このあいだの香港で、二人の蘇永康ファンと話す機会があった。一人はまだ20代前半で、ファン歴は私のほうが長い ファンサイトを持っていて、ニュースなどをまめに載せてくれている。もう一人は30代(たぶん)で、以前はファンサイトをやっていたが、忙しくなって閉じてしまった。こちらは私よりファン歴長い(たぶん)。
若い方のファン(Cさん)は、私が毎週土曜の夜にやっている蘇永康ファンのチャットにもときどき来てくれる。文字化けを避けるためと翻訳なしでみんなが理解するために英語でチャットするが、私は広東語のほうが楽なので、広東語で話せるのを楽しみにしていた。まともに話すのは初めてで、彼女も最初は英語を使ったりしていたが、だんだんどの程度の単語や文なら私が理解できるか、どの程度のスピードならついてこられるか呑み込んで、とてもうまく話してくれた。おかげで、お互いにたびたび聞き返していらいらすることもなく、楽しい時間がすごせた。
翌日、もう一人のファン(Oさん)と会ったときは、前日の練習(?!)のおかげで私もかなりスムーズに話せた。3月に家族旅行したときは、広東語で何か言っても全然通じなかったり英語で返されたりしたけど、やっぱり、ちょっと話す時間があると違うものだ。たまにラジオなんか聞いても全然聞き取れなくて嫌になってしまうけど、ちょっと我慢して聞いてたら少しましになるかな?
香港旅行のリピーターの間で言われていることだが、以前は片言の広東語を言っても相手にされず、英語や日本語や、ときには北京語で返事が返ってくることが多かったのに、最近は下手な広東語を一生懸命聞いてくれて、ゆっくりめに話してくれる人が増えているようだ。私も以前は「香港人の苦手なことは何語にしてもゆっくり話すこと」だと思っていたが、ここ1、2年はそうでもなくなった。何がこの変化をもたらしたんだろうか? 返還後、何かと北京語が幅を利かせるようになっている状況への反動? 北京語もかなり通じるようになっているのにわざわざ広東語を覚えて話そうという“奇特な”人に、親しみを覚えてくれるのかもしれない。
とはいえ、香港人同士の会話についていく力はなく、コンサートのMCも決まり文句以外はさっぱりわからない私。まだまだ頑張らなきゃ~
学生の頃はそれなりに貧乏旅行したけど、バックパックを背負ってユースホステルやドミトリーを泊まり歩く等は経験がない。香港は主に住むところだったので、重慶マンションも両替に行くところだった(笑) それが今回、香港はイベント続きでホテル代がいつもと比べてめちゃくちゃ高く、ちょっと手が出なかった。それと、午前出/午後帰りの日程上どうしても航空券が高くなるので、宿代で節約しようと考えたわけだ。
3月の家族旅行の時に寄って、シャワー・トイレ付シングルの料金を払っておいたのだが、今回行ってみたらダブルブッキングで予約したはずの部屋がないと言われてしまった。。。攪錯呀~ だが時間も惜しいので、差額の返金を受けてシャワー・トイレ共同の部屋に泊ることにした。部屋自体はまあまあきれいだし、クーラーもテレビもついてるし(Channel[V]が見られたし)、さして困ることはなさそう。電話は携帯のプリペイドカードを買ったし。共同の冷蔵庫も使えるようだ。
とはいえ、シャワー・トイレ共同というのはそれなりに技術が要った。トイレに行くにも、念のためロックして鍵をポケットに入れて出た。シャワーを使いにいくにも、裸になってから忘れ物を取りに行くわけにもいかないから、あれこれ抱えてまたロックして鍵持って。シャワールームを長時間占領しては申し訳ないので、髪を整えたり化粧したりは部屋でしたが、あいにく鏡がなかった^^; セーフティボックスはないので、出かけるときは貴重品をかばんに入れて錠をした。
フロントに行けばお湯をポットにもらえたのかもしれないが、夜遅くもらいに行くのは面倒だったので、部屋で温かい飲み物やカップ麺などを食べることは結局なかった。部屋でお湯を沸かせるって、便利なことだったのだ。
