いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

自ら負けてよかったと言うような戦争をしたのだ; 陸軍幼年学校編

2014年07月27日 19時06分34秒 | その他

 先週「日本は戦争に負けてよかったのだ」と海軍兵学校出身者が言っていることを書いた(愚記事:吉目木晴彦、『ルイジアナ杭打ち』について知ったいくばくかの公知情報 )。その愚記事でいいたかったことは、戦後は世間でなんとなく「戦争に負けて軍国主義がなくなり、平和で民主的ないい世の中になった」という雰囲気があったが、それを明確に文章にしたもの、しかも軍人志願者による発言を文章としたのは珍しいのではないかと指摘したかったのだ。

違った。別途、見つけた。そもそもそんなに本を読まないおいらが、「こういう文章は珍しい」とか言うことが間違っていたのだ。

 陸軍幼年学校に進むほどの軍国少年だった私は、それをたいへん不幸だと思いました。国民の大多数も、戦争が終わったことに安堵はしたものの、敗戦自体は不幸だと感じていた。しかし、今振り返ると、あの巨大な不幸が私たちに幸福をもたらしたことがわかります。もし、戦争に勝っていたら、日本人は国の武力を誇り、傲慢で嫌な国になっていたでしょう。敗戦という苦しみと屈辱を受けたために戦争の愚かさに気づき、平和を重んじる国になれたのです。戦争放棄を定めた憲法九条は、不幸のどん底に突き落とされた国民の願いの結晶でした。新憲法をつくるにあたりアメリカ側の働きかけがあったとはいえ、後世に残る名文で書いたのは日本人です。基本的人権や婦人参政権なども、日本が勝ち続けていたら実現が遅れていたでしょう。
加賀乙彦、  『不幸な国の降伏論』   『不幸な国の幸福論』