いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

ずっとウソだった(このブログ同様);"御用学者"考、あるいは、遊ぶ金欲しさ

2011年04月24日 19時11分55秒 | 日本事情

ずっとウソだった(歌詞掲載)

いまさらですが、中二病患者のおいらが、チャック・ベリー風イントロの、この曲を愚ブログに!

"御用学者"考、あるいは、遊ぶ金欲しさ、そして、ぼくたちの"おもちゃ"は危なくないんだぞ!


・嘘をつき続けてきた、果てに...。 歴史の法廷で、閻魔さまに抜かれるべき「舌」(べろ)。

■東京電力福島第一原発の事故の件で、"御用学者"問題が語られた。そもそも御用学者とは何だろう?とかの問題から議論があるらしい。「一度はなってみたかったな、御用学者」とうらやんでいる、無用なおいらも考えてみた。

御用学者とは何か?という問題はとりあえずかっこに入れる。なので、くちさがないネット童の間で御用学者とされている東京大学、早野龍五センセ(google; 御用学者)の発言を考えてみよう;


 ソース

これは3/11の発言。というか、他人のツイートを是認している発言。今から見れば、結果として核燃料は溶融して、燃料棒体は崩壊している。つまり、結果的に早野氏は見通しを誤ったわけだ。でも、地震発生当日のことであり、そもそも情報、原子炉の生データがない。見通しが当たらなくても、当然だろう。しかしながら、問題はそこにある。つまり、本当の学者は、「生データがないから判断できない」と発言するべきなのだ。それを、早野氏は甘い見通しを述べてしまった。



近づくどころじゃなかった。スリーマイルよりひどくなっちゃった

なぜ、甘い見通しを述べたのか?それは早野氏本人も、漠然とではあれ、原発は地震には耐えて安全であると思い込んでいたのだ。そして、なぜ、原子力に甘い見通しや認識を持っているかを推定する情報を示す。

遊ぶ金欲しさ、そして、ぼくたちの"おもちゃ"は危なくないんだぞ!


-文部科学省に原子力予算1000億余円が投入されている-

東京電力は原子力発電所の維持のための世論工作、宣伝活動に多額の金を使っていたことが、今回の事故で、改めて明らかになっている。有名人、文化人を工作員として宣伝活動を行ってきた。実はそんなことは小さいことで、マスメディア全体が電力会社の広告支出にどっぶり依存して生きてきた。今だって、あのうざいACの広告の出資者の筆頭は電力会社である。

さらに、東京電力の情宣活動も、実はかわいい方かもしれない。電力会社の原子力の安全管理を統括する(はずで、実際はできなかった)日本政府は、原子力政策維持のためにがんばっている。原子力政策のために原発周辺の自治体や住民に金を回していることはよく指摘されている。あんまり、指摘されていないのが、科学技術"道楽者"への資金援助。日本政府は原子力政策のために多額の研究開発費を投じている。でも、これらの予算は狭義の原子力技術の研究開発費に投じられているわけではないのだ。具体的には、日本政府傘下の日本原子力研究開発機構は、狭義の原子力技術の研究開発だけをやっているわけではない。

狭義の原子力技術のためになると謳われている"基礎"科学にも、結果的に、予算はまわっている。まわっているというより、"目的外"使用されている。基礎科学研究者、つまり道楽者(これは尊敬をこめたおいらからの呼称である;google)たちが、自分たちの道楽が実は、狭義の原子力技術の研究開発に関係ないことを知りながら、世間には関係あるフリをして、予算を獲得し、蕩尽しているのだ。

これだ⇒J-PARC 大強度陽子加速器施設

この実験施設では、基礎物理をやっている。でも、基礎物理ばっかりをやっていては、予算獲得の大義名分がないので、こういう看板も出している↓



どういうことかというと、「大強度陽子」を使って、放射性核物質、原子力発電所の「死の灰」の処理をするという大義名分を掲げているのだ。 核変換とは?

さて、早野龍五センセ。いたよ↓

http://nucl.phys.s.u-tokyo.ac.jp/hayano/jp/e17j-parc.html

そうなのだ、日本政府の原子力政策の波に乗って、予算(実験設備という資源)をせしめて、実験しているのだ。つまり、日本政府が原子力政策を放棄してしまえば、早野龍五センセの研究道楽は成り立たないのだ。なぜなら、原子力関連予算の中から文部科学省がせしめる1000億円の中から研究資金が出ているからだ。

(なお、この実験施設に大学共同利用機関法人 高エネルギー加速器研究機構研などが入っているから、原研とは違う"財布"で基礎物理は研究しているとの反論があるかもしれない。間違い。1000億円に色がついているわけではない。問題は1000億円を財務省からせしめるときに、国策の原子力政策に寄与すると「ウソ」こいていること。)

何が問題か?