経験としては面白かったが、、、余分な手間や時間が省けるという点で、やはりバスルーム付は大事だった。それから年齢を考えると、疲れを取るためのバスタブが今後重要になってきそうだ。残念だけど、私は最初で最後かな・・・息子が今度香港に行くとか言ったら、泊らせよう
(実はこのゲストハウス経営者の奥さんは日本人で、大学の後輩にあたる。いろいろ大変だろうけど、頑張って~)
人気沸騰の側田とSolerに挟まれて、あまりチケットが売れないんじゃないかと少し心配した鄭中基コンサートだったが、当初2回の予定が1回追加。でも初日は“爆満”とはいかず、2階両脇のあたりは空席が目立った(握手席だったのに、ちょっともったいない^^;)。
開演前のミニコント(?!)ビデオに、映画で数多く共演している李燦森(サム・リー)と張達明が登場。サムはYシャツにネクタイのサラリーマン役で、なんだかオッサンくさい(笑) 張達明は鄭中基のお株を奪う(?)女装姿。ロナルド自身はPaco黄柏高の真似をして笑わせる。
最初はさすがに少し緊張して、ゆったり声が出ていない感じだったが、だんだんほぐれてきた。1ヶ月ほど前に映画撮影中に肋骨を骨折したため、激しいダンスや宙吊りはできないと報道されていたが、かえってやらなくて済んでよかったかも? スーパーマンならぬKマンの団体とビームのやりとりしたり、女性ボディビルダーにかつがれたり、素朴な趣向が楽しい。女性ダンサーたちとのからみは本人が楽しそう(笑)
鄭中基のお父さん、鄭東漢がギターを持って登場すると、暖かい雰囲気に包まれた。かつてTeddy Robin & the Playboys(泰迪羅賓與花花公子)というバンドでギターを弾いていた鄭東漢は、寶麗金で総経理をつとめ、今はEMIの総裁をしている音楽業界の重鎮だ(そう書くと「なんだ、2世タレントか」と思われてしまうかもしれないが、そんなに楽して売れたわけではない)。機内で酔って暴れる事件を起こし、謹慎に近い時期を過ごしたこともある息子が、デビュー10年でようやくコンサートを開き、そこで一緒にギターが弾ける。。。喜びがじわっと伝わってきた。ロマンスグレーの素敵なおじさまに、観客からも「鄭パパ!」と声が飛んでいた。
トークのゲストは張達明。「10年苦労したとか言ってるけど、僕なんか20年以上だもんね~」と先輩風を吹かせつつ、ロナルドが着替えに引っ込む間に観客を舞台に上げて、ソファに一人を座らせ、他の3人で“セクシーダンス”、とかなんとか、、、(若い男の子が妙に上手で大歓声)。そこへ出てきたロナルドも口を出して、今度は三角関係風のミニドラマ(最近香港であった事件が題材らしい)演出^^; これまた3人が頑張って演技したので大喝采、発売されたばかりの新曲+精選「正宗K」をプレゼントされて降りていった。(「次の曲はDisc*のtrack#だよ」などと宣伝もしていた)
大物ゲスト・初日は譚永麟(アラン・タム)。登場直前に彼の歌をちょこっと歌詞を変えて歌ってウケて、「さっき何て歌ってた?」と追及されてたじたじ^^; 2日目は張學友(ジャッキー・チョン)、デビューのデュエット曲「左右為難」を歌うときは緊張してガチガチ。そもそも張學友のプロデューサーに見出されたのがデビューのきっかけらしい。大物大先輩たちの前では、新人のようになってしまう
2日目には噂の恋人・Twinsの阿Saが阿嬌といっしょに見に来ていた。元カノ・楊千[女華]の曲、Twinsの曲と両方歌い、ゴシップ記事の写真をスクリーンに出して「いろいろ書かれてるけど、たくさんの人にもてなくてもいいんだよ、一人いれば」なんて言うあたり、逃げも隠れもしていない。彼にすればその時々で本当のことだったんだから別に恥じるところはないのだろう。そんな態度に精神的な成長を感じる。(3日目には元カノ・楊千[女華]も見に来たようだ。今同じ事務所でもあるし、泥沼になる前に別れたおかげなのか、比較的いい関係を保っている?)
