事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

「背いて故郷」 志水辰夫著 新潮文庫

2011-07-21 | ミステリ

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背いて故郷 (新潮文庫)
価格:¥ 700(税込)
発売日:2005-01
故郷、のひとつは鶴岡に設定されています。テレビ塔があるあたり、というから高舘山か。友人の墓前で主人公は後悔に苛まれ、ラストに至って同じ場所で……。志水辰夫の、濃厚な味わいはこの作品でピークに達しました。

第六協洋丸、仮想敵国の領海に接近するためのスパイ船。柏木はその仕事を好まず、親友・成瀬に船長の座を譲った。だが成瀬は当直中に殺されてしまう。撮影済みのフィルムを奪われて。禁忌に触れてしまったとでもいうのか?柏木は北の大地を餓狼の如き切実さで駆けめぐった。ただ真相に迫りたかったのだ。彼の前に立ちはだかるのは“国家”、そして―。(BOOKデータベースより)

故郷、にはもちろん国家という意味もかぶせていて、スパイ小説としてもかなり読ませます。ある国家に忠誠を誓いながら、しかしそれ以上に個人として、職業人として仕事の完遂をめざす男たち、女たち。そのプロ意識は家族愛とも相まって濃厚。

ハードボイルドの主人公の常として、いつもやせ我慢をしているんだけど、それを女性たちがそっと支えるあたりの叙情はさーすが男性版ハーレクインの本領発揮。そしてその叙情をいきなりひっくり返すテクニック。やるなあ。

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追悼原田芳雄

2011-07-20 | 芸能ネタ

Ryomaansatsuimg01 絶句する。

長くはないんじゃないかと心配していたけれど、こんなに早くその日が来るとは。
だって大楠道代と岸部一徳とフジテレビで対談してたのって先々週じゃなかったっけ?

原田芳雄は、はっきり言ってわたしの世代のスーパーヒーローだ。
いちばん最初に意識したのは浅丘ルリ子と共演した「2丁目3番地」(日テレ)。
明朗で清潔な石坂浩二がいながら、浅丘ルリ子が選んだのがダークな原田芳雄だったと気づいた瞬間からわたし人生を間違えました。確か原田は天気予報官の役だったと思う。

今とまったく同じあの調子で(脚本は倉本聰

「だいじょうぶだ。オレ、初めて自分が予報を担当するんだけど、その日は雨だ」

「ほんとに?」

と浅丘。逆だったかもしれないけど予報は大はずれ。
落ちこむ原田がかわいかったー。1971年のことです。

同じ年のNHK大河ドラマが「春の坂道」

柳生但馬守を萬屋錦之介(当時は中村錦之助)が演じたやつ。原田がそこで演じたのは柳生十兵衛。権力そのものになっていく父親との相克が……小学生がそんなことわかるわけがなくて、でも

「村雲」

なーんて型を切れ味鋭くやっちゃう錦之助と不良少年そのものである原田の対比が面白かった。確か沢庵役が田村高広

Haradayoshioimg02 映画ではもちろん「竜馬暗殺」「祭りの準備」「ツィゴイネルワイゼン」「浪人街」「父と暮らせば」あたりが代表作なんだけど、「やさぐれ刑事」「君よ憤怒の河を渡れ」の無責任さがよかった。あの線を松田優作は狙ったはずよね。

で、近年は彼のうまさに磨きがかかっていて、無器用だったはずの彼のスタイルが、んもう総理大臣(亡国のイージス)だろうがシルバーのじいさん(奇跡)だろうが自由自在。ほんっとにうまい役者になってたんだよなー。

NHK広島放送局がつくった「火の魚」を見ることができたのがわたしの財産かも。あーなんでだ。なんで死んじゃうんだ。

ものすごくわがままなことをいえば、死ぬのはあと十年たって、わたしが六十代になってからにしてほしかったの。それだと、なんか

“原田芳雄が死ぬことへの準備”

ができてたような気がするの。なんだそりゃ。なんだそりゃ。

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明細書を見ろ!2011年7月号~チャリ通のルール2

2011-07-19 | 明細書を見ろ!(事務だより)

