
腐れゆくほうずき(くたれゆくほうずき)
■村上春樹、『羊をめぐる冒険』における近代日本の空虚さの頂点の描写
彼らは羊毛の軍用外套を着て死んでいた。
近代日本の空虚さを描くことがテーマの『羊をめぐる冒険』においてひとつのクライマックスにはそばーじゅ(sauvage)の象徴としてか?アイヌ青年とその息子がかかわる。;
::アイヌ青年の日帝プロジェクトへの参加。大日本帝国陸軍は大陸進出のため防寒具が必要であり、羊毛の生産を国策として遂行しなければいけなかった。果たして、明治三十五年に十二滝村に運命の緬羊牧場ができる。つまり、日帝の大陸進出プログラムの一環として。::
もちろん政府は親切心から農民に羊を与えたわけではない。来るべき大陸進出に備えて防寒用羊毛の自給を目指す軍部が政府をつつき、政府が農商務省に緬羊飼育拡大を命じ、農商務省が道庁にそれを押しつけたというだけの話である。日露戦争は迫りつつあったのだ。
村で緬羊にもっとも興味を持ったのは例のアイヌ青年であった。彼は道庁の役人について緬羊の飼育法を習い、牧場の責任者となった。彼がどうしてそのように羊に興味を持つようになったのかはよくわからない。たぶん人口増加に伴って急激に入り組み始めてきた村の集団生活にうまくなじめなかったのだろう。
::そして、アイヌ青年の羊を通しての日帝プロジェクトへの参加のひとつの個人的帰結がこれだ:;
日露戦争が始まると村からは五人の青年が徴兵され、中国大陸の前線に送られた。彼らは五人とも同じ部隊に入れられたが、小さな丘の争奪戦の際に敵の榴弾が部隊の右側面で破裂し、二人が死に、一人が左腕を失った。戦闘は三日後に終リ、残りの二人がばらばらになった同郷の戦死者の骨を拾い集めた。彼らはみな第一期と第二期の入植者たちの息子だった。戦死者の一人は羊飼いとなったアイヌ青年の長男だった。彼らは羊毛の軍用外套を着て死んでいた。 「どうして外国まででかけていって戦争なんかするんですか?」とアイヌ人の羊飼いは人々は訊ねてまわった。その時彼は既に四十五になっていた。 彼らは羊毛の軍用外套を着て死んでいた。
▼蛇足拙記事:
南の島⑧ 干戈のこと;闘いうどんは泣きながら啜れ ;


町内会の草刈がありました。セイタカアワダチソウを大量に刈って処分しました。
Invasive Species、 Solidago canadensis: wiki
▼おいらのブログに現れたるセイタカアワダチソウ、計11記事。

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●落ちなかった赤い実;