初日アンコールで“男子組”の5人がそろって歌ったあと、蘇永康が「僕といっしょで顔で売ってない歌手」とか言って笑わせたが、ロナルドの音楽に対する真摯な態度の話に観客から大きな拍手が湧いていた。(正確なところはよく聞き取れなかったんだけどたぶんそんな話だったんだと思う。)
初日は観客の反応がいまいちで、ちょっと可哀想な気もしたが、2日目はコアなファンが多かったのか、初日よりずっと盛り上がってよかった。どの曲もあまり引っ張らずにさくっと歌って終わらせてしまうのが、案外聴きやすい。彼の歌い方は、目一杯張り上げてる瞬間が短く、たぶん無意識にすっと力が抜ける。それがかえって“切ない感じ”が出て、私は好きなのだ。
そして、彼は自分がスターでも天王でもないことをはっきり自覚しているような気がする。どんなに頑張っても、自分は張學友や陳奕迅にはなれない。それでも歌いたい、音楽をやりたい。何か、求めても全ては得られないと知りつつ、自分にできることをやり続ける人間の健気さみたいなものを感じてしまう。
けれども、今回歌っている彼は本当に幸せそうだった。もしかしたら、今ようやく自分自身をちゃんと好きになれたのかもしれない。人間は誰でも健全な自己愛が必要だけど、人前で表現する仕事の人は特に大事なのでは? そのタイミングを見抜いてこの時期にコンサートを設定したのだとしたら、、、やっぱりPacoってすごいかも。
鄭中基は歌の神様じゃない。神様に選ばれた人でもないし、歌う時に神様が降りてくるわけでもない。でも、このコンサートでは普通の人がりっぱな主役だった。よかった
鄭中基コンサート初日、香港の蘇永康ファンと連絡をとったら、「今夜彼が来る」との情報! ゲストなのか見に来るだけなのか、詳しいことはわからないが、とにかく会えるかも!と期待に胸がふくらんだ。つれあいに頼まれた買い物を置きに宿に戻り、香港在住の友人に渡すものを持って、香港体育館に向かうべくバス停へ。が、金曜の夜の通勤ラッシュの時間帯で、なかなかバスに乗れない・・・。7時半過ぎにやっと乗れてほっとしたところへ友人から電話、「今、蘇永康が出ていきましたよ!」えーーーっ!!!
