11/3、 明治神宮から有栖川宮公園へ歩く。
有栖川宮 熾仁(たるひと)親王像。明治維新の時、東征軍大総督。つまり徳川討伐軍の最高司令官に薩長から担がれた。孝明帝の妹・和宮と婚約していたが、和宮の徳川家への降嫁のため、婚約が破棄されたことは有名。
有栖川宮家は「蛤御紋の変」の前に京都守護職の会津・松平容保と対立、長州が天皇を強奪しようとした「蛤御紋の変」では長州と内通していたらしい。
孝明帝は怒り、有栖川宮家は謹慎していたが、孝明帝が崩御、むつひとさんの時代になり、風向きが180度変わり、薩長の絶好の担がれ手となる。
公園前のお店。