お寺のオバサンのひとりごと

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仏壇は死んだ人のため?

2010年08月26日 | 仏教
 仏壇は、亡くなった人の霊を祀るところ(故人のためにある) と、思い込んでおられる方がたくさんおられます。(私も寺嫁になる前は、そう思っていました・・・)

 また、田舎の本家に仏壇があるから、分家は不要。分家(核家族)は、その家族内で誰かが死んで、初めて、仏壇が必要になる と思い込んでおられる方も多くおられます。

 つまり、仏壇は、死者のためにある と、思い込んでおられるのですが、本当は違います

 仏壇は、お寺の縮小版。ホームお寺 です。
今、生きている私たちのために、仏壇はあります

 また、お仏壇を新たに家庭に置くにあたって、こういう誤解もあります。

「お仏壇は、家族の葬儀 や お彼岸 や 年回忌 などの節目に買う物であって、身内が何でもない(元気な)時に購入したら、早死にする

 う~む、そうでしょうか
 前回ご紹介した「帰敬式」や「法名」と同じですが、仏壇も死んだ人のため、あるいは、自分が死ぬ準備 と、誤解しておられる方が、とても多いです。

 「帰敬式」や「法名」と同様に

 お仏壇は、私たちが、人生よりよく生きるためにあります。

 「よりよく生きる」と言いましたが、
また、ここで誤解しないでください
 自分の願い事を叶えてもらうために、家庭に仏壇を置くのではありません。
 
 そういう、自分の願い通りに人生を生きようとして、
神仏すら、自分の都合にあわせて利用しようとする、
その根性こそが、問題と気づかされるのが、仏教なのですから・・・

 お仏壇は、毎日、私たちのこころを省みる「こころの中心地」・「仏の教えに帰依するところ」

 最愛の故人は、阿弥陀如来と同じはたらきの仏と成られ、いつも私を心配してくださっています。さとりに導こうとはたらいてくださっています。

 仏壇で、生前の故人を偲ぶだけでは、仏さま(故人)に失礼です

 本当に故人を「仏さま」として、尊ぶのであれば、私たちが「仏さま」の願いに気づかせていただかねば・・・

 仏の教えを家庭の中心に据えねば・・・

 そのための仏壇なのですから。

 
コメント (2)
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