なんで、コンサートが始まる前に“出ていった”のか? 同じ事務所の友人だから、陣中見舞いに来ただけ? もしかしてそのままドラマ撮影のために大陸に戻る? ガーン
紅館に着いて友人に話を聞くと、「ファンらしい人とちょこっと話して、車運転して行っちゃいましたよ~」とのこと。また戻ってくるのかどうかもわからない。せめてあと5分早く着いてたら、会えたかもしれないのに。。。と落ち込みつつ、気を取り直してコンサートに向かった。
順調にコンサートは進み、アンコールの時間。何かサプライズがあるかな~と登場を待っていたら、いきなり5人の男が! 林海峰の「男子組」だ! 鄭中基を中心に、古巨基、林海峰、梁漢文、そして蘇永康 黒いシャツにデニムのベスト、すっきり決まってる楽しそうに歌っている。歌い終わって鄭中基との思い出(たぶん)などを話す話しぶりは相変わらず。最近「羅曼蒂克」がヒットした梁漢文が話しだすと観衆が大きく反応したのを見て、「僕のときは声もなかったのに~」と観衆に反応を要求、みんなに叫んでもらって満足してみせるあたりも、いつもの彼らしい^^; 元気な姿を見られて嬉しい
これは出待ちに行かなければ!と、アンコールが終わってすぐに急いでスタッフ出入口に。しかし、待てども待てども出てこない、、、梁漢文と方力申はいっしょに出てきて同じ車で帰っていった。バンドのメンバーやダンサーが出て行く。でも蘇永康は来ない・・・。鄭中基も出てこないので、ずっと一緒にいるのか? 香港の蘇永康ファンに電話してみたら、「もう帰っちゃった」えーーーーーっ
なんと、コンサート前にリハーサルに来て、それから食事に出かけ、戻ってきてファンと話し、出番が近くなったので入っていって、歌い終わってすぐ出てきてそのまま車で帰った、というではないか。ファンの子はコンサートを見てなかったので、蘇永康が来るという情報を得て外で待っていたのだった。そんな・・・。それではアンコールが終わるのを待たずにダッシュで外へ出たとしても、話すチャンスはなかったかもしれない。やっぱりコンサート前の一瞬しかなかったのだ。嗚呼・・・
香港に住んでいた頃は、何度か会えた。日本からファンが来ていたときは、とにかくその人とちゃんと話してもらおうと、そればっかり必死になって、自分はもう何度か会ってるし~と思っていた。でも、香港にたまにしか行けなくなってみると、チャンスがあったのに逃したのが口惜しくてたまらない。一言でも話せれば、日本のファンのみんながどんなに新譜を待ってるか、直接伝えられたのに・・・
日本の蘇永康ファンの皆さん、對[ロ吾]住 プレゼントを香港のファンに託してきたので、そのうちこの日のことを伝えてくれると思う。予定通り新譜が発売されることを、今はひたすら祈ることにしよう。
2泊3日だが今度は一人旅なので、自由がきく。昼はCD屋めぐり、夜はコンサート、間で友達にも会える!とやる気満々(^^)
今回もあれこれ買いたいCDがあるが、“買うべきか、買わざるべきか”悩ましいのはすでに買ったCDにバージョン違いが出たもの。VCDやDVDをつけたり、写真集がついたり、最初のバージョンにはなかった曲をボーナストラックとして加えたり、、、
たとえば李泉(ジェームス・リー)「劃火柴的女孩」のボーナストラックは、藍奕邦(ポン・ナン)が作詞して盧巧音(キャンディ・ロー)とデュエットの広東語版! 李泉の広東語、、、聴いてみたい、、、(で、買ってしまった^^;)
2ndバージョンが出るということは、それなりに売ったということだからめでたいのだが、先行オンエアを聴いた時点で気になって、発売を待ちかねて1stバージョンを買ったりしてると、2ndバージョンはちょっぴり恨めしい。でもミュージックビデオのVCD・DVDなんかはやっぱり欲しいし、、、きりがない。
というわけで、明日からCD屋の店先でゆっくり悩むことにしよう。日曜の夜中に帰ってくる予定。帰ったらまたいろいろご報告します。行ってきま~す
