その35章「リトル・ブッダ」はこちら。
サッチャーのお話を史劇として取り扱うのかは微妙。でもわたしは歴史のなかに押し込めたい。
数々の主演女優賞をメリル・ストリープにもたらした作品だが、わたしは敬遠していた。だってあのサッチャーの伝記映画なのである。嫌いだったなあ。
80年代のロン(ロナルド・レーガン)、ヤス(中曾根康弘)、サッチャーの新自由主義トリオに、世間の支持はあつまったけれども、わたしはいいかげんにしてほしいと思っていた。
さてこの映画は、ひとりの老婆が食料品店を訪れるシーンから始まる。もちろんサッチャーである。メリル・ストリープの老け演技が徹底していて、おそらくは身体の動かし方をかなり研究したのだろう。
彼女は少し認知が入っていて、すでに亡くなっている夫の姿が見え、会話もしている。サッチャーのまわりはそのことに不安を募らせている。そしてサッチャーの回想がはじまる。
まだ女性が政治家をめざすことに偏見があった時代。同時に、食料品店の娘である平民が政治を行うことへの偏見もまだあった時代。マーガレットはまわりの女性たちから嘲笑されながらも勉強に打ち込み、オックスフォードを卒業する。しかし最初の選挙では落選する。
そこに登場したのが、のちの夫である実業家デニス・サッチャーだった。
「実業家の妻として立候補すれば、当選できるよ」
そんな時代だったわけだ。
彼女が首相になって以来、その苛烈な政策によって労働者たちの生活は困窮し、次第に支持を失っていく。
そこで起こったのがフォークランド紛争だった。はっきりとアルゼンチンとの間の戦争なのだが、強硬策をとって勝利したサッチャーの人気は回復する。そういうことだったわけだ。
人間としての弱さも見せてメリル・ストリープの演技はやはりすばらしい。でもね、わたしがサッチャー嫌いであることは変わらないのでした。
第37章「サムソンとデリラ」につづく。
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