その死を明らかにしないまま、静かに逝ってしまったことは、いかにも原節子らしい。小津の通夜以降、完全な隠遁生活に入った彼女は、きっとずい分と前からそうすることを決めていたのだろう。
何度も何度も彼女を特集して来て、しかし実際に彼女の死を迎えると、予想以上に苦しい。わたしも含めた往年の映画ファンは、どんなときも「彼女がどこかで生きている」ことにすがって生活していたのではないだろうか。
小津の死に号泣した彼女の、それ以降の五十年以上の沈黙を、わたしたちは
「原節子はいまどんな思いでいるだろう」
「彼女はしあわせでいるだろうか」
と案じ、案じることができるという事実に安堵していたのだ。
港座の上映会では、原節子と高峰秀子は圧倒的な存在。他の役者とは歴然と集客力が違う。年輩の観客たちは劇場を出るときに例外なく
「(原節子は)綺麗ねえ」
とつぶやいていく。まったく、そのとおりだと思う。
「お嬢さん乾杯」(木下恵介)で、いきなりアップになるシーン、「わたし、ずるいんです」と義父の前で感情を爆発させる「東京物語」(小津安二郎)、「めし」(成瀬巳喜男)、「青い山脈」(今井正)……名シーン、名作の数々が彼女の名を永遠のものにしている。
特に、わたしが日本映画のベストだと思っている小津の「麦秋」だけでも見てほしい。いかに彼女が特別の存在なのかわかってもらえるはずだ。
女優である限り、舞台に進出する選択肢だってあったはず。しかし彼女は観客と同じ空気を吸い、板(舞台)のうえで注目を浴びるという喜びも拒否してきた。しかも五十年も私生活を明かさないままに。完全な、映画女優。
渥美清、緒形拳、原田芳雄のときに痛感した思いを、またしてもわたしたちは経験しなければならない。これからわたしたちは、原節子のいない人生を送らなければならないのだ。
それでも、彼女が沈黙することで永遠のものにした「映画における原節子」の美しさはこれからも健在だ。それだけが、それこそが救いではないか。合掌。