数字を集計するのって、けっこう、おもしろい
今年からもうひとつのブログ・WATCH香港芸能で、毎週の香港ラジオ&テレビチャートに入った曲にポイントをつけて合計し、TOP20を発表している。何かの役に立つかというと別に何の役にも立たない(笑)。でも、これを始めてからヒットチャートの見方が変わった気がする。前はついつい自分の好きな歌手や曲が入っているかどうかに目がいってしまって、誰のどの曲が売れているのか、冷静に見ていなかった。ポイントで集計すると数字で厳然と表れるので、自分は興味がなくても「これが今のトレンドか」とはっきりわかる。
このあいだは1月~3月(第1四半期)の集計もしてみたら、これがめちゃくちゃ面白かった。3ヶ月でのべ92組・132曲がチャートイン(この数は多いのか、少ないのか)。チャートでの順位は低くても、合計すると長期間チャートに入り続けた曲が強いことがわかる。歌手別だと、やはりオンエアされる曲の数が多いほど強い。意外な曲が上位だったり、人気ありそうな人がそれほど上位じゃなかったり、結果を数字で見なければ気づかなかったと思う。
ちょっとだけ寂しいのは、自分の好きな歌手で全然名前が出て来ない人がいること・・・。歌以外の仕事で忙しいんだから仕方ないけど。6月に新譜出す予定の誰かさん! その頃には香港のチャートでも名前が見られるように、待ってるからね~
TVで見たのだが、秋葉原でメイド全員メガネをかけているメイドカフェが、なかなか人気なのだそうだ。客は「メガネがたまらない」と言う。客にはメガネをはずした顔を絶対見せないらしい。
メガネをかけていることが“売り”のアイドル、時東ぁみ(ぁは小さい字)も紹介されていた。常に大きなメガネケースのカートを引いて歩き、イベントなどではメガネコレクションも披露。これまた素顔を見せないので、人前でメガネを取り替えるときは、かけてるメガネの上からメガネを重ね、下からはずす(実演してみせた)。視力は両眼とも1.5。つまり素通し^^; メイドカフェにも実は目なんか悪くない子がたくさんいるかも。
要するに、元々可愛い子にメガネをかけさせて特徴にしているだけなのだ。だから可愛いのは当たり前。でも、“メガネをかけているからなお可愛い”という感覚が出てきたこと自体、不思議な気がする。だって私が若い頃、メガネといえばブスの象徴だったんだもの! 少女マンガでメガネの子は主人公になれないし、もしそうならメガネをはずして大変身!がお約束だった。アイドルだって、グループの一人にかけさせて個性を出すことはあっても、一人でやってる子が徹頭徹尾メガネだなんて、ありえなかった。。。流行りの移り変わりって面白い。
今なら私も可愛いメガネっ娘になれるのに・・・もう少し生まれるのが遅かったら、なんちゃって^^;(元がよくなければ無理だって)
だいたいコンサート前には新譜やベストのCDを出して盛り上げるのが宣伝パターンだが、彼も3枚組の新曲+精選が20日に発売される。タイトルが「正宗K」(ちぇんちょんけい)。自身の名前とほぼ同じ発音で、「正宗」は「正統の、本家本元の」という意味がある。「K」は「K歌」=カラオケでよく歌われる歌、転じてヒット曲という意味だとすると、「正統なヒット曲集」みたいな感じ? 「正宗」は香港で広告などによく使われる表現で、「偽物じゃない、本物だぞ~」と胸をはってるイメージだ。ジャケ写ではスーツでタクトを振り上げているロナルド、“正統派”の聞かせるコンサート、期待してるよ~
