▲ 今週のみけちゃん
▼ 今週のぶどう、第404週目
■ 今週の武相境斜面
■ 今週の武相境斜面2: 「カントリー・ジェントルマンの竹槍訓練」
15年前の月刊『文藝春秋』で見つけた。あの白洲次郎 (wiki) が戦時中に竹槍訓練に参加したのだという。これは、大いに意外であった。
母の話では、いよいよ本土決戦がささやかれ始めた頃、隣組で竹槍訓練が行われ、参加した父がリーダーに「この者は敵国の学校を卒業したにもかかわらず、竹槍訓練に参加するとは感心である」とお褒めの言葉を頂いたそうです。父の憮然とした顔が目に浮かびます。「白洲次郎・正子の奇妙な戦争」、牧山桂子(白洲次郎・正子長女)、特集「証言 父と母の戦争」、雑誌月刊『文藝春秋』2007年、9月号
文章を書いた牧山桂子さんは、英国留学に目くじらを立て、揶揄、抽象する「軍国日本」の世情を表現したかったのだと思う。しかしながら、そもそも、なぜ受難に至ったかというと、竹槍訓練に参加したことであると文章からわかる。英国流で戦時下でも自分の意に添わぬ国策には毅然としていたといったキャラクターで人気を博して来た(?)白洲次郎が竹槍訓練に参加していたという史実が意外であった。
左上から時計回りに、「武相荘」(「+」の位置)の地図、地形図、現在の航空写真、1960年代の航空写真。戦時中の状況は1960年代の航空写真とほぼ同じと推定できる。
なお、竹槍訓練の話とは別に;
戦時中なら国賊と言われたでしょうが、母(白洲正子)は一部の軍人たちに良い印象を持っていませんでした。よく、戦争に負けてよかった。もし勝っていたら彼らが威張り腐ってどうしようもなかったと言っていたものです。(同上)
「一部」と申し訳をしているのは、白洲正子(wiki)が軍人の家系だからだろう。ところで、「戦争に負けてよかった。もし勝っていたら彼らが威張り腐ってどうしようもなかった」というのは決まり文句なのであろうか? おいらが、このような科白を聞くのは2度目だ;
日本は戦争に負けてよかったのだというのが私の両親の一致した意見だった。勝っていたら軍部が威張ってどうしようもなかっただろう。
(愚記事:吉目木晴彦、『ルイジアナ杭打ち』について知ったいくばくかの公知情報)
祖父、樺山資紀[すけのり](wiki)と白洲正子
■ 今週の花
■ 今週の「天ぷら」
メーカー かね貞 web site
おいらが生まれ育った北海道(札幌)では「薩摩揚げ」を「天ぷら」と云っていた。のち、内地で「薩摩揚げ」と(も)いうのだと知る。今週、「薩摩揚げ」を「かき揚天」という例に出会った。
■ 今週の訃報
Google[中井久夫さん死去]
関連愚記事: 精神科医へものを書くとき
■ 今週の突発的アクセス記事
1937-1972の大戦略;文麿と角栄の間
■ 今週の朝日新聞批判
福田達夫自民党総務会長(当時)が、統一教会問題に対し、「何か問題なのか、よく分からない」と発言した件。朝日新聞は大きく報道しなかったとのこと。「リベラル」系?YouTubeで指摘されていた。
https://www.youtube.com/watch?v=DFZqcrPgftI
「太子党」?: 祖父と父が首相であった三世議員の福田達夫は政界・マスコミ界の日本administration/ えすたぶりっしゅめんとの癒着集団で生きているとの う わ さ。朝日新聞など大手新聞に叩かれなかったのはこの癒着集団のおかげだろう。
自民党の関係者は、「あの釈明文書は、番記者の“推敲”を経て発表されたものです」と声を潜めて言う。
「会見の発言が炎上し、福田さんは『どうしたらいいんだろう』と、かなり慌てていたそうです。福田さんがマスコミ幹部に相談すると、『釈明したほうがいい』と忠告された。そのため自分で下書きを作成し、その後、安倍派を担当しているNHKやフジテレビなど5人程度の番記者が秘かに呼ばれ、福田さんは下書きを見せました。そして記者たちのアドバイスを受けてから発表したそうです」(ソース)
■ 今週の「実現されなかった演説」
今年、5月に撮影。韓国に年間数百億円を送金できるための金づる日本を守るということか?