別に、おいらは、「早野センセが日本政府の原子力政策の波に乗って、予算(実験設備という資源)をせしめて、研究道楽をしている」ことを批難したいわけではない。

早野センセは原子力発電所については、たぶん、あんまり知らなかったのだろう。もっていた認識は、原発は地震でも安全。もし、放射能が漏れても、許容範囲内といったところだろう。もちろんこういう認識は大多数の科学技術従事者、つまりは凡庸な人々の持っていた認識と同じだ。

問題は、たぶん善意から、自分が原子核物理学の専門家だから、蒙昧な庶民がいたづらに原発や放射能に怯えるのを憂えて、専門家として原子力について説明したのだろう。そして、その説明が超楽観的なものとなった。

あるいは、その動機が、「蒙昧な庶民がいたづらに原発や放射能に怯えるのを憂え」たばかりではなく、「蒙昧な庶民にいたづらに原発や放射能」の恐怖を植え付ける「"とんでも学者"」に対する憤りだったかもしれない。少なくとも早野twitterを拡散させた者どもの少なからずのメンタリティは、この「"とんでも学者"」狩り、ニセ科学狩り者であるとの印象をおいらはもっている。"ぼくたちのおもちゃは危なくないんだぞ!"と訴えたかったのだ。

▼「御用学者批判」批判

早野センセの一連のツイートを読むと、いい人そうだ。そして、助っ人もいる。「御用学者批判」批判。伊東乾氏の発言;

::理学部物理の早野さんは東大の学者として情報発信していない。彼は「余裕の人早野さん」と言って地球市民として己の思う通りにしておられる。彼を知る誰もが同意すると思う。僕は芸術音楽家で大学の思惑も関係なければヒモもついていない。人としてなすべきと思う事をしている迄。人間として当然の事。

::「原発推進派」とか「反原発」といったレッテルも大いに要注意。僕は今回の件で既存の原発大半を核兵器と同様に暫時廃絶してゆくべきものと考えるようになったけれど、いま稼動して社会を支えている奴を代替なしにすぐ停止せよと迄は断言できない。現実を直視しながらのソフトランディングが重要と思う


それでも、早野龍五氏や伊東乾氏を「御用学者」よばわりする人たちの気持ちを考えてみる。彼らは、早野龍五氏や伊東乾氏ののんきな態度が許せないないのではないだろうか?早野氏や伊東氏のその没批判的な態度。伊東氏が典型的に示すような、「僕は今回の件で既存の原発大半を核兵器と同様に暫時廃絶してゆくべきものと考えるようになったけれど、」という物言い。これじゃ、単なる経験主義者。じゃぁ、何のための学識や知識なのか?サイレントネイビー[日米開戦を前に帝国海軍は必敗をわかっていたが、陸軍を前に黙して開戦を容認した、という"神話"のこと]どころか、蒙昧ネイビー、だべさ。何かあったら、転向して生き延びる。典型的、日本えすたぶりっしゅめんと的メンタリティではある。

「御用学者批判」をする庶民の根拠は学者が次のような理念に悖ると判断したからではないだろうか?つまり、学者や知識あるものは、「自己の狭隘なイデオロギーや日常的意識を不断に反省する努力」をへて、起きてはならないことを事前に指摘し、善処すべきと世に問い質すべきであるという理念。ところが、起きてはならないことが生じてしまっても、学者や知識あるものの一部は、その管理者たる為政者を批判しなかった。だから、御用学者。日頃、偉そうに税金使っているくせに、どういうことか!という怒り。ならない警報機への不満。

でも、この庶民の「御用学者」への憤りが正当なものかは知らない。学者や知識あるものたちが「社会なんか知らないよ」という考えをもつことが許されないとされているかどうかという問題になる。事実、少なからずの食税研究者たちは、自分の研究さえできれば、「社会なんか知らないよ」という考えを、無自覚にでも、持っている(例えば、あの昭和20年3月9日深夜の東京大空襲の翌朝、空襲を免れた東京帝国大学理学部物理学教室は、通常授業を行っている;愚記事:罹災の巷低く見て、)。そんな彼らは、"活動家"が大嫌いだ。

そして、大御所;





物理学会誌2011年2月号より


でも、おまいら、~気づいていんだろう~!?