もうひとつ語呂合わせのグループ名を発見した。最近商業電台のチャート・903専業推介で名前を見かけていたProject Early。台湾の2つのバンド、糯米[米團]のボーカル馬念先と自然捲のメンバー奇哥の二人で作ったユニットだ。(糯米[米團]は蘇永康のアルバム「康定情歌」に参加したこともある、ちょっとファンキーな音の面白いバンド。)馬念先は30歳を迎えて自身の過去を振り返り、自分の音楽をやっていくぞ!と決意。長い音楽人生に遊び心を、ということで今後10年間、40歳になるまでこのプロジェクトを続ける計画だそうだ。ユニット名は“三十而立”(三十にして立つ)から取ったとか。。。「而立」北京語で「er li」→あrりー→Early なるほどね~
外国語で語呂合わせや駄洒落がわかると妙に嬉しい 日常よく使う語彙を増やすほうに神経使ったほうがいいんだけど^^;
このあいだの香港旅行で、帰りに成田空港に着くと、到着旅客の通路に「おかえりなさい」「Welcome」「Bien Venido」などに加えて「ようこそ」と表示が出ていた。以前、日本語は「おかえりなさい」だけだったが、「日本語が読める人=日本人・日本に住む人とは限らないのだから、日本語表示が『おかえりなさい』なのはおかしい」と誰かがどこかで書いていたのを読んだことがあった。私も同感だったので、「ようこそ」も加わったのは良かったと思う。日本語初級クラスを終えただけの人でも、「ようこそ」は読める。もっとも、日本食レストランなどの「いらっしゃいませ」のほうが聞き慣れてるかもしれないが^^;
香港でWelcomeといえば、二大スーパーマーケットチェーンのひとつ(笑)。青がシンボルカラーの百佳(ぱっかい)ことPark'n Shopと、赤地に黄色の文字がシンボルの惠康(わいほん)ことWelcome。どこの街にもどこの駅前にもどっちかはあるし、銅鑼湾には24時間営業のWelcomeまである。スーパーなのに、生簀で魚を売ってたり、肉さばき兄ちゃんがさばいてたり、街市(昔ながらの市場)の雰囲気があるのが香港のスーパーの面白いところだ。香港の消費者にとっては、本来食材は街市で買うべきもので、スーパーは街市が近くにないから仕方なく行ってるだけなのかも。
"...hit well, Gurero going back,,,Good-bye baseball! Kenji Jojima, Welcome to the Major Leagues!" このWelcomeは何度聞いてもいい。城島選手、がんばって~
こんなことがあるなんて、嘘みたい!だが、側田「No Protection」(香港)にコメントをくださったアイバン ワン(王友良)さんは、たしかに香港の新人歌手で、新城娯楽台のチャートで4位に入ったことがある。証拠はこちら
きれいな日本語が書けるのは、歌手になる前、日本で大学を出て働いていたから。もちろん日本語も読めるので、日本語サイトを見ているうちに、このブログにたどりついてくれたようだ。自分のブログでもときどき日本語で書いている。
ミュージックビデオを見たが、高めの甘い柔らかい声で、雰囲気は“正統派アイドル系”。昨年の香港は思いっきり“創作系”の天下だったので、今年は逆にアイドル系が売れるかもしれない。(アイバンさん自身がアイドルしたいかどうかはわからないけど^^;)
有名人(になろうとしてる人)からコメントをいただくなんて、ブロガー冥利に尽きるというのは大げさかもしれないが、世の中どんなご縁があるかわからないものだ。いや~、ブログやっててよかった。これをご縁に、応援しちゃおうっと。CD出たらまたレビューさせていただきます
次男の中学入学式。少し大きめのブレザーの制服に身を包み、入場する子供たち。男の子にはまだ小柄な子が多くて、可愛らしい。女の子はまだスカート丈をいじってないので丈長め(笑)
壇上に上がり、一人ずつ担任に名前を呼ばれて返事すると、壇中央にいる校長先生と握手して降りてくる。名前を呼ばれるのは長男のときもあったが、壇上に上がって全校生徒に顔を見せるのと、校長先生と握手というのは初めてだ。先生方・先輩達、よろしく!という気持ちになったかな?
