!?」ってほとんどの人が思いますよ。

そして…コレが「ガス室」
中に入るのにちょっと躊躇いました。
この建物の中に数多の罪のないユダヤ人達が入れられて、そして先程画像を載せた「チクロンB」を天井から降り注がれ、そして命を奪われていった。
自分は「幽霊なんている訳ねーわ派(因みに宇宙人は絶対にいると信じてる派)」なんですが、でも流石にこの地に来ると…何か声なき声を感じてしまうかもしれない、と怖気付きました。

ガス室の画像は敢えて載せないで(苦笑)…コレはガス室の隣にあった焼却施設
隣のガス室でユダヤ人を大量に処刑した後、体から取れる金品(例えば金歯とか)を奪った後にこの焼却炉で遺体を処分していたんだそうです。
さて、一通りアウシュビッツ第一収容所を見て回ったので、もう一つの第二収容所「ビルケナウ」に移動します。
第一収容所からビルケナウまでは無料のシャトルバスが出ている…という情報まではネットで調べていったのですが、そのシャトルバスの乗り場までは調べてなかった!
グルグル歩き回ってたら、ちょうどシャトルバスが来たので追いかけて走る(←夫婦揃って無駄に体力に自信はありますw)
そしたら…朝クラクフから乗ってきたバスの停留所がシャトルバスの乗り場でした^^;

第一収容所からバスで10~15分程度?の距離だったと思います。
バス停を降りると草っ原の広々とした場所が広がっていました。

で、収容施設の一部が残されていて見学する事が出来るようになっています。

トイレだったかな…正直言って第一収容所よりも色々と施設が粗末になってます。
て言うか、第一収容所ですら結構なエグい施設だったのに、それでも足らずにまだこんなに収容所作りまくってたのか!とそっちに驚きますわ。
(実際はもっともっともっとあって、現存しているのはその中でもほんの一部らしいですが…全くもって恐ろしい!)

ここはいわゆる収容棟ってヤツですね。
粗末な簡易ベッドがあって、そしてこの真ん中にあるのは…暖房設備ですね。薪を焚いてその熱を管で建物の奥まで行き渡らせたのだろうと。
この設備ね…全く同じようなモノを昔「網走刑務所」でも見ましたわ。こういう設備って誰に教わるでもなく世界共通で開発されるんですね^^;

収容施設が残っているのはほんの一角で、後は線路と芝生の野原が続いているのですが…奥の方に進んでみるとこんな列車が停めてありました。

ドイツが敗戦して連合軍がこの地を制圧に来ると分かって、慌てて自分達の残虐行為を知られるのを恐れて施設を爆破しまくったんだそうです。
その残骸も当時のまま残されていました。

鎮魂の為の慰霊碑が奥に鎮座していました。
この地で犠牲になった各国のユダヤ人を弔う為にそれぞれの国の言葉で碑文が記されています。
一応探してみましたが…日本語の碑文はありませんでした。まあそうですよね^^;