先週、台風で地に落ちた赤い実を報告しました。 今日は、台風にもめげず地に落ちなかった赤い実の画像をお見せします。
2m (3m?)超えの最近めずらしい正嫡的セイタカアワダチソウ なめんなよ!
なめちゃってください、ちっぽけな...
■日米同盟の正体~迷走する安全保障 (講談社現代新書) の出版を受けて(?)、講談社でもない中央公論新社の『中央公論』7月号にて、我らが"アメリカ真理教"の尊師であらせられる岡崎久彦と孫崎亨の対談、「漂流前夜、日米同盟の運命を徹底検証する」が掲載。
"アメリカ真理教"の教義のエッセンスは以下のごとくきわめてコンパクトにそしてインパクトをもって語られている。岡崎尊師がいつもとなえているマントラにほかならない。おいらもいつもとなえている。
岡崎: 孫崎さんが最近出版した『日米同盟の正体』を読んだが、感動しました。日本の国際情勢判断がここまで進歩したかと思って。必要な材料を全部ちゃんとよく読んでいる。その読み方も深い。外国の一流論文に匹敵すると思った。
ここから先は批判です。最大の批判は戦略がないこと。これは別に孫崎さんに限らないけどね。日本の外交論は得てして戦略の欠如を批判しながら、自分の戦略がない。
かつて僕がある会議で若泉敬と衝突したのもこの点だ。
(中略)
それでは「おまえの戦略はいったい何だ?」と僕が聞かれたら何とこたえるか。それを最初に申しあげておく。
僕の戦略の目的は単純だ。日本の安全と繁栄だ。どんなことがあろうとも、日本の安全と繁栄を犠牲にはできない。政治家や国際政治学者である以上は、国民の安全と繁栄が損なわれてもいいという理論は成立しようがない。安全の中には自由と独立が入る。ちょっとアメリカに肩を張って独立などとという甘っちょろい話ではない。たとえば、冷戦時代、ソ連に占領されていたら自由も独立も何もない。そういう国家の根源的安全が守られなければならない。
そのための戦略は何か。七つの海を支配しているアングロ・アメリカン世界との協調、明治開国以来これ以外に絶対ない。日英同盟とその前後三十年間、それから日米同盟の半世紀以上、これが日本が全く安全で繁栄した時代だった。約四百年間も世界の海洋を支配しているアングロ・アメリカン世界と同盟しないかぎり日本の生命はない。
僕の戦略はそれだけ。
アングロアメリカンとかまだ言ってんだね。もっとも20年前はアングロサクソンだったような気がするが...。
アングロ・アメリカン アフロ・アメリカン
はんかくさい。 反核祭。 祭り(核のから騒ぎ)で終わる!!!???
▼日本人は"まぬけ"なので米国は相手にしない!
孫崎の岡崎へのつっこみでおもしろい点:
孫崎 日米が米英関係のような形になる。これが望ましいというのは論理的にはそうだろう。問題は、アメリカから見て決して日米が米英同盟のレベルにはならないこと。
岡崎 そんなこと今からわからない。
孫崎 岡崎さんならば、アメリカは、日本にも、こういうインテリがいるのかと大事にしてきたと思う。しかし岡崎さんの目から見て、日本の官庁で安全保障を担当している人びとがイギリスのレベルに達していると思うか?。達していない。向こうから見て、こいつらは安全保障がわからない人間だと。安全保障の分野で手を握るような人たちではないと思っているはずだ。
ごく最近、アメリカのある当局者からこういう言い方を聞いた。「これから一年かけて、アメリカは中国と戦略とファイナンスの問題をものすごいハイレベルでディスカッションします」と。それで問題は日本。一体どのレベルがそれを受けて立てますか。そんな能力ないでしょう。
岡崎 ない。独裁国家なら一応カリスマもあり個人で話しあえる人間を出してこられるが。
まずは、最後の岡崎の応答がずれている、つまり権力の集中の問題と能力の問題をすりかえてしまっている。
それはそうと、孫崎の指摘の重要な点は、日本人の担当者(日本政府の外交・安全保障担当のエリート)が自国の安全保障を議論できなくなったこと、そして孫崎は明言していないが、おいらが忖度するにその原因は米国に自国の安全保障を依存して自分の目で生の世界を見ることができなくなったこと。もちろん、日本エリートの知的能力が生物学的資質で劣等なわけではない。状況が日本エリートにものを考えなくしている(現実を見えなくしている)、考えなくてもいいようにしている(現実を見なくてもいいようにしている)、あるいは考えてもしかたがない(現実を見てもしかたがないと)と思わせているということだ。
(参照拙記事:「一万人の殺人犯がいても国は滅びないが、一万人のエリートがいないと国は滅びる。」 )by チェブラーシカ・藤原正彦@元祖日帝侵略赤ちゃん
その証拠に冒頭の岡崎の孫崎へのおべんちゃらではからずも露呈している。すなわち「必要な材料を全部ちゃんとよく読んでいる。その読み方も深い。」と言っているが、おかしい。なぜなら、なぜ岡崎は”必要な材料を全部”リストアップできるのだ?つまり、それら材料は英語文献だということだ。孫崎が指摘する米国は今後中東に一番足を取られるという点からみれば、アラブやイランの生の情勢をどうやって英語文献だけで知るのだろう?結論を言おう。岡崎は米英・英語世界が全世界なのだ。米英・英語の媒介(メディア)なしには世界を見ること、知ることができないのだ。
つまり、つまらない比喩でいうと、ツアコンに連れられて、世界見物をするようなもので、それも「世界」をみるのではなく行く先々でツアコンの持っている小旗だけを見ているようなものなのだ。旅行のお土産話を聞くと、名所旧跡ではなくツアコンの小旗について語るようなもんだ。
あと、繁栄と自由ってなんだべ。なぜ、戦後の"保守"政治家は靖国神社に参拝するのに不自由なのか? なぜ、テレビ、ラジオで軍歌が流れない? ソ連に占領されているからか? アホも休み休み言え。(閉された言語空間―占領軍の検閲と戦後日本)
とはいっても、おいらも実はツアコンの小旗が大好きです。今夜も、林檎コンダクターの小旗を見つめて、寝ます。おやすみなさい。
東京事変【 丸の内サディスティック】

