お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

本師曇鸞梁天子

2016年03月12日 | 仏教
  

昨日はお隣、神埼市のJ寺様の巡番報恩講にお参りさせていただきました。
美しく見事な本堂、お荘厳。美味しいおとき、別室ホールでは、美味しいコーヒー、ご講師の森田真円師の書籍や念珠、門徒式章などお参りグッズの販売まで。

法要前には、バイオリンとピアノの演奏もあり、美人のお二人が奏でる美しい音楽にうっとり、夢心地。

 さて、法座、
森田先生のご著書は拝読していましたが、直接、ご法話を聞かせていただいたのは初めて。
 浄土真宗で平素お勤めする「正信偈」(浄土真宗の教えをギュギュッと凝縮し、偈(げ:詩)として、あらわしてくださった親鸞聖人が書かれた聖教)の後半部分で、
七高僧(お釈迦様の後、インドの龍樹菩薩に始まり、日本の法然上人まで、阿弥陀如来の真宗の教えを伝えてくださった7人の高僧)のうち、3番目の中国の曇鸞大師の箇所について、中国の歴史を交え、大変わかりやすくお話くださいました。

 先生の著書「ひらがな正信偈」のエピソードなど引用しながら、お話くださいましたが、本を読んだだけではスルーしてしまうところ、やはり、肉声で聞かせていただくと、スーと頭に入り、しみじみ味わせていただきました。

 全てに感動した、最高に仕合わせな1日でしたので、きょうも、午後からお聴聞させていただきました。

  お参り前、J寺さん駐車場係のご門徒さんが、
「ごゆっくり、お聴聞ください。どうぞ、ごゆっくり
と、声をかけてくださいました。
 お言葉通り、心身ゆっくり、仏前に座らせていただきました。ご縁に恵まれ、本当に有り難いことでした。至福のひとときでした。
 
 「巡番報恩講」って、本当に素敵  (当番会所は大変ですが、お参りに行かせていただく側は、ホント楽しい

 J寺さん報恩講は、明日日曜日が、ご満座(最終日)です。
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3月の言葉 その2

2016年03月10日 | 仏教
 東井義雄先生の言葉で綴る「ほのぼのカレンダー」今月の言葉は

 私の体の中にも「ありがとう」と
お念仏の灯がともってくださる


 さて、間もなく、春のお彼岸です。
 
 此岸(しがん:自分中心の物の見方、感じ方、自分の価値観)だけで生きるのは危うく、自分自身も不安、悲痛の中に閉ざされる。

 そんな「此岸」(こちらの岸)に対する「彼岸」(かの岸:仏の価値観・覚りの世界)  

 「彼岸」を単なる先祖供養・墓参り週間に終わることなく、

 自分自身が、彼岸(ひがん:仏の世界)に目を向け、
 
 東井義雄先生のお言葉のように、 

 此岸の価値観から抜けられない私の身体の中にも、
「念仏」:阿弥陀如来の本願(全ての者を「此岸」から「彼岸」に渡したいという願いが込められた「南無阿弥陀仏」)の光がとどいて、
仏心にあたたかく包まれている。

 そんな仏心・「本願」をありがたいなあ~と仰ぎ、自分の姿に気づかされる
そんな「お彼岸」でありたい と あらためて思います。
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認知症に対する認知とお寺

2016年03月06日 | 雑感
 先日のビハーラ佐賀「基本学習会」は、「認知症を学び地域で支えよう」がテーマ。
 お話くださったのは、佐賀県認知症介護指導者のM氏。
 M氏が、介護施設にお勤めなのは言うまでもありませんが、実は、浄土宗の僧侶でもあられます。

 公の場では話されないことですが、今回、お寺での研修会ということで、仏教の観点からもお話くださいました。

 老母のおかげで、私もいくらか(微々たる)認知症についての知識はありましたが、今回、認知症にいたる脳の医学的変化と認知症の方の心理状態(不安感)がよくわかり、大変勉強になりました。