なんだか去り難い気持ちになって、かなり長い間この場所で似たような画像ばかり撮っていました。
今回はここまで、敢えて割と淡々と画像にコメ付けて来たつもりです。
そして自分が撮影した画像の中では割とソフトな物を選んでココに載せたつもりです。(代表的な施設や建物は使いましたが)
何もかも載せるべきではないな、と思ったので。
とにかく、人として生まれてきたからにはいつか絶対にこの地に行って欲しいです。
そして自分の目で実物を見て、事実を知って、そして感じてほしい。だからあまり何もかも画像を載せまくらない方がいいな、と思ったのです。
自分は「アンネの日記」だって子供の頃に読んだし、一通り第二次世界大戦時のホロコーストの事とか学校で勉強もしたしTVで取り上げられた番組等も過去に見ていたつもりです。
「こういう事があったんだよね。知ってるよ。本も読んだし学校でも習ったしTVでも見たよ」と思っていました。
でも、実際にこの地に来てみて、そして実際の施設を見てみたら全然自分が知ってた事とは違っていた。
戦争って、集団心理って…そんな通り一遍の言葉で片付けられないものがココには確かにありました。
そして、それを知らないで生きていく事すら罪なのではないか…そう思わざるを得ませんでした。
とにかく、しつこいようですがもう一度書きます。
人として生まれてきたからにはいつか絶対にこの地に来て欲しい。見てください。そして感じてください。いかに愚かな事を人類が犯して来たのかを。知らない事は「罪」なのです。
わ、忘れたわけじゃないの!ちゃんと覚えてて「あーポーランド旅行記の続き作らなくちゃなー」ってずーっと思ってたの!ホントだってば!!
……と言いつつ、前回から4ヶ月も経ってます。もう言い訳するのも苦しい(うぅぅ)
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さて、クラクフに移動した翌日早朝、クラクフ鉄道駅隣接のバスセンターにやって来ました。
今日はバスに乗ってポーランドが誇る世界遺産の1つ「アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所」に行きます!
よく「アウシュビッツ」と聞くとドイツにあるものだと勘違いされている方がいらっしゃるよーですが、実はポーランドにあるんですねー^^;
まあクラクフに初めて来た人なら大抵行くだろうと思います。ツアーだったらまず絶対に行くんじゃないの?
さて、クラクフからアウシュビッツまで行く方法はバスが一般的。
電車も出てますがバスより本数少なくて時間も掛かってしかも鉄道駅から結構距離がある(徒歩20分越)からオススメじゃない。
その点バスなら乗ってしまえば強制収容所入り口まで座ってるだけで連れてって貰えます♪
で、バスチケットなんですが、朝一で行くなら前日にチケット買っておくべき。なぜなら朝一バスが出る時間が早いのでチケットブースが開いてない事が結構あるらしいw
確か座席指定ではないけれどチケに乗車時間は指定で刻印されていたような記憶……だから満席になるとチケ売って貰えないのかもしんない(ここらは実際満席にならないと分かんないね)

アウシュビッツまではクラクフからバスに乗って大体1時間半位。結構遠いんですねー。
それと、アウシュビッツ情報で重要項目として、アウシュビッツ見学は必ず見学ツアーに申し込まなければ入れないという事。
当日窓口で申し込みも勿論出来ますが、ネットで事前予約が出来るので絶対にネット予約しておいた方がいい。何故なら当日窓口は激混みだから!
見学ツアーは人数制限があるから、当日行って直ぐ申し込んで直ぐ入場出来る訳じゃないんですよ。どーかすると何時間も待たされる可能性すらある。
だから特にバカンスシーズンに行く予定の方は事前ネット予約はMUST

↑
アウシュビッツ第一強制収容所入口
それでですね、事前にアウシュビッツの公式サイトでツアー(言語別)の時間を調べてたんすね。
そしたら朝一の時間だけは「FREE」で入れる(ツアーなし)んですわ!(もしかしたら夕方もフリーかもしれないです。自分達夕方に行くつもりがなかったので調べてなかったw)
因みに日本語ツアーはありません。だからロクに何言ってんだか分かんない英語ツアーに申し込む位ならフリーの方がいいやんか!という訳で我々は朝一のフリーチケを予約。
そして…実は日本人の公認ガイドさんがお一人だけいらっしゃるんですが(中谷さんとおっしゃいます)、事前にご都合をメールで伺ったら自分達が行ってる日程の間は日本に帰国してるって(滝汗
まーそーゆー事もあって朝一のフリーで入れるチケを予約した訳ですが。

入口の隣にカフェがあってさー、入場時間までちょっと時間があったからカフェで朝ご飯食べた。
パニーニサンド、すっごい美味しかったんだけどー…かーなーりーお高かった記憶^^;
アレだね完全に観光地ボッタクリ価格だよ。

入口脇にあるアウシュビッツ=ビルケナウの衛星地図画像のパネルかな。周辺の収容所施設の説明がされています。

で、フリーで入る際に(英語が堪能でなければツアーの人でも)入口売店に売ってる↑このガイドブックは絶対に買ってから入場した方がいい。
この公式ガイドブックは本当に親切だった!全ての展示室の説明が凄く分かりやすく丁寧に日本語で書かれてます。
だから時間気にせずにアウシュビッツ見学したい人は「朝一フリーで入って公式ガイドブック購入」、この組み合わせ鉄板ですっ!!
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さあ、中に入ろう。
↑この入口の画像は誰もが絶対に撮影するだろーからアウシュビッツ見学記事では高確率で掲載されてるだろうと思います。
入口のアーチには「ARBEIT MACHT FREI」と書かれている。意味は 「働けば自由になれる」…大嘘やんけ


