いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

東京散歩;多摩丘陵 小野路 ⇒ 小山田緑地、大泉寺、尾根緑道 ⇒ 南大沢駅

2022年03月21日 16時21分25秒 | 東京・横浜

多摩丘陵の土地開発されていない地域である小野路から、北の地形改造された地域の南大沢までの散歩。

1;小野路神社、2;八雲神社/小野路城址、3;奈良ばい谷戸、4;小山田緑地・みはらし広場、5;大泉寺、6;小山田バス停、7;尾根緑道中央交叉点、8;南多摩斎場入口交叉点、9;米軍由木通信所跡地/長池公園、10;京王・南大沢駅

図中の中央の瞳の形のような地域が土地開発されてない保存されている丘陵地域。

↓ 1960年代の航空写真。谷と尾根で構成されている丘陵。この時点で地形は全く造成されていない。

■ 1;小野路神社 ⇒ 2;八雲神社/小野路城址 ⇒ 3;奈良ばい谷戸

小野神社前T字路交叉点。

江戸時代、小野路宿にあった旅籠はたご・旧「角屋かどや」を改修した施設「小野路宿おのじじゅく里山交流館」は、小野路の歴史・自然・文化にふれあう拠点施設として、また、地域の里山等を散策する方の休憩施設として、整備したものです。町田市web site

小野路町は鎌倉時代、鎌倉幕府と武蔵国の国府である府中を結ぶ道が小野路を抜けていたことから古道が多く、鎌倉街道や布田道などが面影を残す。江戸時代中期には大山街道の宿場となり6軒の旅籠と堀割があったという。居住者の多くは里山で農業を営む。情報源

小野路の地は古代から鎌倉街道の重要な中継点の一つとして知られていたが[1]、天禄年間(972年頃)に武蔵国司として赴任した小野孝泰(小野篁の7代後の子孫)が、この地に祖先の小野篁を祀ったのが始まりとされる。wiki

大きな通りから丘陵域に入る。

萩生田牧場:豊かな自然がのこる小野路町で、長年にわたり続く萩生田牧場。JA町田市

▼ 2;八雲神社/小野路城址

八雲神社(城山の天王様)、〒195-0064 東京都町田市小野路町797

▼ 奈良ばい谷戸


1;小野路神社 ⇒ 2;八雲神社/小野路城址 ⇒ 3;奈良ばい谷戸 ⇒ 4;小山田緑地・みはらし広場

■ ⇒ 4;小山田緑地・みはらし広場 ⇒ 5;大泉寺 ⇒ 6;小山田バス停

奈良ばい谷戸と小山田緑地の間を走る大きな通り

小山田緑地へ向かう。

みはらし広場。9:00。誰もいなかった。

小山田緑地のみはらし広場から去る。下って、民家の間をはしる公園の道を通り、公園から出る。

▼ 5;大泉寺

大泉寺(だいせんじ)は、東京都町田市にある曹洞宗の寺院。 

室町時代中期、無極慧徹によって開山された。当寺の前身として、1227年(安貞元年)に開山された真言宗寺院「高昌寺」があった。豪族の小山田有重の五男行重が父の菩提を弔うために創建したものである。その後、無極慧徹が有重の居館跡に高昌寺を移し、改めて曹洞宗寺院「大泉寺」としたのが、当寺の起源である。

本堂の側に「小山田高家公顕彰碑」がある。小山田高家は南北朝時代の武将で、有重の末裔である。湊川の戦いで、南朝方の新田義貞の身代わりとなり戦死した。この功績を顕彰したものである。 (wikipedia)

大きな杉が多く、寺の古さがわかる。入口の通りは桜並木。花の季節はすばらしいだろう。

▼ 

▼ 6;小山田バス停

■ ⇒ 6;小山田バス停 ⇒ 7;尾根緑道中央交叉点  ⇒ 8;南多摩斎場入口交叉点

▼ 7;尾根緑道中央交叉点

このあたりが「峠」。峠を南(相模原方面)に少し降りて、振り返り、尾根緑道に入る。

尾根緑道を西へ。

尾根緑道から相模原を見た風景。工場のような建物は、米軍基地の相模原補給廠。

▼ 尾根緑道から降りる

▼ 8;南多摩斎場入口交叉点

■ ⇒ 9;米軍由木通信所跡地/長池公園

 

長池公園の里山口から園内に入る。

 由木通信所(ゆぎつうしんじょ、Yugi Communication Site)は、東京都八王子市別所にある、元在日米軍施設である。 2016年7月1日に敷地の全てが日本側に返還された。
 敷地面積は、3891平方メートルで、横田飛行場(横田基地)と同じく米第5空軍第374空輸航空団が管理をしていた。
 全て国有地となっており、敷地内には、47メートルの通信鉄塔のみが建ち、極超短波通信中継施設として機能している。wiki

この日、電波塔を、おいらは、確認できなかった。場所がわるく、死角になっていたのだろうか?


左上から時計回りに、地図、地形図、航空写真(1960年代)、航空写真(最近)

通信所があった場所はこの当たりで一番高い丘だったことが1960年代の航空写真からわかる。かつ、この丘の最高地点を道が通っていた。終戦時、田畑しかなかったこの当たりに米軍の通信所ができた。もしかして、終戦前から旧軍の施設だったかもしれない。


4;小山田緑地・みはらし広場 ⇒ 6;小山田バス停 ⇒ 7;尾根緑道中央交叉点 ⇒ 8;南多摩斎場入口交叉点 ⇒ 9;米軍由木通信所跡地/長池公園、

▼ 地域発達史


左上から時計回りに、地図、地形図、航空写真(1960年代)、航空写真(最近)

図の左上端が南大沢駅。図中の「+」が地点番号6の由木通信所。後に、この地点を通って丘陵を分断する南尾根幹線道路が走ることになる。この道路より北側が地形を造成する域となる。変貌ぶりは上の画像でわかる。

■ ⇒ 10;京王・南大沢駅

このあたりは、丘陵が削とられ、平坦にされた地域。多摩丘陵の開発の結果だ。

「豪族」の御屋敷。おそらく旧住民の家なのだろう。

南大沢駅の場所(図中「+」)の今昔。航空写真(左=現在、右=1960年代)

 

■ まとめ 
通過町

町田市 小野路町、下小山田町、上小山田町、
八王子市 別所、南大沢



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