ピレネーを越えてみた。と言っても、巡礼者のように歩いたり、登山者のようにピレネーの山に自分の手足で登ったり、縦走したりしたわけではない。ただ、ピレネーを越える乗り物で物見遊山しただけなのだ。ピレネーはフランスとスペインの境にある。フランス側からスペインに行った。フランスの町ポーからスペインのハカまで。
図左:3Dで示されたピレネー山脈。航空図からパクってきたので、赤線は空路。本文に関係なし。
図右:路線図。濃い灰色部分がフランス領、白の部分がスペイン。Pau(ポー), Oloron(オロロン), Jaca(ハカ), Huesca(ウエスカ), Zaragoza(サラゴサ)は街の名前。324とか654は時刻表での該当のページ。距離ではない。
行き方は、ヨーロッパの鉄道時刻表で調べた。トーマスクック。
ポー(フランス)からバスでオロロン(フランス)へ行く。オロロンからまたバスでスペインのカンフランクへ行く。カンフランクからは鉄道、スペイン国鉄のrenfeでピレネーを越えた平原の大都市サラゴサまで直通でいける。その列車は途中ハカやウエスカという町にも停まる。峠はオロロンからハカのあたり。おいらは、ハカで降りた。
ポーまでは朝一の航空便でパリから行った。ポーの空港は日本で比較すれば、鳥取空港や米子空港より小さく、閑散としていた。ポーの空港は郊外にあった。これから乗るバスが発するポー駅は街にある。空港から街までバス。乗客はおいらども以外ひとり。
ポー駅。昔はパリからポーを通りピレネーを越える鉄道がマドリッドまで走っていたらしい。
今はbus de substitutionである。12時20分発オロロン行き。
ポー駅のホームで見た猫。
ポー駅ホーム。
オロロン行きのバス。
バスの客は8人くらい。3人のグループの英米人(おそらく米国人)とフランス人。スペイン語を話している客はいなかった。
バスからの風景。まだまだピレネーには遠いが、地形は水平さを失い、丘陵地帯となっていく。
土地利用は牧草地。牛、羊が飼われているのが見えた。
バスは1時間弱でオロロンに着く。
オロロンの街。
オロロンでもバスは鉄道駅に着いた。
駅前に人影は見えない。次の仏西国境を越えるカンフランク行きのバスの出発まで1時間半あまり駅前のカフェで時間を潰す。本当は昼ごはんを期待していたのだが、カフェのおばさんは、「食べ物はないんだよ」( in 拙い [1] English)、すまなそうにいう。でも、「サンドイッチを買ってきてあげるから何がいい?」 in English と聞いてくれる。而して、パテ&ピクルスのフランスパンサンドにありついた。
2016後記:[1] なぜ、拙いと書いてしまったかというと、このあとおいらが聞きたい質問があった。そうしたら、このおばさんは、「それじゃ、娘を連れてくるよ」と言って、英語ができる娘を連れて来てくれた。今[2016]思えば、ここは、フランスだったのに。 フランス人は全く英語を話さないとうのはデマである。
ここまでポーからオロロンのバスの切符はフランス国鉄(SNCF)のネットのサイトで購入できた。
一方、オロロンからカンフランクまでの切符はフランス国鉄からもスペイン国鉄(renfe)のサイトからも買えなかった。
そもそも本当に運行しているのか!?とか少し不安だった。結局、バスの運転手さんに直接支払った。10ユーロ。
オロロン駅からカンフランク行きのバス。乗客は5人くらい。 そして、ピレネーです。
バスは渓谷を走ります。道は曲がりくねるということはありませんでした。画像は車中から撮影のためいいものがありません。仏西国境はトンネルで越えたようです。トンネルに入る直前にバスが事務所みたいところに寄りました。バスの運転手さんが事務所の人に何か言いました。おそらく国境事務所なのでしょう。乗客に対するチェックはなかった。
そして、カンフランク。およそ1時間半かかった。
カンフランク駅。廃舎。20世紀前半はパリ―マドリッドの鉄道で栄えたらしいです。
この画像の左に見える赤い車両がサラゴサ行きの列車。 安易で安楽な流れ旅を気取るおいらは、これに乗るのだ。
列車の左の「掘っ立て小屋」で切符を売っていた。
このカンフランク駅の赤帽列車は(キルケゴールのいうところの)ヘーゲリアンであるとわかる。
なぜなら、「大伽藍を打ちたてた横の掘っ立て小屋」で運行しているから。
2両編成の列車で出発。
30分あまりでこの日泊る街ハカ(Jaca)に到着。18:23。
黒猫が出迎えてくれた。
ハカはオリンピックの開催地にも立候補するウインタースポーツの盛んな街らしい。夏は避暑地なんだろう。リゾートだ。そんな目的のホテルに泊まる。客はほとんどいない。中世の大聖堂がある中心街から歩いて20分ほど。
カッコーが鳴いていた。
【後記】 ピレネーを越えてみた、 【その2】 もあります。