いきなりなんかドクロマークの立て看とか見るとドキドキしちゃうわよねー^^;

建物が沢山並んでるんだけど、入口にナンバーがついた外灯があるので、ガイドブックでそのナンバーのページを見れば中の展示物の概要が分かる


当時のユダヤ人の皆さんがこの地に収容される様子を撮影した写真パネルとか、書類等も展示されてます。

見学ツアーの方が説明されてますが…多分ドイツ語だったか?何言ってんだかさっぱりわかんねーw

展示物がことごとくエグいんだな…
ユダヤ人を騙して連れて来て(当時彼らには安全な場所に一時的に移住させるとかナントカ言ってたらしい)とりあえず身ぐるみ全部剥いで荷物全部没収して収容所に放り込んだそうで。
それで没収された靴だったりブリキ製品だったり革のカバンだったり眼鏡だったり生活用品だったり、ありとあらゆる物が物品別でうずたかく積まれて展示されてる。
コレは靴を展示してある部屋。特に悲しい気持ちになったのは子供の靴だけを集めて展示してある部屋があったんだよね…その子供達の行く末を思うと言葉がなくなる。

ユダヤ人収容者に着せていた収容服
なんかコレ見て「あー、海外ドラマで囚人がストライプの服着せられてるのってココから来てんの?」とか思っちゃったり。

ガス室で使用したチクロンB(シアン化水素)の缶の山
この缶の数だけガス室で虐殺が…いや、ここに展示してあるのはそのほんの一部らしい(怖)
ガイドブック読みながら展示物見てると段々胸が塞がるような…もう何とも言えないイヤ~な気分になってくる。
撮影出来るモノはまだこれでもマシな方。
ところどころ撮影禁止になっている部屋があって、その中に入ると…もう、とにかく、ゾッとするような世界が広がっている。(要するに余りにも残忍なので撮影禁止になっている)
ある部屋で展示物を見ていたら、自分達の後ろにいたイスラエルからやって来ていた女学生が泣きながら膝から崩れ落ちて倒れてしまった。
周囲のお友達数人が抱きかかえるようにして彼女に声を掛けながら部屋を出ていく。
ここにはお揃いのTシャツやポロシャツを着た学生グループが沢山来ていて、それらの学生達の多くがイスラエルから来た子供達なんだそうだ。
イスラエルの中学・高校では多くがサマースクールや修学旅行の形でこの地にやって来て、自分達の先祖が受けた世にもおぞましい歴史を目で見て肌で感じて行くのだそうだ。
それにしても…ユダヤ人でもないBBAの自分でも思わず目を背けたくなるような痛ましい展示物の数々ですよ。イスラエルの子供達にとっては余りにも辛すぎるだろうに。

人体実験された少女達の写真とかね、、、妊婦は優先的に処刑されたそうですよ。そもそも分娩設備がありませんしね…

女性や子供達中心の収容者の写真と、下に愛らしい子供服や花柄のステキなワンピース(勿論没収物)が展示してあり…痛ましさをより煽る。
因みにこの写真に載っている人達は誰一人この収容所から出られずに生涯を終えたそうだ。

「死の壁」
収容所内の中庭にあった。
アウシュビッツはガス室が有名ですが、ガスだけでなく勿論銃殺もしていました。
この壁に真っ裸にされて立たされて、そして数多くのユダヤ人が毎日のように銃殺されたんだそうです。

銃殺だけでなく絞首刑にもしていました。
死の壁の横には絞首刑用の柱が何本も立っていて…

柱では1人しか吊れないのでこのような鉄棒型の絞首台も作って、一度に10人単位でこの台で絞首刑にしたんだそうです。

医務室…と言うか、薬物等による人体実験室と言った方が正しい。
とにかく何もかも胸糞悪い事この上ない施設の数々…だけど、だからこそ、目を背けてはいけないのだな、と見学している内に思い始めていました。

看守の監視台
当然だけど脱走者はもれなく銃殺。

「ヘスの絞首刑台」
アウシュビッツ初代所長だった「ルドルフ・フェルディナント・ヘス」が戦後(1947年)この場所で絞首刑に処されました。
この地に来てこの絞首刑台を見ると「は?それでお前ら許されると思うなよ!?」ってほとんどの人が思いますよ。

