いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

日本の夏、欺瞞の夏。

2005年08月15日 19時22分43秒 | 日本事情
終戦記念日前後の日本には毎度欺瞞が充満する。右も左も臭気を発するので鼻が麻痺しているのだろう。

「左」の欺瞞は戦後60年、日本は憲法のおかげで平和であり、日本はこの60年戦争をしていない稀な国であるから、これを続けようと主張するもの。しばしば戦争体験者が空襲体験を語り継ごう!といいながら上記が主張される。これは実は必ずしも「左」だけではなくうす甘い保守、例えば、対中強硬派でもある、中嶋嶺雄も戦後日本は戦争をしなかったと「自慢」している。戦争被害の体験は兵隊にとられて死傷すること、と空襲で爆撃・焼払されることが主にある。たしかに、両者とも戦後日本にはなかった。

その意味確かに日本は「平和」であった。それでは「日本」は戦争と無縁であったのだろうか?全く違う。戦後日本列島は、米国の軍事的空間であり、朝鮮、ベトナム、湾岸など日本列島にいた米軍が出撃して戦争を行ったのである。日本列島の出撃という点では大日本帝国陸海軍の海外出兵と同じである。ただし、日帝軍は米国という戦略爆撃をする国と戦争をしたので本土が焦土となり、無辜が大量虐殺された。報復である。一方、戦後在日米軍が敵とした国々は弱小であったので、敵は能力があれば在日米軍基地を戦略爆撃したかったが、米軍出撃基地である日本に対し報復できなかっただけである。あるいは米国からの再報復が怖くてできなかった。つまり、戦後日本が平和だったのは世界最強の軍隊に屯(たむろ)してもらっていたから平和だったのである。これがドレイの平和でなくてなんであろう!?ドレイの平和を寿ぐことほど自己欺瞞はない。

日本から出撃した米軍は戦争しまくりである。「左」やうす甘い保守の中嶋らは、日本から出撃しても米軍は米軍。ぼくたち日本人は平和愛好者ですよ~といいたいのである。本土決戦もせずに戦争をやめた へたれ日本人ども がベトナム戦争の時には穴倉ほって戦っているベトナム人に、つまり本当に本土決戦をしている人間に、おまいたちはがんばれよと「精神的支援」だけをして日本列島から出撃するB52を平和的デモだけして見送っていたのである。しかも、ジーパンはいてコーラ飲んでである。自分たちは本土決戦などまっぴらごめんなくせに、人様にはやれというのである。沖縄に「本土」(当事者には郷土が本土だろう)決戦をさせて、自分たちに火の粉がくるとすぐ降参。醜悪たる日本人の典型である。御都合主義。そして、戦後日本が戦争を放棄した足元を見透かされておきたのが北朝鮮による拉致である。戦争被害者は自分の戦争体験とか政府は軍拡するな!とか言う前に少しは拉致被害者の人権問題にでも憤ったらどうだろう?

かたや、「右」はどうか?今日、小泉首相は2度と戦火を交えないと宣言した。本気なら大ばかだろう。嘘なら悪人だろうが、欺瞞であることには間違いない。現在英語マスメディアでは北朝鮮のregime changeというタームが飛び交っている。北朝鮮の政治体制を変える政策の採用を考えるものである。もちろん、これは戦争によって実現される政策である。さらには、日本の協力なしには米国の対北朝鮮戦争は絶対できない。協力にも程度があろうが、戦火を交えることに加担するのは間違いない。

あるいは日本はregime changeには反対もできる。その場合、誘拐され人権を侵害された日本人は放置のままである。「右」も「左」も人権侵害をただ傍観するのみである。戦争を伴うregime chnage 以外策はあるのだろうか?経済制裁!と叫んでいる青標ひらひらの「国士」気取りはあほである。そんなものなんにもなりゃしない。やるなら戦争だろう。今日の小泉首相の戦争放棄宣言は北朝鮮への強いメッセージになったのかもしれない。敗北主義宣言。政府は「拉致された人は見殺しです。だって戦争できませんもの。」とわかりやすく言った方がいいかもしれない。なにより戦没者の霊の前で、現行政府は戦争を禁じられているのでこれからも国民の人権は外国に蹂躙され被害者は増えますから、おひざおくりをして席をお開けくださいとお願いすべきだ。