Denderaimg02 PART1はこちら

さて、チャリ通が通勤手当にどのような影響を与えるか。まずは山形県の交通用具使用者の通勤手当額表を見てみましょう(めんどくさいので略します)。いくつかのことが読みとれるはず。

・手当額は2㎞ごとにランキングされている。

・通勤距離の伸びと手当額の相関は微妙(距離が伸びれば燃費がよくなるはず、という理屈なのに、よく見るとそう簡単な数値ではない)。

そして

・自動車を使用した場合と二輪車の場合は支給額が違う。

のです。しかもこの差は距離が長くなるにつれて大きくなっています。こちらは歴然と燃費が影響しているのでしょう。

もっとも、燃費といっても“自動車”と“二輪車”の違いは車輪の数だけ。内燃機関の有無は問われません。つまり、オートバイでも自転車でも手当額はいっしょ。

それでは先月登場した51才の事務職員の例で考えてみます。この男は

「雨」

「5メートル以上の向かい風」

くわえて今月から

「予想最高気温30℃以上」

の日は四輪を使用していますが、他は自転車。こんなときの通勤手当はどう考えるべきか。条例や規則をひっくり返して調べているのですが、日によって二輪を使うか四輪を使うか不確定な場合というのはあまり想定されていなくて、あくまで“常例”という耳慣れないことばでかたづけられています。

素直にとれば回数の多い方で考えるのでしょうが、旅費の直行直帰の問題や、公務災害などを考えると、ことは簡単ではなさそうです。

しかしこれだけは経験者として言えます。交通事故の確率などを考えると、およそメインの通勤方法として自転車はおすすめできる代物ではありません(あまり自転車通勤者がふえるとなんか悔しい気がする)。しかし“もうひとつの”手段としてならかなり有効でしょう。

でも、まもなく山形県もヘッドホンをして自転車に乗ることは禁止される模様。チャリ通の最大の魅力はiPodなので、あれが禁止だとどうすっかなあ……。

画像は「デンデラ」(2011 東映)

鶴岡まちなかキネマに行ってびっくり。成人指定どころかR40ですかといいたくなるぐらい高年齢な観客でいっぱい。まあ、内容は70才ジャストの浅丘ルリ子が

「ったく近ごろの若いババアときたら」

と呆れられる始末ですから(笑)。浅丘の女優魂に脱帽。

2011年8月号~太陽光につづく

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上棟式~あるいはなでしこジャパンのこと。

2011-07-18 | まち歩き

Jinjaimg01_2 「ご神体」シリーズはこちら

今日はその、新しい神社の上棟式。

午後4時に神社集合、ってことになってるけど、いったいどんな格好で行けばいいのかさっぱりわからず。

その神社の隣に住んでいる男に携帯できく。

「みんな普通のかっこだぜー」

要するにただの餅まきだと。まあそうは言ってもちょっとはフォーマルに、と白シャツにコッパン(死語)。

神社に行く途中でとなりの奥さんに「こんなかっこでいい?」ときいたら、「……やめでよ。あたしこのまんま行ぐあんよ!」そうか短パンTシャツでもよかったのかー。

でもいざ神社に行ったら男たちはやっぱりちょっとキチンとした服装なのでした。

神社の隣の男はいきなりおじけづき
「着替えでくっがな」今さら遅いだろ。

神主さんの祝詞のあと、大工たちが屋根を叩く儀式。これって民家を建てる時もやってるのかな。そして施主である氏子総代たちがお餅と5円玉をぶんまく。

とりあえずあっつー。しかも強引に日本酒を飲まされたのでなお暑い。ウチに帰ってなでしこジャパンの特集を見てまた熱い。

午前6時ぐらいから見てたけど、まさかオレの目が黒いうちに(死語)サッカーのワールドカップで日本が優勝する瞬間を見ることができようとは。

ところで、なでしこって、どんな花?

