第二次ポエニ戦役、通称ハンニバル戦争のお話。
普通はカルタゴの英雄ハンニバルの、象を引きつれたアルプス越えなどの血湧き肉躍る天才的戦術を語るところを、彼を迎え撃つとっぽいお兄ちゃん、ローマの貴族スキピオの側から描いている。
語り口はかなりくだけているので、まるで「泣き虫弱虫諸葛孔明」(酒見……あ、こちらも賢一という名だ)を読むような気分。なにしろ彼の初登場は人妻との浮気を父親に叱責される場面という情けなさですから。
ハンニバルはまさしく天才で、ローマは彼に連戦連敗。それどころか、勝敗以上に全軍を殲滅させられる。この恐怖は共和政ローマにとってよほどの悪夢だったに違いなく、「羊たちの沈黙」などの人食いレクターのファーストネームがハンニバルなのも偶然ではないだろう。彼は一種のモンスターとして、ラスト近くまで人間的側面がまったく描かれない。
わたしはプランス革命ものから読んだので佐藤賢一は(郷土の誇りなのに)苦手だったのだけれど、後半、スキピオが自分は凡才であると知り、そのために徹底的にハンニバルの戦術を研究し、みずからの戦略を実現するために兵士を鍛え上げるあたりからむやみに面白くなる。
しかしハンニバルの戦術が独創的だったのに、そのフォロワーであるスキピオがなぜ勝つことができたかというラストは苦い。最後に勝つのは凡庸な人間なのだという結論。スキピオ自身も、そのことを戦役後に思い知らされる。
それでも、このふたりの名は歴史に残り、彼らの戦いは現在でも兵学校で研究されている。以て瞑すべしであろう。少なくとも、凡才の読者はそう総括しなければ歴史小説を読む甲斐がない(笑)。
「熱き心に」 大滝詠一
PART4「A面で恋をして」はこちら。
はっぴいえんどの盟友である細野晴臣との対談は趣き深い。
細野:歌謡曲の仕事は、頼まれたらやるという感じでやってきてる。それが結果的にはおもしろいことになる。例えば、ヒットチャートで作者欄に松本、大瀧、細野が並んだりとかね。松本がけっこう意識してね。
大瀧:あいつがフィクサーだ!?
……細野晴臣はイモ欽トリオの「ハイスクール・ララバイ」大瀧詠一は松田聖子の「風立ちぬ」が大ヒット。作詞はどちらも松本隆。
「ナイアガラ・トライアングルVol.2」にはもっとこぼれ話が。鈴木雅之との対談で
鈴木雅之:ちょうど大瀧さんが「ナイアガラ・トライアングルVol.2」を録音してるとき、隣のスタジオでレコーディングしてたのが俺たち(シャネルズ)。で、呼ばれて佐野元春の「彼女はデリケート」っていう曲のコーラスやってみろって言われて、やったわけ。
大瀧詠一:まあ、同じエピックだからいいだろう、ってことで。だから、その「彼女はデリケート」には彼らのコーラスが入って(佐野のアルバムの)A面の1曲目ですよ。クレジットには出してないけど。
……「彼女はデリケート」は、佐野元春が沢田研二に提供した曲のセルフカバー。まさかシャネルズがノンクレジットで参加していたとは。ソロのバージョンもすばらしいっすよ。確か佐野とマーチンは、バブルガム・ブラザーズのコーンを真ん中に、意外に関係が深いのでした。運命。佐野はプロデュースというものを大瀧と伊藤銀次に学んだと公言しているので、これも縁というものなのだろう。
「熱き心に」
大森昭男:小林(旭)さんの娘さんが、大瀧さんのファンだったんですってね。あの大瀧さんがうちのお父さんに曲を書いてくれるはずがないって言われたらしくて。カセットを証拠に持って帰ると言われてましたよね。
大瀧:僕は以前、僕の仮歌を家で流していた時に、娘さんが2階から「これ、大瀧詠一でしょ!」って降りてきたっていう話を聞いたことがありますよ。それで「おう、お前知っているのか」って言ったっていう。
……うわー、めちゃめちゃいい話だなあ!
