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新幹線から見た。東寺だよね。2009年02月20日と同じネタになってしまった。
■ 今週読んだ本:三島由紀夫『美しい星』
先日の『鏡子の家』と違い、背表紙が色褪せていない。この版は平成29年(2017)刊行。ここ数年以内にブックオフで買った。購入価格500円。定価は630円。したがって、中古価格はそんなに下がっていない。
『美しい星』は、昭和37年・1962年に発表の作品。読む前の予備知識は、三島にして唯一のSF作品という評。読むと、空飛ぶ円盤は出てくるが、自然法則をフィクション化した内容、あるいは、実現不可能な技術を想定したお話というわけではない。SFではなくとも、空飛ぶ円盤を信じる人たちはいるし、そういう信者にとって空飛ぶ円盤はリアリティがあるに違いない。むしろ、ある種の「狂人」たちのお話といえる。
ところでこの作品、SFというより、思想小説でもある。暁子の処女懐妊などはSFというより神学フィクションといえる。イエスの父とはどんな「人物」であったかと読める件もでてくる。三島アイテムという視点では、虚無(ニヒリズム)に加え、bloody: 血まみれも出てくる。あと、これは指摘されていないことだと思うが、三島は同時代の高度経済成長と消費社会に、ついていけなかった/疎外感をもっていた/嫌悪していた。高度経済成長前の小売店の店舗、品揃え、商品展示から百貨店の商品についてなど、高度経済成長の消費社会について書いている。
さらに、今のいうところの、反出生主義的思考、加速主義的思考が認められる。そもそも、ハイデガーの影響が見える。「アウシュヴィッツが、罐詰工場や化学薬品工場とどこが違っただろう」と言わしめている。8章、9章の「思想」披露を奥野健夫はドストエフスキーの「大審問官」を思い浮かべるといっている。8章、9章は丹念に読む必要がある。
三島由紀夫は作品の創作中はその中の人物になりきる習性があったらしい。この『美しい星』を書いている頃について村松剛は下記報告している;
『美しい星』を書いていたころの三島は、半ば宇宙人になりかかっていた。狭山に今夜UFOが降りるのだといってヤッケをまとい水筒と双眼鏡と雑嚢とを下げ、(新潮社の編集者である)菅原氏の表現によれば「何ともいいようのない恰好で」深夜現地に出かけて行った。この場合も、菅原氏は同行している。
「ご自分で作りあげた主人公になりきる習性がある」と氏がいった(後略) 村松剛『三島由紀夫の世界』
▼ 金沢、仙台: なぜか、舞台場が本拠地の埼玉県飯能市に加え、金沢と仙台である。
SFといわれるにしては、架空の土地ではなく、具体的地名が示される。なぜ、金沢や仙台なのかわからない。この作品の時代設定は1962年頃である。キューバ危機とケネディ暗殺の間の時期とすれば作品の叙述と整合性がとれる。すなわち、米ソ核戦争の危機があった時代。「ボタン戦争」という言葉は今の人は知らないだろう(goo辞書)。この作品には「釦」が頻発する。戦争と平和をめぐる主題が大きく横たわる作品である。そういう視点でみると、この作品で、金沢に行った登場人物は「内灘」に行く。防風林となったその地で「人間たちのあの有名な血みどろの闘争の跡」と発言させている。ただし、その「内灘」の有名な血みどろの闘争[1]とは何であるかは書かれいない。今の人が読んでもわからないに違いない。
[1] 内灘闘争 [wikipedia]
金沢と仙台は、共に有名大大名の城下町であり、近代には陸軍の師団司令部があった街だ。ただし、金沢はB-29が来なかった戦災を被らなかった街であるのに対し、仙台は大規模な空爆を受けた。
▼ そして、藤崎、あるいは、硫酸なんか売っていたのか!?
