いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

ダメだ! おいらの俗物猫

2009年02月15日 21時38分37秒 | ねこ




うめちゃんは、二六時中、陽のあたる場所を求めて、家の中をうろうろしている。

陽のあたる場所に身を置くことしか頭にない、とんだ俗物である。

おいらの一番嫌いなタイプだ。

今度、説教してやる!


「そうでもないよ。 時々押入れに引きこもり」

陽のあたる場所



それでも、おいらは、毎週梅の木の写真を撮っていきます。57

2009年02月14日 09時37分01秒 | 筑波山麓


おととい、一輪だったのが、ぶわぁーっつと咲きました。

去年の2/23は、まだ咲いていなかったので、今年は暖かいのでしょうか? あるいは、引っ越して陽のあたる場所にあるから早くさいたのでしょうか?


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あなたはふぐりを天日干ししたことがありますか?

2009年02月13日 20時22分57秒 | 草花野菜

陽だまりのふぐり


ふぐりの天日干し。

本当は反対だった。(爆嗤)

本当は反対だった、って吉田-麻生のお家芸だろう。

現在でも、吉田茂は憲法9条に本当は反対だった、つまり、

"再軍備"に本当は賛成だった,という人々がいる。

実は、おいらもそうだと思う。 でも、問題はそういうことではなく、公の場で、それも国会で、内閣総理大臣として、「自衛戦争という発想こそ諸悪の根源」の意を言った吉田茂は、本当は何を考えていたにせよ、まぬーけ、なのである。

「国家正当防衛権に依る戦争は正当なりとせられるようであるが、私はかくのごとを認めることこそが有害であろうと思うのであります。」 by 吉田茂

つまりは、吐いた言葉なぞ、あるいは、なした行為なぞ、後でどうとでもなるという、世の中をなめきった、ぬっぽん・えすたぶりっしゅめんとに特有な悪癖こそ、現在麻生太郎に出来(しゅったい)しているものに他ならない。

● それにしても謎

なのが、安部晋三や麻生太郎にきらびやかなポストを与え、引き立てた われらが小泉純一郎さんである。 やはり、三代目に「愚民党をぶっ壊させる」遠謀だったのだろうか?

「おばかでした」と (漢字苦手なので)やまと文字で書く 三代目。





<てらすこと>と<よむこと>、あるいは影の薄い中間子・月読命

2009年02月11日 09時11分24秒 | 筑波山麓

- 君はそんなに新しい粒子が好きなのかい? -

 ボーアに中間子論のアイデアを説明した時、湯川が言われたとされる言葉


紀元節の今日、おいらは、つくば市(旧茎崎町地域)の月読神社に行きました。

大きな地図で見る

中間子
浅学非才のおいらは、日々知らない言葉に出会うわけですが、先日週刊誌を見ていたら「中間子」というの言葉が躍っていて、なんだべ?と思ったら、長男長女でもなく末っ子でもない、まさに中間の子供を中間子と呼んでカテゴライズして、「長男長女」、「中間子」そして「末っ子」の性格占いをしていた。知らなんだ"中間子"。

ツクヨミノミコト(月読命)
これまた知らなんだ、アマテラスとスサノヲが実は三兄弟だったってことを。ツクヨミという中間子がいるそうだ。

イザナギが黄泉から脱出生還し、禊をした時、左目、右目、鼻をあらったとき生まれたのが、アマテラス、ツクヨミ、スサノヲ。いうまでもなく、アマテラスは皇室の皇祖であり、乱暴狼藉元祖暴れん坊のスサノヲこそ我らがアナーキストの精神的祖である(????)。

「太陽と月」、ばかりでなく、「照らす(存在させる)と読む(認識する)」

イザナミ・イザナギのつくったクニの昨今の問題は、よみである。空気よめないとか漢字よめないとか大変だ。

さて、アマテラスとツキヨミのカミサマとしての意味を太陽と月を人格化したカミサマという解釈が普通だ。それで悪くはないのだが、そう太陽とか月とか天体としての即物性より、アマテラスのとツクヨミのを大切にしたい。

アマテラスは太陽として光を天(つまりは全空間)に注ぎ、存在物を存在させる。存在論担当!一方、ツクヨミは本当に月の人格神なのだろうか?ツクヨミの意義は読むこと。認識論担当!月の満ち欠けを「読んで」暦を作ることは農耕民族に重要で不可欠な営み。技術論担当! R&Dの皇祖!
ただし、月は読まれるのである。もし、月を読むとしたなら主体は月でないはず。よくわからん。

実際にはツクヨミ信仰は暦に深く関係し、その暦の応用が必要な農業神として、ひいては拡大解釈され産業のカミとして信仰されているらしい。ツクヨミの象徴するところは自然を読むこと、つまりは自然はどういう道理でうごいているか認識すること(読むこと)と、おいらは、勝手に思う。

影の薄いツクヨミ
そんな認識することが任務である、すなわり賢者のカミサマのはずのツクヨミのキャラクタリゼーション(w!)が古事記、日本書紀では極めて不十分らしい。それだから、アマテラスとスサノヲの物語ばかりが衆知されているのだ。

自然科学者の冷遇は日本誕生以来の伝統なのか?

アマテラスは本流なのでともかく、記紀の世界で極端にキャラ立ちしているのは、傍若無人であり乱暴狼藉をはたらくスサノヲ (アナーキストのプロトタイプ!) に他ならない。それに引き換えツクヨミは、......。

読むひとの受難、あるいは自然科学者の冷遇は日本誕生以来の伝統なのか?

日本の反知性主義の起源!

そんなことより、アナーキスト マンセー!のぬっぽん。本当にマンセー!




それでも、おいらは、毎週梅の木の写真を撮っていきます。55

2009年02月09日 21時06分59秒 | 筑波山麓
先週、料金滞納で、ネット止められました。

今日やっと開通! マンセー!




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御殿女優

2009年02月01日 09時39分32秒 | その他
今日もどうでもいい話です。笑いのつぼにはまったことがあったので書きます。

『ウィキペディア(Wikipedia)』の 丸山眞男 の項を見ていたら、次のようにあった;

1944年、30歳の時に、東京帝国大学法学部助教授でありながら、大日本帝国陸軍二等兵として教育召集を受けた。一期下からは優秀な学生は招集しない制度[要出典]が作られ、理系は召集せず、年齢的に助教授クラスが該当し、他の助教授が丙種で丸山だけ第三乙種だった。大卒者は召集後でも幹部候補生に志願すれば将校になる道が開かれていたが、「軍隊に加わったのは自己の意思ではない」と二等兵のまま朝鮮半島の平壌へ送られた。その後、脚気のため除隊になり、東京に戻った。4ヶ月後の1945年3月に再召集を受け、広島宇品の陸軍船舶司令部へ二等兵として配属された。8月6日、司令部から5キロメートルの地点に原子爆弾が投下され、被爆。1945年8月15日に敗戦を迎え、9月に復員した[1]。「上官の意向をうかがう軍隊生活は『御殿女優』のようだった」と座談会で述べたことがある。この経験が、戦後、「自立した個人」を目指す丸山の思想を生んだ[2]。  (下線、いか@)

 『ウィキペディア(Wikipedia)』 丸山眞男

なんだよ!? 御殿女優って! これこそ、[要出典]である。

↓こういうイメージか?


『御殿女優』ということは、日帝陸軍雑兵はさぞかし優雅・華麗だったらすい。


女中 (ウィキペディア(Wikipedia))