保護者席の近くにいた3年生たちはさすがに背も高く、スカート丈も短い子は短く(爆)、大人っぽかった。人数が多く4クラスあると聞いて(新1年生は3クラス)、なんだか不思議な感じがした。在外日本人学校だと、中学は学年が上がるにつれて人数・クラス数が減るものと相場が決まっているからだ(学年が上がると受験その他の関係で、お父さんの単身赴任を選ぶ家庭が増える)。考えてみれば自分の中学の時だって学年が上がったらクラスが減るなんてことはなかったから、日本では当たり前なんだけど^^;
壇上には日の丸と市の旗が掲げられている。香港では西洋紫荊花(Vauhinia)旗、北京では五星紅旗が必ず並べて掲げられていたのを思い出す。式の途中で旗が天井に上げられ、幕が開くと、壁一面に色とりどりの花と光を描いた貼り絵が現れた。2・3年生が作ったんだろうか。素敵だった。
今年度から中学も給食になってラッキー!と思ってた母は、「給食は17日から」のお知らせにがっくり。久々のお弁当作りだ~。弁当箱、香港から持って帰ってきてたかな。冷凍食品買っておかなきゃ
1曲目に、自身が子供の頃の録音と思われる歌を入れている。可愛い声(^^)なるほど、子供ながら上手い。よく録音が残ってたものだ。親も音楽的な才能に期待してたのかな? 続く2曲目にも子供の頃の声をサンプリングに使っているようだ。こちらはエフェクトがファンキーなレゲエのリズム。今ふうで洒落てる音だ。
「夢女」はクールなジャズボサで、叔父のTed Loがキーボードやギターでバックアップ。ユージン・パオのギターソロ、カッコいい! 今ヒットチャートに上がってきている「Volar」は少しHip Hop入ってるノリのいいクールな曲。実はこういうの好きだったんだ~。アメリカ暮らし長かったんだから当然だよね。
ほかはバラードが多いが、低音域を丁寧に歌っていて、前作よりも説得力大幅アップした感じ。“素の部分が見えなくてつまらない”と前作の紹介で書いたが、静かに語りかける低音部はそうでもないぞ。何よりも、全体に本人が気持ちよさそうに、しっかり曲に感情移入して歌っていて、同時に完全に自分でコントロールしているところがいい。
「You'll shine again」は「我不是好人」の自作詞英語版。やはり、自分の気持ちをより深く表現するには英語らしい。最後の「Dream Away」はギター弾き語りで聴かせてくれる。いつも帽子をかぶっているので“実はハゲ?”疑惑がある彼だが、こんな風に自分のために歌ってくれたら、ちょっとくらいハゲててもかまわない!と思った女の子は少なくないと見た(笑)
前作は、まず側田という歌手を受け入れてもらうという狙いで作った分、手探りの部分があったが、今回は側田はもう受け入れてもらえたので、やりたいことをいろいろ盛り込んで、本人も満足度が上がってると思う。そして、ソロ歌手としてやっていく覚悟をしっかり決めた感じがする。(今思うと、前作では、「だめだったらミュージシャンに戻ればいいや」みたいな、おそるおそる歌ってるところがあったような。。。)
No Protection、もう誰かに守ってもらうことなく、立ち向かっていく側田。香港ポップスを担う一人になっていっておくれ。
「Thank you for the music」このABBAのヒット曲は、彼らのスペイン語アルバムのタイトル「Gracias por la musica」にもなっている。私が大学の頃このスペイン語アルバムを聴いたスペイン語科の友人に「ABBAのスペイン語って上手なの?」ときいたら、「まあまあかな」と言ってた。今、入手可能なのかどうかわからないが、あの頃聴いておけばよかったとちょっと後悔している。
Thank you for the music:音楽のおかげで。私も音楽のおかげで人生を楽しんでいる。たぶん、音楽のおかげで香港が好きになれた。これからも、音楽のおかげで、さまざまな国や文化に親しんでいけるかもしれない。・・・というわけで、ブログのタイトルにしてます
最近香港にいることが多いようなので、活動拠点は中国/香港としたが、曲目・ジャケ写は大陸・香港どちらも同じなのでバージョンは分けないことにする。
香港映画「擁抱毎一刻花火」に出たり、香港の歌手・王[艸/宛]之(イヴァナ・ウォン)とデュエットしたりと、すっかり香港でもおなじみになった張敬軒(ヒンズ・チョン)。シンプルなスーツ姿は相変わらず爽やか青年だ。