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「小さいおうち」 中島京子著 文藝春秋

2011-07-18 | 本と雑誌

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小さいおうち
価格:¥ 1,660(税込)
発売日:2010-05
静かな、とても静かな家庭小説に見せて、これがなかなか一筋縄ではいかない作品なのでした。

山形から女中として上京したタキは、老小説家から「かしこい女中とはどんなものか」を例示される。ご主人様のために、お友達の原稿を暖炉で焼いて差し上げた女中の話。

小さな文化住宅で、美しい奥様に奉公することになったタキは、ある“かしこいこと”をするのだが、その行動が意味するものとは……

戦前と戦後が、実はそう極端に変わっているわけではない、ということをこれでもかとエピソードをつめこんで描いている。戦争に向かうなかで、歴史上は悲惨な事実の集積だけれど、都会に住むお嬢様、奥様たちにとっては、披露宴のごちそうが天ぷらになってしまうことの方が深刻なことだったりする。

そんな無邪気な奥様と旦那様も、人に言えない秘密をかかえていて、タキはそれを若いながらに冷静に見ている。そう、家政婦はやっぱりなんでも見ているものなのであり、女中にかぎらず家庭の中に他人を受け入れる層に求められるのは、見られていることに鈍感、と言って悪ければ“無いことにできる”度量。ウチは絶対無理だな。金銭的にも精神的にも。総中流化した以降の現代では、女中という文化が消えるのも無理はない話。

タキが書いている思い出のノートを、甥の次男坊が盗み読みしている、という設定なんだけど、終章でひっくりかえし、タキが文学用語でいうところの『信用できない語り手』だったことがわかる。このあたりはミステリ的でけっこうでした。

かしこい行動をとったせいで、タキは晩年に悲嘆にくれるのだけれど、なぜタキがその行動をとったか、というあたりは説明過剰じゃなかったか。伏線がバリバリはってあるので多くのミステリ好きは感づいてるんだけどな。

読み終えてから、あらためて表紙をながめるとしみじみできます。

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「ゼロの焦点」がわからないPART10

2011-07-17 | ミステリ

Zeroimg13 PART9はこちら

傷だらけの顔で

「新しい時代が来ました」

とあいさつする中谷美紀。そのころ、鹿賀丈史はなんと警察に自首して出る!彼が西島秀俊を殺害したのであり、その動機は木村多江を自分のものにしたかったから……かなりきつい理屈だが、彼は署内で警官の拳銃をうばって自決するのだ。これまでの「ゼロの焦点」にはもちろんなかった展開。

夫がみずからに殉じたことも知らず、あいさつを続ける中谷。そこへ広末が登場し、壇上の中谷に必殺のひと言。すでに壊れかけていた中谷を追いこみ、一種の復讐がここで完遂する。

今回の「ゼロの焦点」の主題は『リセット』だ。戦争によってねじ曲げられたそれぞれの人生を、どうリセットしたか。あるいはどうリセットに失敗したか。

・中谷美紀は、婦人の政治参加によって戦前なるものへの決別をめざし

・木村多江は、教育もまともに受けられなかった過去を、優しい男の胸の中で払拭しようとする

・鹿賀丈史は戦争によってむしろ勝ち組となった男だが、しかし妻の過去からどうしても逃れられなかった

・西島秀俊は、『戦後』の象徴である無垢なる広末涼子との生活によって戦争からの決別を図ったが、その夢はかなえられなかった

……かなり強引。思いきり好意的に解釈しました(笑)。

おそらく作り手たちは、こんな形で、特に女性客を泣かせようと考えたのだろう。よく考えてみれば、下半身にだらしない男の失踪に当初はすぎなかった事件なのに。

しかしエンディングはいい。中谷の弟の描いた、彼女の姿が現代の画廊に飾ってある。戦争で父母を亡くし、子どもだった弟のために、“もっと長く子どもでいられたはずなのに”早くから弟の父であり、母であることを戦争に強いられた女性の絵。その顔は、まだ傷ついていない。

「チャイナタウン」がわからない、につづく

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「SUPER 8 / スーパーエイト」 (2011 パラマウント)

2011-07-16 | 洋画

Super8img01 もちろん子どもたちがメインのお話だけれど、中年男のためにつくられた作品のようでもあったのでした。

なにしろ主人公ジョー(ジョエル・コートニーかわいい!)とアリス(エル・ファニング)の父親たちがなさけないったら。彼らは二人ともジョーの母の事故死からいつまでも立ち直れず、かたや息子に隠れて涙をぬぐい、かたや事故の責任が自分にあるのではないかと自堕落な生活から抜け出せないでいる。なんか、わかるなあ。

