「犬歯」が抜ける。
▲ 今週のみけちゃん
▼ 筑紫洲 (つくしのしま) でもぶどう記録;第46週
■ 今週の筑豊境
節分
降雪
雪遊び
霜柱
■ 今週の購入品
山形のお米、はえぬき。13,300円/15kg。
1993年に山形県で開発された「はえぬき」。名前は「生え抜き」という言葉に由来しており、山形で生まれ山形で育つという意味が込められています。その名の通り、山形の気候や風土に適したお米で、山形県以外ではほとんど作られていません。「はえぬき」は山形の気候や風土を計算して作られて品種ですので、他の地域では山形県ほどの品質に育たない為と言われています。
はえぬきは非常に美味しいお米です。その美味しさが高く評価されており、品種登録からわずか数年で山形県内の作付けシェア60%を獲得したほどです。米の一粒一粒がしっかりとしており、適度な水気と旨味、そして炊き上がりの形が崩れず、心地の良い歯ごたえと甘みを感じることが出来ます。また、粘り気が少なくべっとりとしないので冷めても美味しく、お弁当やおにぎりに特に向いています。
山形県産はえぬき は、コシヒカリのような粘りの強さと ササニシキのようなあっさりした食感を併せ持つ特徴あるお米です。冷めても食味が落ちにくくパサつかないのでお弁当、おにぎりなどにもよく利用されるお米として有名なお米です。地元山形の定番品種で、価格もお求め安く、有名寿司店などにも利用されています。(ソース)
■ 今週の詰合せ
■ 今週知った閉店
1.鎌倉の左可井
ある本に名刺が挟んであった。穴子の左可井。あー、なつかしいと思った。昔、行ったことがある。
鎌倉参り 2015 2015年11月08日 16時23分46秒 | 東京・横浜
ネットでググってみると、閉店していた。
左可井閉業(google)
2.立川の米軍ハウスのお店
外から見ただけ。愚記事:昭和記念公園2019、砂川口から出て基地外の米軍ハウス(維新もの)を見た
《閉店》上砂町・旧米軍住宅の立川アメリカンヴィレッジ入口にあるアメリカンダイナー『ムーンハウス(MOON HOUSE)』が10月17日に閉店するみたい
■ 今週のお別れ:28年間寝そべり続けたソファー
28年間寝そべり続けたソファーが昨年末、ソファー内部の枠組み?が座屈した。
500円を北九州市に払って、廃棄した。
■ 今週の「古典」を読んで、気づいたこと:「日米同盟」なき最有力親米派@教祖の「バイブル」
岡崎久彦、『戦略的思考とは何か』(Amazon)
岡崎久彦 尊師。「アメリカ真理教」の教祖さまだ。日本の内政が「ザイム真理教」に支配されているかどうかは、おいらは、わからないのだが、外交・防衛政策は「アメリカ真理教」に支配されていると信じる。おまけに、司法も支配されている(今の日本司法は傀儡司法であり、象徴が田中耕太郎)。
さて、おいらが10代に読み、印象深かった本。1983年。この時代の「空気」は、1979年ソ連アフガニスタン侵略、1982年北海道大演習場「火力戦闘演習」、1983年大韓航空機撃墜事件とソ連脅威論の絶頂期。
その後、ときたま取り出しては読むのだが、改めて気づいた。その気づいたことは愚ブログでさんざん言ってきた言説としての「日米同盟」問題。すなわち;
<江戸しぐさとしての「日米同盟」>:
「日米同盟」なんて言葉は、池田勇人の時代や佐藤栄作の時代、そして福田赳夫の時代にもなかったのだ。もちろん、吉田茂の時代には、当然、ない。
昔からあって、ずっと続いていると思われてるが実は昨日、一昨日つくったにすぎない「伝統」を「江戸しぐさ」というが、「日米同盟」こそ「江戸しぐさ」である。
そして、その「日米同盟」という言葉を日本政府の正式文書に使ったのは、おいらが現在調べる限り、どうやら大平正芳内閣らしい。
(もっとも、今の若い人にとって大平内閣時代なんてのは十分に昔、すなわち「江戸時代」みたいものなので、「日米同盟」なる名称は相当伝統ある言葉になるのだろうか? おじさん、年を取ったょ。)
つまり、「日米同盟」なんて言葉は「最近」できたのだよ、と云っているのだ。
さて、古典の『戦略的思考とは何か』には、「日米同盟」という言葉がない。この本は1983年刊行なので、日本政府は公式に「日米同盟」という言葉を使っているのに、外務省の岡崎は使っていないのだ。『戦略的思考とは何か』には、「日英同盟」は頻出する。この本の主旨は世界はロシア/ソ連とアングロサクソンとの覇権競争である。歴史的にみて、アングロサクソンについた方がいいから、米国に加勢するように自衛力も高めよというもの。そういう主旨なのに、「日米同盟」という言葉はない。ないものをないというのは相当確認作業が必要である。従って、正確にいうと、おいらは『戦略的思考とは何か』において「日米同盟」という言葉を確認できなかったというべきだ。でも、実際、ないのだよ。「日米同盟」という言葉がないので、日本の同盟国アメリカ、あるいは、米国の同盟国日本という記述、発想もない。
では、どうやって、この本で日米関係を表現しているのか?何のことはない、「日米安保」である。これは、今では普通に「日米同盟」といっているのに、1983年にはそうではなかったことの典型事例である。
ところで、なぜ「同盟」という言葉に愚記事がこだわるかというと、戦争を禁じられた国と戦争を普通にする国の間で「同盟」というものが成り立つのであろうか?日英同盟のときとは、日本政府の状況がかなり違う。戦争を禁じられた国の実力組織と米軍の共同作戦というのは、法的運用上、できるのであろうか?