そして…コレが「ガス室」
中に入るのにちょっと躊躇いました。
この建物の中に数多の罪のないユダヤ人達が入れられて、そして先程画像を載せた「チクロンB」を天井から降り注がれ、そして命を奪われていった。
自分は「幽霊なんている訳ねーわ派(因みに宇宙人は絶対にいると信じてる派)」なんですが、でも流石にこの地に来ると…何か声なき声を感じてしまうかもしれない、と怖気付きました。

ガス室の画像は敢えて載せないで(苦笑)…コレはガス室の隣にあった焼却施設
隣のガス室でユダヤ人を大量に処刑した後、体から取れる金品(例えば金歯とか)を奪った後にこの焼却炉で遺体を処分していたんだそうです。
さて、一通りアウシュビッツ第一収容所を見て回ったので、もう一つの第二収容所「ビルケナウ」に移動します。
第一収容所からビルケナウまでは無料のシャトルバスが出ている…という情報まではネットで調べていったのですが、そのシャトルバスの乗り場までは調べてなかった!
グルグル歩き回ってたら、ちょうどシャトルバスが来たので追いかけて走る(←夫婦揃って無駄に体力に自信はありますw)
そしたら…朝クラクフから乗ってきたバスの停留所がシャトルバスの乗り場でした^^;

第一収容所からバスで10~15分程度?の距離だったと思います。
バス停を降りると草っ原の広々とした場所が広がっていました。

で、収容施設の一部が残されていて見学する事が出来るようになっています。

トイレだったかな…正直言って第一収容所よりも色々と施設が粗末になってます。
て言うか、第一収容所ですら結構なエグい施設だったのに、それでも足らずにまだこんなに収容所作りまくってたのか!とそっちに驚きますわ。
(実際はもっともっともっとあって、現存しているのはその中でもほんの一部らしいですが…全くもって恐ろしい!)

ここはいわゆる収容棟ってヤツですね。
粗末な簡易ベッドがあって、そしてこの真ん中にあるのは…暖房設備ですね。薪を焚いてその熱を管で建物の奥まで行き渡らせたのだろうと。
この設備ね…全く同じようなモノを昔「網走刑務所」でも見ましたわ。こういう設備って誰に教わるでもなく世界共通で開発されるんですね^^;

収容施設が残っているのはほんの一角で、後は線路と芝生の野原が続いているのですが…奥の方に進んでみるとこんな列車が停めてありました。


ドイツが敗戦して連合軍がこの地を制圧に来ると分かって、慌てて自分達の残虐行為を知られるのを恐れて施設を爆破しまくったんだそうです。
その残骸も当時のまま残されていました。


鎮魂の為の慰霊碑が奥に鎮座していました。
この地で犠牲になった各国のユダヤ人を弔う為にそれぞれの国の言葉で碑文が記されています。
一応探してみましたが…日本語の碑文はありませんでした。まあそうですよね^^;

なんだか去り難い気持ちになって、かなり長い間この場所で似たような画像ばかり撮っていました。
今回はここまで、敢えて割と淡々と画像にコメ付けて来たつもりです。
そして自分が撮影した画像の中では割とソフトな物を選んでココに載せたつもりです。(代表的な施設や建物は使いましたが)
何もかも載せるべきではないな、と思ったので。
とにかく、人として生まれてきたからにはいつか絶対にこの地に行って欲しいです。
そして自分の目で実物を見て、事実を知って、そして感じてほしい。だからあまり何もかも画像を載せまくらない方がいいな、と思ったのです。
自分は「アンネの日記」だって子供の頃に読んだし、一通り第二次世界大戦時のホロコーストの事とか学校で勉強もしたしTVで取り上げられた番組等も過去に見ていたつもりです。
「こういう事があったんだよね。知ってるよ。本も読んだし学校でも習ったしTVでも見たよ」と思っていました。
でも、実際にこの地に来てみて、そして実際の施設を見てみたら全然自分が知ってた事とは違っていた。
戦争って、集団心理って…そんな通り一遍の言葉で片付けられないものがココには確かにありました。
そして、それを知らないで生きていく事すら罪なのではないか…そう思わざるを得ませんでした。
とにかく、しつこいようですがもう一度書きます。
人として生まれてきたからにはいつか絶対にこの地に来て欲しい。見てください。そして感じてください。いかに愚かな事を人類が犯して来たのかを。知らない事は「罪」なのです。