林美雄アナウンサーは、(2002年)7月13日 午前5時10分頃、肝不全のため入院先の病院で亡くなりました。58歳でした。
林アナウンサーの経歴や業績については既に各紙面でも報道されていますが、私共アナウンサー仲間にとっては、良き同僚であり、先輩であり、先生でもありました。
4年半前に胃ガンが見つかって以降は入退院を繰り返しつつも、昨年のアナウンサーイベント「アナフェスタ2001」には元気に出演するまで回復し、またあの美声と名調子を聴けるチャンスも増えるのでは、という期待と願いも虚しく逝ってしまったことは本当に残念でなりません。
ここに、心からご冥福をお祈りいたします。
なお、葬儀は親族のみの密葬で行われますが、8月25日にTBS有志でお別れの会を開く予定です。
TBSメール「アナウンサー通信」より
……それぞれの世代によるのだろうが、私が最も深夜放送にはまっていたのは1970年代。まるまる、私の十代にあたる。
数多くのDJ(まだパーソナリティという呼称は一般的ではなかった)のなかで、もっとも70年代的なものを体現していたのは、意外なことにTBS“社員”林美雄だった。
この人が純朴な山形の少年に与えた影響は計り知れない。深夜1時からのパック・イン・ミュージックにおいて彼が放つ日本映画やロック業界話こそ、その道(笑)に私を走らせた元凶だ。日活ロマンポルノや東映やくざ映画のディープな世界を紹介し、桃井かおりや酔っ払った中川梨絵(「竜馬暗殺」「○秘女郎責め地獄」)をゲストに呼び(勝手に乱入され)、『ユア・ヒットしないパレード』(文化放送の「ユア・ヒット・パレード」のパロディ)のコーナーでほとんど無名だった荒井由美や佐野元春を徹底的にプッシュした慧眼の人。「アンジェリーナ」なんか何週間1位にランキングされただろう。
彼のほとんど同期に小島一慶や久米宏がいたわけだが、一番放埒に見えた林が会社に残り、どの程度のランクなのかは判然としないが次長級にまでのぼった経過はよくわからない。最もフリー向きと思われた小島がスキャンダル(金髪買春、だったか)でつぶれ、久米がご存知の活躍をしていることに、彼がどんな思いでいたのかも。
話はちょっとそれるけれど、伝説の名放送として名高く、後に何度も再放送されたのが「墓地を歩きながら実況する(何を?)小島一慶を、陰に隠れながら小声で『バカだねーあいつ』とか揶揄し続ける久米宏」という、こう書くとわけわかんないのだが当時の深夜放送の何でもあり状況がよくわかる小島一慶パックもあったっけなー。
以下第二夜へ。
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