お盆の法要で、お参りのご門徒さんにお配りした 仏教の言葉「煩悩」
「煩悩」は、自分の思いに とらわれた ものの感じ方 によって、わき起こる悩み苦しみのことです。
今の私も、さとりの境地とは正反対。
猛暑に負けないくらい、煩悩が、燃えさかっています。
猛暑による夏バテ + (人のせいではなく)自分の煩悩によって、わが心身を煩わせ、疲れさせ、結果、煩悩バテを起こしています。
自分の都合(煩悩)を交えず、あるがままを見る。
それが、悟りの境地でありますが・・・
それが、どんなに難しいことか・・・不可能なことか・・・
ご法話を聞かせていただいている時、
あるいは、こうしてブログで、仏さまのことを書かせていただきながら、一番まず、自分に言い聞かせている時 は、
「ああ、仏さま~」と、穏やかな心も
一旦、自分に不都合な事態が起きた時、「仏さま、love」の 静かな心なんぞ、すぐ、どこかに飛んでいき 動揺し、怒ったり、落ち込んだり・・・
こうして、自分の言ったり、したりしたことが、業(カルマ)として、刻まれ、積み重なっていくのですよね。
まこと、自業自得、地獄行きの心を持った私のために、さとりの世界から、お出ましくださって、はたらきかけて くださっているのが、
阿弥陀さまの「本願」
こんなどうしようもない、煩悩盛んな私のための「南無阿弥陀仏」でした。
そう、しみじみ、頂いているところであります。
「煩悩」は、自分の思いに とらわれた ものの感じ方 によって、わき起こる悩み苦しみのことです。
今の私も、さとりの境地とは正反対。
猛暑に負けないくらい、煩悩が、燃えさかっています。
猛暑による夏バテ + (人のせいではなく)自分の煩悩によって、わが心身を煩わせ、疲れさせ、結果、煩悩バテを起こしています。
自分の都合(煩悩)を交えず、あるがままを見る。
それが、悟りの境地でありますが・・・
それが、どんなに難しいことか・・・不可能なことか・・・
ご法話を聞かせていただいている時、
あるいは、こうしてブログで、仏さまのことを書かせていただきながら、一番まず、自分に言い聞かせている時 は、
「ああ、仏さま~」と、穏やかな心も
一旦、自分に不都合な事態が起きた時、「仏さま、love」の 静かな心なんぞ、すぐ、どこかに飛んでいき 動揺し、怒ったり、落ち込んだり・・・
こうして、自分の言ったり、したりしたことが、業(カルマ)として、刻まれ、積み重なっていくのですよね。
まこと、自業自得、地獄行きの心を持った私のために、さとりの世界から、お出ましくださって、はたらきかけて くださっているのが、
阿弥陀さまの「本願」
こんなどうしようもない、煩悩盛んな私のための「南無阿弥陀仏」でした。
そう、しみじみ、頂いているところであります。