ほんとにダメだあ(笑)。ミスターの半生は、マジでダメダメの連続。
しかし(大泉洋という天才の出現があったにしろ)彼のダメダメさが札幌の地にローカル演劇を根づかせたのだろうし、現在のNACK5の隆盛がある。
まあ、奥さん(いまは社長でしたっけ)がとてつもなくしっかりしているという事情もあるのでしょうが、しかし奥さんをその気にさせたのも鈴井の人間性の勝利かも。
「水曜どうでしょう」の、あの緩さをストレートに画面に定着できたのも、きっとミスター(鈴井)のお手柄だ。ダメダメも突きつめればプラスに転ずるという好例か。彼の並外れたプロデューサー体質はダメじゃない。
「スキン・コレクター」につづいて、これも日本のミステリの某作品とトリックがかぶっています。
およそありえないほど周到に計画された爆殺事件。その周到さのために犯人はしぼられる。しかし事件が起こった時点で、その人物は病死していた……考えてみればこうとしか思えないくらいのシンプルな仕掛け。でもそう思わせないのは小説としておみごとだからでしょう。
インターポールには逮捕権がないなど、情報小説としても読ませる。ん?とすると銭形警部はルパンを追いつめてどうするつもりだったんだろう。あ、そうか。だからカリオストロ公国まで埼玉県警が出張ったんだ(笑)
A面で恋をして/ナイアガラトライアングル
PART3「さらばシベリア鉄道」はこちら。
「ロング・バケイション」「イーチ・タイム」を発表して以降、大瀧はまたしても沈黙する。山下達郎との新春放談でも、彼の“隠居”はすでにギャグの域に達していたくらい。しかしたまにさすがと思えるヒットを出すのだ。
「冬のリヴィエラ」
サッチモをやろうと思っていた。森進一でルイ・アームストロングをやる。言い出しっぺは川崎徹。森進一と大瀧詠一でサントリーのCMやれば面白くなるだろう、と目論んできた話。
……サントリーのウインターギフトのために用意された曲。大瀧自身も「夏のリヴィエラ」としてカバー。エアチェックした音源を何度もカーステで聴いたっけなあ。
「A面で恋をして」はうまくできたんだけどね、モデルの女の子が文春で恋愛問題で叩かれてスキャンダルになって1週間でオンエアが中止になっちゃった。資生堂の呪いでしょうか(笑)
……わたしもこの曲は大好きで、だからクルマのなかで何度も流していた。うちの子たちは例の「ウインクのマシンガンで」の部分にはいるパーカッションにびっくりしていたので大笑い。
このスキャンダルというのは、CMのモデルとなった宝塚のトップスターだった美雪花代と、あの金まみれ糸山英太郎自民党議員(当時)のことで、文春の見出しは「資生堂イメージガール美雪花代と糸山英太郎の"困った関係"」。
この記事一発でCMオンエアは吹っ飛び、わずか十日ほどしか見ることができなかったのである。大瀧、杉真理(まさみち)、佐野元春による「ナイアガラ・トライアングルVol.2」における、A面の1曲目を飾った名曲だったのになあ。
ちなみに、Vol.1は大瀧、伊藤銀次、山下達郎のコラボでした。もちろんこちらも名盤。
あ、ロング・バケイションに関してはインストアDJのような形で大瀧が解説している。
CDが出ましたのは1982年の10月。世界的に同時に出まして、日本では邦楽の1枚目に「ロング・バケイション」が選ばれまして、当時3500円でしたね。……試聴……音圧が低いでしょ?当時アナログのオーディオでこのCDをもしそのままかけると、オーディオが壊れてしまってたんですね。
……知りませんでした(笑)。以下次号。
第十三回「決戦」はこちら。
前回の視聴率は18%超えとはいかなくて17.5%にとどまった。朝ドラの「あさが来た」最終回は27.0%まで駆け上り、ネットではヒロインが死んだのかどうかという「タイタニック」のときと同じような騒ぎになっているとか。番組改編期ということもあるけれど、ドラマではこの2本だけが二ケタの数字とはびっくり。世の中の人はリアルタイムで地上波のドラマを見なくなっているんだなあ。
さて大坂篇開始。まったくこれまでとは違い、社長シリーズのようなドラマにするのだとアナウンスされている。
