この点においても、ニューアカは教養主義の極限の姿を示してくれる。思えば、あれはたしかに「虚名」の時代であった。「浅田彰」や「中沢新一」や「栗本慎一郎」は名前として、歩きまわっていた(アキラは二つ重ねた「麻原彰晃」もそうだった)。さらに言えば、それは印刷された文字だったから、四方田とか丹生谷などの読みにくい苗字は有利だったような気がする。ハスミ先生には、本書もその慣習に従っているように、かならず本字が使用されねばならなかった。
高田里恵子、『グロテスクな教養』、第三章 出版社、この教養の敵
「ハスミ先生には、本書もその慣習に従っているように、かならず本字が使用されねばならなかった。」
そうでもないょ; 現代思想 1976年9月
一方、1979年には「本字」となっている。
ここまでのまとめ。
特集 === 蓮實重彦
の月刊雑誌、『現代思想』はいつごろ刊行されるのであろうか? 毛沢東や小林秀雄を超えて...
■ おいらの日常
たけのこをもらいました。
おまけに、ぬか までいただきました。当然、アク抜きのためです。
たけのこのアクは抜いても、ずぶんのアクは抜くな!との方針に忠実にがんばりますた。
そして、茹でました。
たけのこをとてもおいしく感じます。 年なんだと、思います。
中二病の治療には、たけのこが効くのではないだろうか?という仮説を思いつきました。
ちなみに、たけのこ = タケノコ = 筍 を英語ではbamboo shoots (google 画像)といいます。
すなわち、bamboo shoots とは、 竹鉄砲 ( google 画像)ではないということです。
北米の中華街ではタケノコの水煮の缶詰が売っています。北米では、東亜の食筍者(bamboo-shoots eaters )同様、年がら年中、タケノコを食べることができます。