いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

駒込で降りた行商のお婆さんは、

2013年03月06日 20時10分30秒 | 東京・横浜

 ある平日、筑波山麓から常磐線に乗って、東京は新宿区に行った。常磐線は日暮里で降りて、山手線に乗り換えて、目的の新宿区の駅を目指す。東京になじみのない方々に説明すると、常磐線の東京での終着駅は上野駅(関連愚記事;上野駅、猪熊弦一郎、『自由』)。ただし、~♪~都の西北~♪~たる東京都新宿区へ行きつくには、上野まで進む必要はなく、一歩手前の日暮里駅(地名にッポがつくなんじゃやめずらいぃ!(平均的内地人は、)さっぽろ‐ぐらいしか思いつかないじゃないか!関連愚記事;札幌を鳥瞰)で降りて、上野へ行く方向とは逆の方向を進む山手線に乗り換える。日暮里駅から山手線に乗った。午前11時30分頃。車内は、席が空いているほどすいていた。3人が座れるシートにひとりの担ぎ屋のお婆さんがすわっていた。担ぎ屋さんと判断したのはおいらだ。無意識にか、山手線には行商はいないだろうと勝手に思い込んだのだ。その3人がけのシートにすわった。その担ぎ屋さんの実情をおいらの脳内で妄想するためだ。担ぎ屋さん。その存在意義は?ある。例えば、都内の町工場で30kgの部品を造ったとする。当然、納品する。上流 下流(より製品に近い工程)の町工場へ、納品だ。今なら、宅配便がある。でも、30kgなら2000円はコストがかかる。もし、専属の担ぎ屋さんを確保していれば、都内なら、宅配便のコストより安く、輸送してもらえる。おいらは、このおばぁさんはそういう担ぎ屋さんなのではないかと、妄想した。

 違った。お婆さんに聞いてみた。 紅顔の美少年が、ずうずうしくなって、つまりは顔のツラ()が厚くなって(厚顔の汚中年となって)、できるようになることは、知らない人に話しかけることである。

「この中には、何が入っているのですか?」

「野菜だゃ」

やはり、行商さんだったのだ。この日が、山手線で行商さんを見た初めての機会だった。

「どちらから?」

「取手だゃ」

うを~!何のことはない、常磐線で来たのだ。

常磐線では一度だけ行商のお婆さんを見た(愚記事;行商の老婆)。

 この行商のお婆さん。荷物は高々30kgだろう。もし、大根だとすると、大根はキロ150円として、4500円相当を担いでいることとなる。取手―駒込の往復交通費は2000円。大根が全部売れたとして、2500円が手元に残る。時給にして、500円程度ということとなる。

 おいらが日暮里でこの山手線に乗ったときには既にこの行商のお婆さんは席に座っていた。つまりは、常磐線で取手から終点の上野まで行って、そこで山手線に乗り換えているのだ。

その行商の老婆は、駒込駅で降りた。

そして、その取手からの行商のお婆さんは2011の3・11の時は、都内にいなっかたのだろうか?いたなら、どうやって取手まで帰ったのだろか?とか妄想していた。

すると、となりの席に誰か座った。

見ると、下記ご婦人である;

みんな、荷物に恵まれているのだ! 恐るべし、午前11:30の山手線!



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