ずっと、嘘だったんだって....

それでも、見続けるのかょ~、このイカサマブログ~


"御用学者"考、あるいは、遊ぶ金欲しさ、そして、ぼくたちの"おもちゃ"は危なくないんだぞ!

2011年04月24日 10時25分52秒 | 日本事情
東京電力福島第一原発の事故の件で、"御用学者"問題が語られた。そもそも御用学者とは何だろう?とかの問題から議論があるらしい。「一度はなってみたかったな、御用学者」とうらやんでいる、無用なおいらも考えてみた。

御用学者とは何か?という問題はとりあえずかっこに入れる。なので、くちさがないネット童の間で御用学者とされている東京大学、早野龍五センセ(google; 御用学者)の発言を考えてみよう;


 ソース

これは3/11の発言。というか、他人のツイートを是認している発言。今から見れば、結果として核燃料は溶融して、燃料棒体は崩壊している。つまり、結果的に早野氏は見通しを誤ったわけだ。でも、地震発生当日のことであり、そもそも情報、原子炉の生データがない。見通しが当たらなくても、当然だろう。しかしながら、問題はそこにある。つまり、本当の学者は、「生データがないから判断できない」と発言するべきなのだ。それを、早野氏は甘い見通しを述べてしまった。



近づくどころじゃなかった。スリーマイルよりひどくなっちゃった

なぜ、甘い見通しを述べたのか?それは早野氏本人も、漠然とではあれ、原発は地震には耐えて安全であると思い込んでいたのだ。そして、なぜ、原子力に甘い見通しや認識を持っているかを推定する情報を示す。

遊ぶ金欲しさ、そして、ぼくたちの"おもちゃ"は危なくないんだぞ!


-文部科学省に原子力予算1000億余円が投入されている-

東京電力は原子力発電所の維持のための世論工作、宣伝活動に多額の金を使っていたことが、今回の事故で、改めて明らかになっている。有名人、文化人を工作員として宣伝活動を行ってきた。実はそんなことは小さいことで、マスメディア全体が電力会社の広告支出にどっぶり依存して生きてきた。今だって、あのうざいACの広告の出資者の筆頭は電力会社である。

さらに、東京電力の情宣活動も、実はかわいい方かもしれない。電力会社の原子力の安全管理を統括する(はずで、実際はできなかった)日本政府は、原子力政策維持のためにがんばっている。原子力政策のために原発周辺の自治体や住民に金を回していることはよく指摘されている。あんまり、指摘されていないのが、科学技術"道楽者"への資金援助。日本政府は原子力政策のために多額の研究開発費を投じている。でも、これらの予算は狭義の原子力技術の研究開発費に投じられているわけではないのだ。具体的には、日本政府傘下の日本原子力研究開発機構は、狭義の原子力技術の研究開発だけをやっているわけではない。

狭義の原子力技術のための"基礎"科学にも、結果的に、予算はまわっている。まわっているというより、"目的外"使用されている。基礎科学研究者、つまり道楽者(これは尊敬をこめたおいらからの呼称である;google)たちが、自分たちの道楽が実は、狭義の原子力技術の研究開発に関係ないことを知りながら、世間には関係あるフリをして、予算を獲得し、蕩尽しているのだ。

これだ⇒J-PARC 大強度陽子加速器施設

この実験施設では、基礎物理をやっている。でも、基礎物理ばっかりをやっていては、予算獲得の大義名分がないので、こういう看板も出している↓



どういうことかというと、「大強度陽子」を使って、放射性核物質、原子力発電所の「死の灰」の処理をするという大義名分を掲げているのだ。 核変換とは?

さて、早野龍五センセ。いたよ↓

http://nucl.phys.s.u-tokyo.ac.jp/hayano/jp/e17j-parc.html

そうなのだ、日本政府の原子力政策の波に乗って、予算(実験設備という資源)をせしめて、実験しているのだ。つまり、日本政府が原子力政策を放棄してしまえば、早野龍五センセの研究道楽は成り立たないのだ。なぜなら、原子力関連予算の中から文部科学省がせしめる1000億円の中から研究資金が出ているからだ。

(なお、この実験施設に大学共同利用機関法人 高エネルギー加速器研究機構研などが入っているから、原研とは違う"財布"で基礎物理は研究しているとの反論があるかもしれない。間違い。1000億円に色がついているわけではない。問題は1000億円を財務省からせしめるときに、国策の原子力政策に寄与すると「ウソ」こいていること。)

何が問題か?

