引用して紹介しようと思ったけれど、至言の連続でどこをピックアップしたらいいかわからん。とりあえず、一度読んでみてほしい。渋谷陽一と鈴木あかね(ロッキング・オン編集部。イギリス狂い)のみごとな突っ込みが藤原の政治学者としての提言に具体性を付与しているし、現在の政治状況がいかに危ういものであるかを感じることができる。
なかでも、現実主義として武装なり改憲なりを訴える勢力の幼稚性を危惧するあたりは圧巻。「実際に北朝鮮が攻めてきたらどうするんだ」「アメリカのイラク攻撃に日本が反対するわけにはいかない」とする、一見オトナの対応も、むしろ無用なリスクを背負い、政治的不安定性を加速させることでコストを増大させていると斬って捨てている。
しかしひるがえって平和主義者とよばれる層のことも「ラブ&ピース」と言い続けることで平和が実現できるわけではない、と納得できる発言も。むしろ、戦争への可能性を「めんどうくさいけれど、ひとつひとつ潰していく」努力にしか平和への道はないというのだ。まあ、わたしたち一般市民がラブ&ピースと言い続けなければ意味ないけどさ。
「下山事件」「さらば外務省!」とのつながりで日本人論をひとつ。この沸騰しやすい民族は、極端から極端へ走りすぎる。藤原は言う。《日本は〈平和〉という色眼鏡をもって世界を見る状態から、一転して軍隊に対する希望的観測でものごとすべて見る方向にひっくり返っちゃったんですよね。軍隊なかったら平和になるんだっていう極端な平和主義が裏返しになったみたいなね。世の中は危ないんだからガツンとやるしかないっていう。これは逆の軍事崇拝みたいな感じで、教条的ですよね》《憲法をベースにした平和主義があまりに実情と離れてしまったため、逆に軍事力に対する過度の楽観主義が広がっちゃった》
北朝鮮問題で言えば、冷たいようだけれどよくよく考えれば拉致家族よりも核問題の方がはるかに大きな問題で、現実に他国はそう見ている。六ヶ国協議の重点もそこにあるのに、民族的熱狂による拉致問題への傾斜が、日本を孤立させ、行く末をむしろ暗澹たるものにしている。
現実主義と平和主義で言えば、この二つが相反している状況こそが危うい。老練で卑怯な、そして金をうまく使うという見地からの創造的外交がこの国には求められているはず。つまり、うす汚く小狡い非戦志向といったところに着地しなければ、この国はいつまでも“すぐに逆上する子どもの国”でしかないとわたしは思っている。
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