冒頭、この工場の無事故記録の看板が掛け替えられ、死亡事故の存在が暗示されてジョーの母の葬儀に場面転換。そして4ヶ月後、いきなりELOの「ドント・ブリング・ミー・ダウン」(ぼくをがっかりさせないで)が流れて映画撮影に夢中になるジョーたちの姿に……あいかわらずJ.J.エイブラムスは嫌みなくらいうまいっす。

徹底して秘匿された作品情報は、公開された途端にじゃじゃ漏れ。それは仕方ないことなんだけど「E.T.」「スタンド・バイ・ミー」であることがバンバン漏れ伝わるのはどうなのかなあ……あ、オレも言っちゃってるけど。

なにせこの映画のキモはこの二作の引用、と言って悪ければオマージュだけ、といってもいいくらい。ラストに明らかになるモンスターのあの表情に「Be Good」って言い出すんじゃないかと思ったのはわたしだけじゃないだろうし、リバー・フェニックスの涙に相当するシーンも、ちゃんとエル・ファニングで再現してあります。

他に、「JAWS」でロバート・ショウが黒板をカリカリする集会とか、高所作業車の上で不意打ちをくらう場面(ジュラシック・パークっぽい)とか、製作を担当したスピルバーグからいただきまくり。

実は低製作費で作品を仕上げてしまう手管にしても(「E.T.」がまさしくそうだった)、オレが二代目を襲名させてもらうっす!というエイブラムスの高らかな宣言。

まあそれだけだと単に嫌みな野郎ってことですけど、音楽の使い方のベタさがおかしいので許す。1979年って設定なので、テーマソングはナックの「マイ・シャローナ」、初代ウォークマンでガソリンスタンドの店員が聴いているのはブロンディの「ハート・オブ・グラス」。

「き、きみの姉さんはどんな音楽が好き?」

「ディスコかなあ」

ってことで現像屋のお兄ちゃんがいきなりシックの「おしゃれフリーク」を聴き出すあたりに爆笑。おまけにこのお兄ちゃんがラリったときに流れるのがアラン・オデイの「アンダーカバー・エンジェル」!アランを山下達郎がらみでしか知らない人は必聴ですよ。

さて、この映画を傑作(でした、意外なことに)にしたのは、エイブラムスのテクニック以上に、エル・ファニングって存在のおかげ。ゾンビメイクでなお美しさが引き立つあたり、お姉さんのダコタ以上かも。彼女のすばらしさを味わうためにも、エンドロールが始まっても絶対に席を立っちゃダメ!まあ、ジョーが大人になった象徴として飛んでいくペンダントに中年男たちは涙しているでしょうからだいじょうぶか。

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「ゼロの焦点」がわからないPART9

2011-07-15 | ミステリ

Zeroimg11 PART8はこちら

能登の断崖に立つ西島と中谷。映画では、この瞬間に中谷が殺意を抱いたように描いてある。自分の過去もこれで清算できる、と。ドラマの流れで言えばしかたのないところか。

しかし裁判にもちこまれれば、これは明らかな計画殺人ということになるだろう。被害者をだまして(たとえ被害者に倫理的な弱点があったとしても)遺書を書かせ、自分に都合のいい結果を生んだのだから。

中谷の暴走は止まらない。西島の行方を追ってきた杉本哲太を毒殺し、うろちょろ探っている野間口を刺殺。そして、逃走を助けると見せかけて木村多江を……

中谷の殺意を感じた木村の演技は見応えがある。

「親切ごかしにこの(赤い)コートを着ていけなんていってぇ」

そう言って中谷を糾弾しながらも、彼女のためにみずから死を選ぶ。バッグには母子手帳が入っていた……語尾を微妙にのばして表現がきつくならないあたり、方言のチカラもあるんだろうが(まだ耳に残っています)。三人の女優の競演という見地からいえば木村の圧勝です。JFN「世界にひとつだけの本」で毎週聴かせる表現力はやはりたいしたものだ。

お気づきのように、すでに中谷美紀はこの時点で(自殺、胎児もふくめて)5名の命を奪っている。壮絶な連続殺人。ここから感動にもっていくのはかなり大変。そのため、映画は少し無理をする。