別に、おいらは、「早野センセが日本政府の原子力政策の波に乗って、予算(実験設備という資源)をせしめて、研究道楽をしている」ことを批難したいわけではない。

早野センセは原子力発電所については、たぶん、あんまり知らなかったのだろう。もっていた認識は、原発は地震でも安全。もし、放射能が漏れても、許容範囲内といったところだろう。もちろんこういう認識は大多数の科学技術従事者、つまりは凡庸な人々の持っていた認識と同じだ。

問題は、たぶん善意から、自分が原子核物理学の専門家だから、蒙昧な庶民がいたづらに原発や放射能に怯えるのを憂えて、専門家として原子力について説明したのだろう。そして、その説明が超楽観的なものとなった。

あるいは、その動機が、「蒙昧な庶民がいたづらに原発や放射能に怯えるのを憂え」たばかりではなく、「蒙昧な庶民にいたづらに原発や放射能」の恐怖を植え付ける「"とんでも学者"」に対する憤りだったかもしれない。少なくとも早野twitterを拡散させた者どもの少なからずのメンタリティは、この「"とんでも学者"」狩り、ニセ科学狩り者であるとの印象をおいらはもっている。"ぼくたちのおもちゃは危なくないんだぞ!"と訴えたかったのだ。

▼「御用学者批判」批判

早野センセの一連のツイートを読むと、いい人そうだ。そして、助っ人もいる。「御用学者批判」批判。伊東乾氏の発言;

::理学部物理の早野さんは東大の学者として情報発信していない。彼は「余裕の人早野さん」と言って地球市民として己の思う通りにしておられる。彼を知る誰もが同意すると思う。僕は芸術音楽家で大学の思惑も関係なければヒモもついていない。人としてなすべきと思う事をしている迄。人間として当然の事。

::「原発推進派」とか「反原発」といったレッテルも大いに要注意。僕は今回の件で既存の原発大半を核兵器と同様に暫時廃絶してゆくべきものと考えるようになったけれど、いま稼動して社会を支えている奴を代替なしにすぐ停止せよと迄は断言できない。現実を直視しながらのソフトランディングが重要と思う


それでも、早野龍五氏や伊東乾氏を「御用学者」よばわりする人たちの気持ちを考えてみる。彼らは、早野龍五氏や伊東乾氏ののんきな態度が許せないないのではないだろうか?早野氏や伊東氏のその没批判的な態度。伊東氏が典型的に示すような、「僕は今回の件で既存の原発大半を核兵器と同様に暫時廃絶してゆくべきものと考えるようになったけれど、」という物言い。これじゃ、単なる経験主義者。じゃぁ、何のための学識や知識なのか?サイレントネイビー[日米開戦を前に帝国海軍は必敗をわかっていたが、陸軍を前に黙して開戦を容認した、という"神話"のこと]どころか、蒙昧ネイビー、だべさ。何かあったら、転向して生き延びる。典型的、日本えすたぶりっしゅめんと的メンタリティではある。

「御用学者批判」をする庶民の根拠は学者が次のような理念に悖ると判断したからではないだろうか?つまり、学者や知識あるものは、「自己の狭隘なイデオロギーや日常的意識を不断に反省する努力」へて、起きてはならないことを事前に指摘し、善処すべきと世に問い質すべきであるという理念。ところが、起きてはならないことが生じてしまっても、学者や知識あるものの一部は、その管理者だる為政者を批判しなかった。だから、御用学者。日頃、偉そうに税金使っているくせに、どういうことか!という怒り。ならない警報機への不満。

でも、この庶民の「御用学者」への憤りが正統なものかは知らない。学者や知識あるものたちが「社会なんか知らないよ」という考えをもつことが許されないとされているかどうかという問題になる。事実、少なからずの食税研究者たちは、自分の研究さえできれば、「社会なんか知らないよ」という考えを、無自覚にでも、持っている(例えば、あの昭和20年3月10日深夜の東京大空襲の翌朝、空襲を免れた東京帝国大学理学部物理学教室は、通常授業を行っている;愚記事:罹災の巷低く見て、)。そんな彼らは、"活動家"が大嫌いだ。

そして、大御所;





物理学会誌2011年2月号より