藤崎デパートが出てきた。三島作品でデパート名の名指しという例は、仙台の藤崎デパート以外、あるのだろうか?なにより、驚くのが、登場人物が仙台の藤崎デパートで買うものが、硫酸なのである。
▼ SFというにはあまりに実際的:仙台川内の米軍住宅
別にこの作品の主題とは関係ないのだろうけれど、些細な事について。
(前略)羽黒は入試の答案の採点の仕事が残っていたので、早目に青葉城下の米軍キャンプ跡の家に戻った。それは広瀬川五間渕に跨る大橋を渡って、城址へ昇る広大な舗装道路の右側にあり、米軍が引揚げたあとは、その簡素な洋風の小住宅の群れは、公務員住宅に転用されてて、裁判官や検事や大学の先生が住むようになった。
家々は左右相称の構造を持つ平屋の二軒長屋か、二軒建の四軒長屋で、まわりに芝生や花壇や、アメリカ風の物干し場を巡らしていても、ローラーで坦(な)らした土地には眺望も風情もなかった。
広瀬川五間渕に跨る大橋を渡りながら、青葉山・大手門跡地・仙台城址を望む(愚記事)
二の丸の占拠者の変遷:仙台伊達家➡日帝陸軍➡米帝陸軍➡大学
なお、この三島が登場人物羽黒をして歩かせしめた通りは、仙台のページェント通り[2]である(愚記事)。
[2] ページェント;pageant (歴史的な場面を舞台で見せる)野外劇。 (時代衣装などを身に着けた壮麗な)行列、山車(だし)、はなやかな見もの。
仙台市青葉区川内は敗戦前は旧軍(陸軍第二師団)施設であり、敗戦後進駐米軍の基地(Camp Sendai [wiki])となったことは知っていた(愚記事:①、②)。しかし、今となってはワシントン・ハイツの資料からわかるような米軍住宅がCamp Sendai にあったのか、どの位置にあったかなどは知らなかった。奇しくも、三島の小説で知った。ただし、事実かわからないが。三島の小説の文章を辿ると、それと思しき建物群は確認できる。
1945-1950年の航空写真
米軍駐屯は、昭和20年9月~32年11月であった。
Camp Sendaiの住宅域の航空写真が見つかった(ソース)↓
「仙台市史 特別編④市民生活」P326掲載写真 / 川内キャンプは、仙台に進駐した米軍が、陸軍第二師団跡地を接収し、1945年(昭和20年)秋に設置 /左斜め上へゆく通路を境に、右上が司令部ほか各施設のエリア / 左下が宿舎のエリア (ソース)
★ 蛇足
上の1945-1950年の航空写真の「建物Z」が、下の航空写真の下部の左右に伸びている建物である。この長い建物は、その後、昭和末期まで残存し、平成元年を生き残った(はず)。
■ 今週の耶蘇
日本民間放送連盟(民放連)会長でフジテレビ副会長の遠藤龍之介氏が23日、都内で定例会見を行い、芸能界引退を発表したタレント・中居正広について言及した。
遠藤氏は、一連のトラブルについて初めて知ったのは「昨年12月の中旬。自宅に文春さんがいらっしゃった。トラブルの本当の内容というのが、私も含め、分かっていない。非常にショックを受けた」と心情を明かした。(ソース)
女子アナを接待要員に使うことは以前から行われていたとの情報もある。遠藤龍之介が社長、そして、それ以前に、そういう会社の慣行であったことを知らなかったのであろうか? ところで、この人「宗教N世」(3世?)だよね。別に、御本人がいいのであれば、いいのだけど。
あたりまえだけど、耶蘇だからといって、倫理的にすぐれているわけではない [3]。でも、「懺悔」すれば「禊」だ、というシステムで悪行を続行しているとすれば、興味深い。というか、耶蘇・毛唐さまたちってそういう人たちだよね。
[3] 松田武、『戦後日本におけるアメリカのソフトパワー 半永久的依存の起源』では、占領下の日本の民主化の実現性を評価した米国占領者、知識人たちは、日本人がキリスト教なしで民主化できることに疑問を呈していたとされる。
■ 今週返した本
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