Zeroimg12_2 家に帰った中谷は狂乱し、顔をガラスで傷つけるなど、まるで舞台劇のような様相に。家政婦たちを下がらせた鹿賀丈史は、そんな彼女をやさしく抱擁する(伏線)。

市長選の結果が出て、女性市長実現。運動員たちは狂喜する。そして、選挙結果報告会が「砂の器」におけるコンサート会場のようになり、晴れの舞台から犯人が奈落に突き落とされる展開に。次号最終回

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「ゼロの焦点」がわからないPART8

2011-07-14 | ミステリ

Zeroimg10 PART7はこちら

パンパンの取締りにかり出されていた西島は(要するに日本の警察は、GHQの下っ端あつかい)、ふたりを見逃すことで「使えねーなお前は」と米兵になぐられる。逃げながらそれを見ている木村。

長い年月がたち、その木村と西島が金沢で再会してしまったことが悲劇のスタートだったわけだ。

さて、ここで「ゼロの焦点」における最大の疑問点が。

西島秀俊は木村多江と同棲をはじめるが、その事実は徹底して秘匿される。ある時点までは中谷美紀にさえである(西島の兄だけは感づいていて、だから「どうせあの女のところに」と楽観していたわけ)。

現地妻というアンモラルな存在だから、という割り切りでは西島の人間性と矛盾するではないか。そのうえ

「若い、マシュマロのような唇の女と結婚したくてあなたを捨てた」(中谷が木村に告げたセリフ)

のだとしたらちょっとひどすぎる。広末が愛した(と自分では思っている)男性がこんなことでは、「ゼロの焦点」は感動大作にならないのでは?

その点をごまかすためか、ドラマはここで急展開する。自分が去ったあとの木村の生活の面倒をみてやってほしいと中谷に依頼する西島。ムシがいいにも程がありますね。

「あなたのような男がいつも女を苦しめてきたのよ!」

まったく。

そこで中谷は思いつく。金沢における西島の存在は、変名を使っていたため(これも変でしょ)、その架空の人物を死亡という形で消してしまえばいいのではないかと。

西島はその提案にのり、木村に向けた遺書を書く。そして断崖絶壁から身を投げたように偽装するのである。だが……以下次号

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「ゼロの焦点」がわからないPART7

2011-07-13 | ミステリ

Zeroimg09 PART6はこちら

問題は動機だ。なぜ中谷美紀は、実は愛人でもなんでもなかった西島秀俊を殺害しなければならなかったのか。

納得できないでいる広末は、夫がむかし勤務していた立川警察署に向かう。

ここで脚本は「砂の器」パターンに走る。殺人犯には哀しい過去があって、運命、宿命に翻弄されて事件に至ったと。

「砂の器」にはハンセン病という背景があったが、「ゼロの焦点」においては、近代的な考えを持つ戦後派の女性に見えた中谷が、実はパンパン(洋娼)だったという事実が引き金になっている。

え、なんだパンパンって?ですか。しょうがないなあ。松田優作の「人間の証明」も見てないんですか。あの作品で岡田茉莉子が戦後の混乱期に黒人兵といちゃいちゃしていたでしょう?勝者である米兵に身を売ることで生計を立てていたので、日本人は彼女たちにとても屈折した思いをもっているわけ。

立川警察署における西島秀俊の当時の同僚、「踊る大捜査線」でもいい味を出していた小木茂光(くどいようだけど一世風靡の人ね)は語る。

「ついこの間も、同じ問い合わせをしてきた人がいましたよ」

鹿賀丈史である。彼も妻がどんな過去をもっていたか調べに来ていたのだ。広末はここでようやく中谷美紀の過去を知る。そのころ、木村多江もまた同じパンパンだったことも。 ふたりはエイミィ(木村)とマリー(中谷)という仲間同士だったのだ。

その当時、ふたりはGHQの摘発を逃れて学校の音楽室に入りこむ。観客はここで、木村がやはり文盲であったことに気づかされる。中谷は彼女に、黒板に書いてあった歌を教えてあげる。

♪この道は いつか来た道♪

ふたりの来た道がフラッシュバックする。そしてその小声の歌を、警察官だった西島が聴いていたのだ。以下次号

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