東宝の社長シリーズってお若い方々は知らないでしょ。わたしだって封切りのときに見てるわけじゃないし、三谷幸喜だってそれは同様のはず。つまりは森繁久彌の社長(豊臣秀吉)と、彼にふりまわされる秘書に小林桂樹(真田信繁)という役回りなんでしょう。
今回のエンディングシーン(秀吉と信繁が屏風のかげで縦並び)など、確かにその系譜を受け継いでいるかも。それ以上に、この東宝の屋台骨を支えたシリーズは、東宝女優の特徴であるクールビューティの見せ場でもあったのだ。
司葉子、淡路惠子、新珠三千代、団令子……じゃあ真田丸はどうなのかなあと思ったら、東宝の秘蔵っ子である長澤まさみとキャラがかぶることを承知で淀君に竹内結子をもってきた!ゾクゾクする。社長の正妻役の久慈あさみ(すんげー美人)に相当する女優は誰が出てくるのかしら。
正論に拘泥する(直江兼続はそれでため息をつく)ために次第に自分を追いつめる上杉景勝と、汁かけご飯しか食べない北条氏政など、大坂篇になったからといってこれまでのメンツが総とっかえになるわけじゃないのに安堵。
微妙なのはきりちゃんだけど、強引に大坂まで持って来た。旅館(石田三成の館ですけどね)の部屋割りでもめるあたりも東宝っぽくてうれしい。現代人からみればこの時代はやっぱり変だとつっこみを入れる存在として、やはり長澤まさみは外せないでしょう。よかったよかった。
絢爛豪華なキャストと、大泉洋にちゃんとコント芝居をさせてくれたこともあって、今度こそ視聴率は18%超えと予想します。
第十五回「秀吉」につづく。
さらばシベリア鉄道 / 大滝詠一
PART2「夢で逢えたら」はこちら。
このままフェイドアウトしていったら、(有能なプロデューサーとして評価はされただろうけれども)大瀧の名はマニア向けの範疇にあったはずだ。でも、それを打ち破ったのが「ロング・バケイション」だったのだ。このアルバムがどんなものだったかというと、スタッフやアーティストはこう語っている。
「1000時間の録音、日本のレコーディング史上空前の額がかかった」
「リズム録りからして通常じゃない。まず、コードだけ入った五線紙を渡されて説明会。これに1~2時間。1曲に4時間はかかった。」
「リズム隊は生ギター4人、エレキ2人、パーカッション4人、ピアノ2~3人……普通のレコーディングの3倍。リズム録りだけで。」
……尋常ではなかったようだ。まるで邦楽版のスティーリー・ダン。そして今度はあの曲の話。
「ロング・バケイション」の制作も佳境に入った頃、スタジオで「さらばシベリア鉄道」の歌入れをやってた時に、どうも歌っててしっくりこないんだよ、気持ちが悪い。なんだろうと思ってプレイバックを聞いていたら、この曲は女が歌った方がいい、と思ったんだ。すぐに太田裕美が頭に浮かんだ。
……なるほど、彼女もCBSソニー所属だったしね。「スピーチ・バルーン」についてもコメントを。
ナイアガラ時代は“君”って使ったのは2曲しかないんだよ。それが“君”のラッシュでさ、“お前”まで出て来ちゃって、“スピーチ・バルーン”じゃ“人生”まで出てくるんだよ。“君の人生(運び去る)”だよ。勘弁してよって思ったけどね。
……しかしそうは言いながら、ロング・バケイションの成功は松本隆の詞によるものだと大瀧は評価している。以下次号。
大滝詠一 夢で逢えたら
PART1「スピーチ・バルーン」はこちら。
はっぴいえんどのメンバーが集まる過程は、まるで七人の侍のようだ。
「絶対お前とぴったり合う人間がいるから紹介する」って言われて、会って話をしたら、本当にぴったりだった(笑)。それが中田佳彦(中田喜直の甥)。彼は立教行ってて社会学部で細野(晴臣)と同じクラスだったの。2人でサイモン&ガーファンクルみたいなのやってたの。
(ライブハウスの)エイプリルフールで松本隆と会ったの。細野宅でソファに座って、黒い衣装に身を包んで本を読んで(笑)、ひとことも口きかなかった。慶応だし、やな野郎だなって思ったんだよ(笑)
リードギターを誰にしようかってことで、3人ぐらい候補がいたんだけど、細野が鈴木茂を連れてきた。茂は「12月の雨の日」のテープを聞いてすぐにあのフレーズを弾いたんだって。それで松本と細野は感激してさ「おお、もうこいつしかいない」ということになったらしい。