今回は自作曲が「Hurt So Bad」(「擁抱毎一刻花火」の主題歌)「不要」「絶頂愛情」の3曲のみで、プロデュースもいろいろな人が参加しているのが面白い。先行オンエアでヒットした「過雲雨」は伍仲衡、今ヒット中の「Hurt So Bad」は金培達(コーラスも聞かせてくれる)、包小松、InvisibleのAlexなど。
王[艸/宛]之とのデュエット「随イ尓」は、広東語でヒットした「手望(守望版)」の北京語版で、王[艸/宛]之が北京語詞も書いている。「手望」は地上と天国の絶唱!だったが、「随イ尓」は、彼がほかの女性に心を移したと思って身を引こうとする女の子と、「誤解だよ、別れたくない~」と訴える男の子のすれ違いラブソング。男女が違う歌詞でかけあったりハモったりするスタイルの曲に合ってる題材かもしれない。(余談だが、香港のマスコミは何かとこの二人をくっつけたがる^^; どちらもシンガーソングライターで、純情そうな、内気そうな感じが雰囲気合ってると思われてるらしい。そうそう都合よくいかないでしょう)
意外なのはフォークロック「有一首歌」。今まで歌ったことないタイプの曲だが、高音部で切ないフィーリングが出てくる彼の声には実は合ってたのかも。これからも歌ったら面白そうだ。
最後の1曲、「絶頂愛情」はスローなジャズで渋い大人の声のお父さんとデュエット。歌っている二人も幸せで、聴いているこちらも幸せになれそう。いいな、こんな父と子。
発売間際なのにアルバムタイトルが決まっていないなんてニュースもどこかで読んだが、「春・夏・秋・冬」は「過雲雨」の歌詞に出てくる。アルバム全体にもぴったりのタイトル。変な言い方だが、“他流試合”をしたことでボーカルに深みが出て、全体に垢抜けて、商品として格段に質が高くなったと思う。ますます活躍してくれそう
春・夏・秋・冬 @YesAsia.com
蘇永康のデビューアルバム「失眠」と2ndアルバム「不要離開我」も、先ごろ再発売された。発売元はNew Century Workshop(HK)、蘇永康のほかに林憶蓮や倫永亮、夏韶聲などの昔のアルバムを再発売している。林憶蓮の「野花」なんて名盤の復活はちょっと嬉しい(^^)
ちょっと気になるのは、再発売の場合、歌手本人に印税などの収入がちゃんと入るのか?ということ。それと、発売前に歌手の承諾は取っているのか? まあ、一般に版権は歌手本人じゃなくてレコード会社が持ってるから、いちいち承諾は取らないかもしれないが、、、。蘇永康の再発売も、多少は彼の収入になってくれるならいいんだけど。
写真の李聖傑は香港じゃなくて台湾だが、02年の東方魅力からのデビュー盤よりさらに前の、99年の幻のデビューアルバム再発売。ロックレコード移籍後のヒットを受けて、版権を持っていた会社が出してきたようだ。全体の雰囲気は02年のアルバムに近いかも。曲によってはちょっと“ムード歌謡”っぽくなってしまうが(笑)、大人のポップスで悪くないと思う。なんで99年には売れなかったんだろう? 99年といえばJay周杰倫がデビューした年で、たしか同じ新人発掘番組に出ていたと聞いている。タイプが全然違って、同時期のデビューなら両方が売れてもおかしくないのに~と思うけど、売れる売れないは水物というか、時の運みたいなものがあるんだろう。
それから、発表当時に聴いてもあまりいいと感じられなかった作品が、後の作品を聴いてから聴くと、よりわかりやすくなっていい印象を持つこともある。「痴心絶對」や「手放開」を聴いた後だからかえっていいのかも。(実をいうと、蘇永康の「不要離開我」もその口で、次の「生命色彩」を聴いた後でよかった。先に聴いていたら好きになれたかどうか微妙^^;)
李聖傑はこの時期、英語名をPete Leeとしていたようだ。Sam Leeに変えて少し運が向いてきたかな? 香港だと李燦[王/深-シ](王編に深の右側、以前は李燦森だった)と間違われそうだけど^^;
昔のアルバム再発売は、楽曲が資料としても受け継がれていくような気がするので、悪くないと思う。たとえ動機は「売れたら儲けもの」ってことだったとしても。
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