お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

2021年6月の言葉 その3

2021年06月14日 | 仏教


 浄土真宗本願寺派山陰教区の
「山陰妙好人カレンダー」今月の言葉。↑

 浅原才市さんは御教えを心から慶ばれた妙好人です。私は煩悩に満ち溢れた凡夫であり、雨が降るように罪をつくっていて、あさましいという自覚が足りません。
 後から、あぁ、また、やっちゃった〜
 と後悔することばかりですが、自覚できるのは、ほんの一部だと思います。自覚できないことのほうが圧倒的に多いでしょう。
 仏さまが御覧になったら、間違いなく、シトシト雨どころか
土砂降り、警戒レベルの罪つくりの私なのだと、このお言葉を味わせていただきました。

 


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コロナ禍の風邪

2021年06月11日 | 雑感


 先日、風邪症状に。
 午後、家族に促され、熱を測ってみたら38.1℃。
 ありゃ〜
 かかりつけ医に電話。
 午後は予約ワクチン接種の対応のため診察は16時半から来てくれとのこと。
 受診、血液検査の結果、白血球が増加しているので、ウイルスでなく細菌性の感染症だろうとのこと。コロナでなくてよかったです。
 2日間高熱が続き、その週は全ての予定をキャンセル、自室にこもりYou Tubeで美しい景色などボーっと眺めて過ごしました。
 3日目には解熱し、ボチボチ体力回復、1週間で日常生活に戻れました。
 今回は細菌性感染症とわかってよかったのですが、
 2月に風邪症状(微熱、倦怠感)になった時は医師が
「念の為PCR検査しますか?」 
と尋ねられ、
万一関係各位にご迷惑かけては・・・と検査を受けました。
 別室1人で唾液を取り、別室のまま、会計も薬局の薬剤師さんも防護着用で対応してくださいました。何だか申し訳ない気分でした。
 翌日、医師から「陰性でした」と電話いただくまで自室にこもっておりました。
 新型コロナ禍、従来のありふれた風邪感染症もややこしいことです。
 そして、5月から診療に加えワクチン接種に忙殺されておられるクリニック院長、スタッフの皆さまにあらためて感謝です。
 ちなみにただ今、ワクチン接種率1位の佐賀県です。(私の予約はまだ先ですが)
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佐賀 大和菖蒲園

2021年06月08日 | 佐賀ネタ








 菖蒲に伊勢系、江戸系、肥後系があることを知りました。
 でも観察力が足りないのか違いがよくわかりません。
 わからないけれど美しい。
 
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2021年6月の言葉 その2

2021年06月04日 | 仏教


 ほのぼのカレンダー 今月の東井義雄先生の言葉↑

 吉永小百合さん主演の
「いのちの停車場」
観てきました。
 マスクが涙と鼻水でぐちゃぐちゃになりました。
 老病死は誰もが避けられない悲しみ、苦しみ。
 人生の長短も人それぞれ。
 どういう縁で亡くなるかも人それぞれ。
 平均寿命はあくまで平均値。
 仏教では愛は良い意味では使われません。執着、煩悩の一つ。されど、情ある人間にとって大変つらく、悲しい愛別離苦。
 いのちについて、いろいろ考えさせられました。
 同時に、キリスト教では当たり前なのに、仏教ではまだまだ浸透していない終末期に患者さんやご家族に寄り添うビハーラ僧侶の必要性を思いました。
 私も老病苦が増えていきますが、あるがまま生き、慈悲に包まれ往生させていただきます。 
 

 

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佐賀の石井樋

2021年06月02日 | 佐賀ネタ




 佐賀市大和町の大型ショッピングモールの向かい側を西に入っていくと、
 石井樋があります。
 さが水ものがたり館と佐賀の治水の功績者・成富兵庫茂安(江戸前期の佐賀藩士)の顕彰碑もあり、佐賀城下をどう洪水から守ったか、佐賀平野にどう水を巡らせたか知ることができます。
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2021年6月の言葉

2021年06月01日 | 仏教


 6月になりました。
 このところ晴天が続き、昨日から最高気温30℃超えの佐賀です。
 さて、法語カレンダー今月の言葉は
大峯顯 師(1929-2018 浄土真宗僧侶で哲学者・俳人)の言葉

 信心というのは 凡夫が
 仏さまと同じ命を
 共有するという出来事

 凡夫が仏さまにこの身を任せきる(信心に恵まれる)ということは、仏さまに願われた命を生き抜くことであり、死んだらお終い(自分のことしか考えてない)ではない、阿弥陀さまとともに仏としての無限の命に恵まれることでありましょう。

写真はジューンベリー。
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