……天才は天才を呼ぶというか、実は東京におけるロックシーンはそんなに厚くなかったというか(笑)。
ソロになった大瀧は、プライベートのレーベル「ナイアガラ」を設立する。なにしろ大きい瀧ですからね。
契約していたレコード会社が放漫経営などで悪名高かったエレックレコードだったこともあって(吉田拓郎や泉谷しげるはいちはやく逃げ出していた)、かなりの苦境に陥る。ただし、ラジオDJとしてラジオ関東でやっていた「ゴー・ゴー・ナイアガラ」でマニアを熱狂させてはいたようだ。というのも、田舎ではなかなかラジ関を聴くことはむずかしかったの。SONYのスカイセンサー5500をもってしても。
そして、あの曲の話になる。
沢田研二の仕事のラインからアン・ルイスの曲を、って話が来たんで「夢で逢えたら」が出来た。そしたら(吉田)美奈子のディレクターが「ぜひとも、それ欲しい」って言い出してね。美奈子本人はあまり乗り気じゃなかったみたいだけどやることになった。
……日本の曲でもっともカバーされた「夢で逢えたら」はこのようにして生まれたのでした。わたしはシリア・ポールのバージョンが好きで好きで。以下次号。
PART5はこちら。
タイトルは勇ましいのに全然食らいつくしてないですわね。申しわけございません。春篇は今日でおしまい。次は夏休みに。
というのも、新任校のまわりはやっぱりどうも不調で、だからチャリ通する気満々だったのに、今日はラーメンを食べるためだけにクルマで通勤。結果的に大正解でした。
まずは“女性も楽しめるジロー系”を標榜する「土門」。若い女性も確かに押しかけていて
「野菜増しでお願いしまっす!」
とか言ってるんだけど従業員は
「あの、ほんとに多いんですけどいいですか?」
「だいじょうぶですぅ」
だいじょうぶだったんだろうか。
わたしはなんも増さなくて大丈夫でした。
つづいて最終日。機関区近くの「仁」で売りの麻婆ラーメン。流れ流れてやって来たというのに、目の前にはすでに同僚が(T_T)。最終日がおいしい店でよかった。
「七兵衛」「赤のイスキア」「大志」篇につづく!
大瀧詠一 スピーチバルーン
「ロング・バケイション」を久しぶりに聴いて、つくづくとすばらしいアルバムだと感じ入った。大瀧詠一が亡くなってもう二年以上たつ。弁当箱なみに分厚い「大瀧詠一Writing & Talking」という、彼のインタビューやエッセイをこれでもかとつめこんだマニアックな本が出たので(こういうことをするのはどこの出版社かと思ったら、白夜書房でした。さすがやの)読みこむ。
ああ、やっぱり知らないことっていっぱいあったんだ。ちょっと紹介します。
大瀧のブレイク(と言えるかはちょっと微妙だけれど)は、もはや伝説となっているバンド、はっぴいえんどによるものだ。現在は高名な存在だから(なにしろメンバーが大瀧、細野晴臣、鈴木茂、松本隆である)さぞや売れたと思われるだろうがそんなことは全然なかった。わたしがリアルタイムで聴いたのは「さよならアメリカさよならニッポン」だけだったし、「風をあつめて」を知ったのは矢野顕子のカバーによって。
はっぴいえんど以前について大瀧はこう語っている。
高3の頃には少しギターが弾けるようになって、曲をつくりはじめた。で、68年に「スピーチ・バルーン」の原曲が出来た。それが最初に曲らしい曲だったね。
……スピーチ・バルーンが処女作だったとは(笑)。
それで遊んでる時に布谷文夫に会うんだよね。布谷はその頃、専修大学行ってた。クレージー(キャッツ)好きの中学時代の友達も東京に来てて、彼の友達も専修で、バンドを作ってるってわけ。そしたらヴォーカルだって入ってきたのが布谷だった。
布谷が(エキス)トラでやっていたジャガーズの弟バンドに新しいギターが入ってきた。それが高校生の竹田和夫だった。それがだんだんブルース・クリエイションになっていく。その頃、ブルース・クリエイション向けに1曲だけ曲をつくった。
……つながってるなあ。ここで布谷経由でクリエイションの竹田和夫まで。専修大学出身者としてはうれしゅうございますよ。以下次号。