世間では、「雪で立ち往生」とか、「〇〇で往生した」と言うように、「とても困った」という意味で使われますが、
仏教語の「往生」は、浄土(清らかな境地、仏の世界)に 往って生まれる ことです。
先日、あるところで、僧侶方が会話しておられて、私はお茶出ししながら、拝聴しておりましたが、
なるほど、そうだな と、面白かったので、ご紹介させていただきます。
日本人は、昔から、誕生日より、故人の命日(亡くなられた日)を大切にしてきた。
それは、人間としてこの世に誕生したことより、仏とならせていただく「往生」に、重きを置いていたから。
誕生日を盛大にお祝いするのようになったのは、近年のこと。
それは、西洋文化の影響であろう。
例えば、真宗での「御正忌報恩講」(宗祖・親鸞聖人のご命日をご縁とした盛大な法要)みたいな、故人の命日に報恩感謝するイベントは、海外であまり聞かない。
あ、そうか、キリストは復活されたから、命日はないのか・・・?
「誕生日」は、本人が、おめでとうと、みんなにお祝いされる日 というより、母受難の(命をかけて生んでくれた)日。
「誕生日」は、自分が、盛大にお祝いされるより、むしろ、母に感謝する日 であろう。
「往生」は、「人間」としての生を終えて、浄土に生まれる 仏としての誕生日でもあります。
往生・仏としての誕生日が、祥月命日 で、ありますから、人間に生まれた誕生日より、ハッピーバースデー
祥月命日を尊ぶ のは、当然のように思いました。
仏教語の「往生」は、浄土(清らかな境地、仏の世界)に 往って生まれる ことです。
先日、あるところで、僧侶方が会話しておられて、私はお茶出ししながら、拝聴しておりましたが、
なるほど、そうだな と、面白かったので、ご紹介させていただきます。
日本人は、昔から、誕生日より、故人の命日(亡くなられた日)を大切にしてきた。
それは、人間としてこの世に誕生したことより、仏とならせていただく「往生」に、重きを置いていたから。
誕生日を盛大にお祝いするのようになったのは、近年のこと。
それは、西洋文化の影響であろう。
例えば、真宗での「御正忌報恩講」(宗祖・親鸞聖人のご命日をご縁とした盛大な法要)みたいな、故人の命日に報恩感謝するイベントは、海外であまり聞かない。
あ、そうか、キリストは復活されたから、命日はないのか・・・?
「誕生日」は、本人が、おめでとうと、みんなにお祝いされる日 というより、母受難の(命をかけて生んでくれた)日。
「誕生日」は、自分が、盛大にお祝いされるより、むしろ、母に感謝する日 であろう。
「往生」は、「人間」としての生を終えて、浄土に生まれる 仏としての誕生日でもあります。
往生・仏としての誕生日が、祥月命日 で、ありますから、人間に生まれた誕生日より、ハッピーバースデー
祥月命日を尊ぶ のは、当然のように思いました。