 例えば、脳の記憶機能で、側頭葉にある「海馬」 が 大切ということだけ、知っていましたが、
 今回、初めて知ったのは、
 情報が入ると、海馬(幅が2,3cm)で、一旦、記憶保存、整理、海馬に蓄えられている記憶は過去2,3年分。それ以前の記憶は大脳皮質に蓄えられている。

 認知症の半数以上を占める「アルツハイマー型認知症」は、この海馬が萎縮することで始まり、新しいことが記憶できなくなる。
 新しい記憶ほど、海馬に近いので、最近の記憶から欠落してゆき、奥に貯蔵された若い頃、幼い頃の記憶が残る。
 
 脳の萎縮は側頭葉の海馬から、頭頂葉に広がってゆき、場所や空間も分らなくなる。

 ただし、感情を司る脳の「扁桃体」は、長い間、機能が保たれるので、感情は豊かであり、したがって、「不安感」が強い。

 認知症の方への対応心得は3つの「ない」

 1,驚かせない(後ろから声をかけたりしない、必ず正面から目を合わせて)
 2,急がせない(話も、おだやかに、はっきり、ゆっくりする)
 3,自尊心を傷つけない

 そして、最後に、高齢者がついてゆけない時代の急激な変化の中、何百年と変わらない「お寺」の存在意義について

 全国のお寺の数はコンビニに数より、ずっと多い。
 本来、お寺は最も古くから地域に根ざした社会資源
 僧侶は、誕生から死まで人生のあらゆる場面に関わる最強のソーシャルワーカー

ということを熱く語られました。
 
 小さい頃からお寺に馴染んでいたら、記憶がだんだん失われても、お寺に来れば、幼い頃の記憶のままホッとできるのではないでしょうか。
 例えば、自分の実家だって改築されて元の間取りではないことが大多数でしょう。幼い頃の記憶の「実家」ではないので、認知症患者さんは、不安になり「帰りたく」なります。でも、お寺の本堂は変わりなく、幼い頃の記憶のまま存在します。

 少数のビハーラ会員で聞くのは、もったいない。僧侶研修会で、必要なお話と感じつつ、拝聴いたしました。

 

 
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戦争を知らない子どもたち

2016年03月04日 | 本紹介
 

私か高校生の頃、北山修作詞、杉田二郎作曲の「戦争を知らない子どもたち」というヒット歌がありました。

 当時、高校の国語で、吉田満氏の「戦艦大和の最期」の読書感想文を書くことがあり、「『戦争を知らない子どもたち』ではなく、戦争を知っている子どもたちでありたい」みたいなことを書いた記憶があります。

日本では、戦後70年が平和に経過し、戦争の悲惨な実体験のない者が大多数になりました。

写真 ⬆ は図書館でお借りした本。
わかりやすい解説でおなじみの池上彰氏の著書です。

感想文を書いた頃、16,17才だった私も、今は「高齢者」になった「戦争を知らない子どもたち」です。

 特に何事も無知な私にとって、
人種差別や世界の戦争に至る経緯は、とても勉強になりました。
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3月の言葉

2016年03月02日 | 仏教
 法語カレンダー今月の言葉は

 信心ひとたび おこりなば
 煩悩(なやみ)を断(た)たで 涅槃(すくい)あり


 日常お勤めする赤い聖典の「正信偈」の下の段にある「しんじんのうた」(正信偈の意訳勤行)の中の言葉です。

 信心 = 阿弥陀如来に帰命(きみょう:おまかせ)する 
といっても

 「私」の煩悩がなくなるわけではありませんが
「私」の煩悩を自覚する(仏と向き合う)ことで、「私」のこころが少しばかり軽ろやかに、安穏になるように感じます。

 法語カレンダーの解説書「心に響くことば」(著者:松本智量師)に、こう書かれています。

 「信心の響きは、そのままでいいよ、とのお諭しです。まよいが消えることがすくいなのではなく、まよいをまよいと認められることがすくいの世界なのです。

 よけいなお世話かもしれませんが、上記「まよい」は、どちらにしようかと選択を迷う の「まよう」でなく、煩悩(自己中心の感じ方・物の見方)に、こころが支配されている状態ことです。

 

 
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