なお、山谷えり子さんと旧統一教会との「深い」つながりを示すエビデンスは現在のところ認められていません。御本人も支援などを否定しています。でも、日本は金づるだとは認識していたのだろう。そうでなければ、政治家失格程度の無知。ということは、金づる日本を容認していたことになる。
もちろん、安倍元首相の暗殺で、9/23の安倍元首相の講演は露と消えた。
■ 今週の「弟」さん
YouTube: https://www.youtube.com/watch?v=u1HLkVOAkL4
山谷えり子さんの弟さんのYouTube。戦後日本の対米従属体制の批難。その対米従属は日本のestablishmentにより実行されていて、その根拠となる世界観は「巨大な嘘」により形成されていること。そして、その誤認である嘘の世界観を持っていることへの批判。その中で、その嘘の世界観から脱却している人として村田良平が挙げられ、彼の回想録の入手が困難であることが語られ、図書館で借りてね!と云っている。
村田良平とは?;
さて、「米国に隷属した国、平たく言えば属国」とは、反米ウヨらしい口ぎたいもの言いをするものぞと、首をすくめる貴兄が多いとは思う。でも;
よって私は五十二年(1952年)四月二十八日に、日本は、こと防衛に関する限り、これからも長期に米国に隷属した国、平たく言えば属国でありつづけると認識した。
と云っているのは、駐米大使、事務次官まで務めた the 外交官さまなのだ(後述)。
米軍にしてみれば、占領当初の日本の非軍事化という目的は十二分に達成したものの、日本列島の各要地に、代替不可能といっても良い軍事基地を手にしている以上、これを恒久化しようととの願望が生まれたとしても何ら不思議ではない(施政権を返還した後の沖縄についても同じことが言える)。
このために、不幸なことに、米国では、予算節約や純軍事的見地といった米側のみの都合から整理したものは別として、日本占領で一旦手に入れ一層整備拡大した基地はそのまま保持することが当然視された。独立国から軍事基地を提供してもらうことに際して当然払うべき配慮、遠慮、評価、感謝といった心理が生まれないままだったと言える。そして、日本政府も当初の”止むを得ない”という感情をそのままずるずると持ちつづけた。それ以後現在まで五十六年間、この日米間の了解が、抜本的な見通しのないまま今日に至っている。日米安保体制の実質はその後かなり変化しているが、その発足時の日米双方の心理的な受取り方は、途中一応の条約の改正はあったものの、今日まで五十数年間変わっていないことは実は歴史的にも極めて異常な状態なのである。
また、米軍は名目上は日本防衛にも当るとはいえ、米軍の日本駐留は米国自体の国益のためであり、かつかかる状況が恒久化したのは大東亜戦争で日本が早期降伏の機会を逸して完敗し、ポツダム宣言を受諾したための日本の完全な武装解除と日本全土の六年以上にわたる占領の結果であることも、これまた否定できない。よって私は五十二年四月二十八日に、日本は、こと防衛に関する限り、これからも長期に米国に隷属した国、平たく言えば属国でありつづけると認識した。不幸にして冷戦の継続もあり、私のこの認識は、今日に至っても基本的変化はない。(『村田良平回顧録 -戦いに敗れし国に仕えて- 上巻』2008年) 愚記事:忠米外交官 松田慶文 さんはその後どうなったのか? 相模原戦車輸送阻止闘争 - 1972
■ 今週の新本・古本両市場にない[#1]本の図書館での予約数
[#1] ここ数日、Amazonに出ました。「日本の古本屋」には在庫なし。
『村田良平回想録』は、外務省事務次官、駐米大使を務めた外交官の回想録。当世の「保守」でこういうことを云うひとがいなくなった。
そもそも、米軍が、占領時代の基地にそのまま、いることがおかしいという日本国人の「主権」を実現するための「当たり前」を確認する;
私が現在も「葛藤」と呼ぶ感情を抱くのは、敗戦後二〇年間位ならともかく、それ以後も米軍は当然のこととして日本に居すわり、また日米政府も国民も、「自国の領土を占拠されている」という事実の根源的な不自然性に鈍感となってしまったとの状態が、冷戦終了後も何ら変わらないことへの割切れない気持ちからである。
なお、当世、在日米軍の存在に抵抗感がないというのが、「保守層」、(政府系)安全保障専門家の大多数の認識、意識、感情(上記の村田の「葛藤」なぞない)である(例えば、高橋杉雄。東浩紀が「国家の主権」を云うことに対峙している)。
さらには、村田良平の米国観は下記;
また米国は、世界の多くの地域で、徐々に不人気の道を加えているが、この理由の根本は、米国人の「唯我独尊」病というほぼ治療可能な病を持つ国民性と制度(例えば米国議会という組織を学べばすぐ分かる極端な独自性)によるもので、個別政策に由来するものではない。よって米国への不信や敵意は、今後も久しく続くであろう 。
おいらにとっては痛快だが、これまた、やはり、当世「保守」界には受け入れられないだろう。それにしても、米国人の「唯我独尊」病というほぼ治療可能な病を持つ国民性とはすごいにゃ。
■ 今週のガ島
ガダルカナルの戦い80周年の式典(google)
太平洋戦争中の激戦で知られる「ガダルカナルの戦い」から今年で80年です。現地で行われた式典には日米の高官が揃って出席 (ソース)
式典には自衛隊も参加したらしい。その場合、「(日米)どっちの立場」で参加したのだろうか?
当然、自衛隊は警察予備隊として誕生。警察予備隊とはマ元(マッカーサー将軍)の命令でポツダム政令で発足した。自衛隊は、法制上、大日本帝国陸軍とは何の関係もない。法制上ばかりでなく、思想、実体も関係ないことが要請されているはずだ。自衛隊の「将校」たちは旧軍とは絶縁した思想と組織を成すことを教育されているはずである。
と考えることも、上記の村田良平思想と同じく、当世では全くアホなことなんだろうなぁ、通用しないんだろうなということは、感じている。
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