第10回はこちら。
昨日は「べらぼう」にしても「御上先生」にしても、演出がさえわたっていた。役者の“間(ま)”がすばらしいのだ。寛一郎も松坂桃李も、ある申出に対して、間髪を入れずに受け入れる。男気を示すみごとな解釈だと思います。
にしても寛一郎はいい。
もちろん、血筋の問題はある程度影響しているのだろう。三國連太郎が祖父で佐藤浩市が父親とは、サラブレッドここにきわまれりだ。
しかし彼の作品の選択を観れば、よほど優秀なスタッフがいるか、本人が脚本を読めるかだ。俳優として初めて演技をしたのがあの「菊とギロチン」だったとはすごいし、以降もキネ旬ベストワン「せかいのおきく」(このタイトルは絶妙だった)や「ナミビアの砂漠」と傑作に出続けている。
かと思えば「グランメゾン東京」や「鎌倉殿の13人」などのメジャーどころも押さえているし、ラフカディオ・ハーンをモデルにした朝ドラにも登場予定だ。順風満帆に見える。
でも、異能の祖父と父を持ち、同じ業界を歩むことは、かなりきついことでもあるのもしれない。
「御上先生」の方はまもなく最終回。おそらく最初から見直すことになるだろうけれど、きのうの回はきつかったなあ。
わたしは事情があって兄弟のお話に弱い。だからブラピの「リバー・ランズ・スルー・イット」には号泣したものだった。
そしてこの「御上先生」も、失われた兄の存在を乗り越えなければならない展開だった。となりで観ている妻にばれないように涙をぬぐったけれど、バレバレだったんだろうな。兄が死を選んだのはまだ二十歳だったのだ。無惨だなあとつくづく思う。
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