
インド・デリーのホテルの広告。
ノンベジ(菜食主義でないひと用)は300ルピー、べジ(菜食主義者用)は275ルピー、だって。
■カナダ、スーパーサラダ事件、1997。
ひと昔前、ぬっぽんで職がなかったので、カナダに出稼ぎに行った。英語ができなく、へどもどすることの連続で、笑える失敗、笑えない失敗の山を築くが毎日の業務のように暮らしていた。 そんな中で、今となっては話としてまとまった、わかりやすいもの。
レストランでサーモンステーキを注文した。その時 Supersalad? とウエイトレスの毛唐のねえちゃんに聞かれた。そうか、ただのサラダではない、特別なスーパーサラダがあるのだな。それをいるか?って聞いているんだろうな。うん、いいな。と思い、「Yes, please」と答えた。 怪訝そうな毛唐のねえちゃん。するともう一度、Supersalad? と聞いてくる? なんで、yes, pleaseが通じないのかな?とあせるも、もう一度、I'd like to have the supersalad. と答える。 ますます、怪訝な顔の毛唐のねえちゃん。 ここで、通じさせるため、後追いで、I'd like to have the special salad that is the supersalad!と畳み掛けた。
・・・・(ちょっと間があり)
毛唐のねえちゃんは、ゆっくり言った、Soup OR Salad ?
やっと、わかった。どうやら、スープとサラダのどちらか一方を選べと聞いていたのだ。 これが、おいらのカナダ・スーパーサラダ事件。 ちなみに、スープとサラダのどちらを選んだのか?などその後の食事の記憶はほとんどない。
でも、やっぱりあったじゃん。スーパーサラダ。インドに。
●小谷野センセが10/26付けで書いている;
上野千鶴子には、本になっていない連載がある。『群像』に、1996年6月から98年4月まで、一回の休載を含めて22回連載された「百年の孤独」である。これは上野のメキシコ滞在記だが、当時私は小説だと勘違いしていた。その後本にならないので、『群像』編集部に電話して「いつ本になるんですか」と訊いたら、女の編集者から「知りません!」と言われた。工藤美代子が『潮』に連載した上山草人伝も本になっていない。それぞれ何か理由があるのだろう。
その第一回で上野は「わたしの親は封建的だったものだから、結婚するまでは処女でいろと・・・」と発言した人に「近代的だったものだから」と訂正させた話を書いている。
まつがい。
単行本になっている。上野千鶴子、『国境お構いなし』、朝日新聞社、2003年。
Amazon、 Usedで1円。
正確に言うと『群像』の連載「百年の孤独」(3回分が載っていない)と、連載「百年の孤独」以外の雑誌掲載文と書き下ろしから構成されている。
スーパーサラダと何の関係があるのだ?という点で言えば、上野の『国境お構いなし』には上野自身の英語獲得事情が書かれている。大人になって業務上英語/「優越的」外国語を習得しなければいけない現実、とその現実の合理化。
例えば;
帰る場所を失い、せとぎわの気分でアメリカにわたった亡命者や難民は、ほかの選択肢がないからこそ、ひとかどの仕事を英語圏でなしとげるのだろう。そういう非ネイティブの人材を受け入れ、その貢献を自らの社会に組み入れるアメリカという社会も、ふところが深いといわねばならない。
▼なお、小谷野が着目する、処女性尊重の由来の話も単行本に載っている。
■小谷野の「目指すは大佛次郎賞と朝日賞あたりだろうな。」という認識は、大仏=朝日文化人を穿っていて、よし。
愚記事:ねこばか作家の記念館 -横浜①-
問題は、上野が愛猫家ってことか?だ!(←なんでやねん。)