いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

占春園、 茗荷谷参り

2006年05月24日 20時21分28秒 | 東京・横浜
--わたしは、あのとき、女子学生とともに、旗をふって、出陣学徒を見送った。--
                       『マルクス』 小牧治 @ブックオフで100円

■都内・茗荷谷で仕事。茗荷谷に生まれて初めて行く。

茗荷谷は、日帝の、~♪~仰げばし、我がの恩~♪~の、尊師の養成場があったところ。

あの日、雨の神宮外苑で旗を振って学生を戦場に送り込んだ小牧センセは、戦後はマルクスのご研究にご尽力あそばされる。その経緯が少しだけ上記『マルクス』に書いてある。この本1966年の初版だが、今でも版を重ねて新刊書にあるだよ。

東京教育大・文学部といえば、小牧センセなんてだれもしらないだろうけど、家永三郎センセは有名。平泉澄の弟子で、終戦直後もむつひとさんの御製をたくさん引いて涙を禁じえないってやっていたのに、東京裁判の判決の頃から、あーなっていったことは有名。このことについて説明を求められた家永は、昔は知的能力が低く平泉史学・皇国史観をやっていたが、知的に進歩して今の考えにいたったと弁明した。

こういう三百体言はそらぞらしくて、その時・その時の体制の教義を喧伝しているに過ぎないことは明明白白、メイケイ会である。ガッコのセンセは国家のイデオロギー装置の祭祀であり、戦前は教育勅語、戦後は教育基本法・"戦後民主主義"を聖典として身過ぎ世過ぎをして、時に反省!前進!と前向きなニヒリズムを実践してきた。つまりは、茗荷谷はそんな悲しい人々の魂のふるさとなのである。


 ハルマゲドンすっぱい。

   
滅亡狂騒曲              ハルマゲドン成功!


通行手形


■お昼休みにお参りに上がる。

もともと江戸時代は守山藩の大名屋敷と庭園。その庭園の名が占春園。いまでは特に庭としての手入れがなされていないようで、雑木林化している。帰化植物の木さえある。

  
雑木林化している。                    樹木と御対面の御婦人。


じゃーん! 発見。 ひろひとさん行幸の石碑。昭和6年にきますた、ってさ。

こんな派手な行幸碑は、おいら的(爆)には、過去最大。

お得意の漢文調の文にて、かいてありました。キーワードが「徳」でした。