『戦略的思考とは何か』に戻って、なぜ、岡崎久彦が「日米同盟」という言葉を使わなかったのか?その原因として、鈴木内閣の伊東外相辞任「事件」の影響があるかもしれない。1981年のことだ。すなわち、鈴木首相とレーガン米大統領の首脳会談後、日米共同声明を発表した時にさかのぼる。声明には、初めて日米の『同盟』という言葉が盛り込まれた。鈴木首相は『同盟』に、軍事的意味合いは含まないという見解を示したが、伊東外相は『当然含まれる』と明言。閣内不統一に陥った(ソース)。岡崎は、外務省から防衛庁に出向して対米協力として「軍事」的貢献をすることに従事していた[1]。こういう背景で「日米同盟」という言葉の使用には躊躇したのだろうとおいらは推定している。
[1] 西村はその後内局に移動するが、上司が岡崎久彦。愚ブログでは、「アメリカ真理教の大尊師」とお呼びしている。外務省から防衛庁に出向していたのだ。西村繁樹は三海峡封鎖戦略を立てる。すなわち、ソ連艦船のオホーツク海への進出を阻止し、原潜による核戦争で(事実上)米海軍に有利になる状況をつくる。この「対米支援」(西村、自衛隊、日本政府は日本防衛と云っている)を以て、西側諸国の防衛の一端を担うという大義を掲げ、外交的カードとした。これこそ、江藤淳が云う「アメリカの日本人によるアメリカのための兵力」の運用だと思うだが。(⑤西村繁樹『三島由紀夫最後に会った青年将校』 2019年)
この「古典」、「日米同盟」という言葉がないばかりでなく、「吉田茂」もでてこない。
「日米安保」は「アメリカ真理教」の第一原理である。でも、講和条約に至るまで、安保条約を締結するという発想は外務官僚の中で必ずしも主流ではなかった。なぜなら、ポツダム宣言には講和条約締結後、占領軍は撤退すると書いてあるからだ。占領軍である米軍にそのままいてほしいと願う政治家が、日本は憲法9条があり、自衛戦争さえ放棄しているのであり[α]、自分を守ることができないので、米国様にお願いして駐留してもらうことにしたのが、旧安保条約だ。米国の日本防衛義務がなく、日本の内乱に出兵できる条約だ。これを強烈な政治力で推進、実現したのが吉田茂だ[2]。吉田茂あっての「日米安保」だ。吉田茂は日英同盟同様世界の支配勢力である「アングロサクソン」と組めば日本は安泰だと考えた。実際は、占領米軍がそのまま駐兵する日本の保護国化である。属国日本の誕生。つまり、岡崎の「アメリカ真理教」の本当の祖は吉田茂である。しかしながら、この「古典」、「日米同盟」という言葉がないばかりでなく、「吉田茂」もでてこないのだ。これは興味深い。理由は推測できる。当時、対ソ戦略のために軍事的に対米協力しようとする勢力は「軍事リアリスト」と称された。岡崎久彦はその筆頭とされた。称したのは=レッテル張りをしたのは「保守本流」派である。すなわち、「吉田ドクトリン」の信奉者たちだ。永井陽之助。この『戦略的思考とは何か』刊行後、永井陽之助と岡崎久彦とが相手を意識した論を多く書いた。永井陽之助ははっきり岡崎久彦を批判した。「軍事リアリスト」は、「吉田ドクトリン」を逸脱するものだ、と批判した。こういう背景で、岡崎久彦は、<吉田茂>は「保守本流」防衛政策の象徴なので、忌避したとおいらは推定している。
[2] 吉田の強烈な政治力に「酷使」されたのが、外務官僚の西村熊雄である(回顧は興味深い)
[α]「国家正当防衛権に依る戦争は正当なりとせられるようであるが、私は斯くのごときことを認めることが有害であろうと思うのであります。」国会における吉田茂内閣総理大臣答弁(ソース)
■