レコンキスタ(wiki)巻き返すススキたち
少し観察力を働かせて見ていただきますと、近年周辺にすごくススキが増えたことに気付かれるでしょう。それは水質の汚濁だとか、土壌の汚染だとか、大気の汚染だとかではなくて、生物が土との関係で組みかえてきた変化があらわれたのです。鉄道の沿線でもかつてはセイタカアワダチソウがあったところにススキがひらひらと、秋のお月様のころに白い穂をつけるようになりました。たぶんススキが優勢になっていくのが、まだ30年、40年と続くのではないかと思います。 セイタカアワダチソウの盛衰

他感作用=wiki: アレロパシー
なぜ、セイタカアワダチソウは矮小化したのか?
なぜなら、しかし、平成に入る頃には、その領域に生息していたモグラやネズミが駆除されてきたことによって希少化し土壌に肥料成分が蓄えられなくなり、また蓄積されていた肥料成分を大方使ってしまったこと[6]、他の植物が衰退してしまったことで自らがアレロパシー成分の影響を強く受けてしまったこと[2]等の理由により、派手な繁殖が少なくなりつつあり、それほど背の高くないものが多くなっている。 wiki セイタカアワダチソウの盛衰
■そして、矮小化するドル;


ひとんちの栗の木。この栗の実はこのまま越冬するのだろう。
■変に成った岩を忘れた温首相
温家宝首相が新華社通じて謝罪「私に過ちあった」
温宰相は、変成岩(へんせいがん)=やまとことばで、へんになったいわ(?)を忘れたそうな。
たかが、そんなことで、謝罪。
温首相はこの中で岩石の分類について「堆積(たいせき)岩、岩漿岩、火山岩」と述べたが、手紙で「堆積岩、岩漿岩(火成岩とも呼ぶ)、変成岩とすべきだった」と訂正した。
これはやっぱ21世紀の海瑞罷官@自己言及編なんだろうか!?
昔は、日本では、水成岩・火成岩・変成岩と形式もそろえてMECEをしてた。
▼変に成った岩
もちろん我らが変に成った岩こそ、さざれ石(細石)の岩(いわお)と成りて、のぬっぽんの象徴に他ならない。
さざれ石(細石)の岩(いわお)と成りて、ってさしずめ、砂礫質変成岩であろうか?

岩漿&火成でダブちゃった。
PS, 岩漿(がんしょう)ってマグマのことです。
1983年の時刻表より
■十二滝町=仁宇布説
『羊をめぐる冒険』の十二滝村/町は架空の街だ。その十二滝が実在のどこの街に相当するのか?という詮索では、仁宇布(にうぷ)であろうという説がある。実際、『羊をめぐる冒険』において十二滝へ至る"冒険"において、出てくる実在の地名は旭川、そしてさらに列車で北上、塩狩峠を越える。そして、ある駅で乗り換え、その路線の終点が十二滝。なので、仁宇布は上記条件と矛盾はしない。仁宇布は美幸線(びこうせん)というローカル線の終着駅である。
今日おいらが『羊をめぐる冒険』を読んで気づいたことは、村上春樹は赤字ローカル線の終点を小説の舞台に設定する必要があったのではないかということ。(参考:漱石が浜松駅を舞台に設定する必要があった例)
赤字ローカル線って今じゃ死語だ。若い人は知らない。つまり、『羊をめぐる冒険』が出版された1982年は、レーガン、サッチャーと共振する中曽根内閣が成立した年である。今から思えばネオリベ元年であって、小さい政府を目指す中曽根内閣の国鉄民営化(赤字ローカル線切り捨て)への現実的政治解決が本格始動した頃。
この国鉄、日本国有鉄道!の美幸線は赤字ローカル線として真っ先に血祭りにあげられた。Wiki; 美幸線
■『羊をめぐる冒険』に現れたる"転落"
『羊をめぐる冒険』において"転落"が登場するのは3か所であり、"転落"するのは、a)羊博士とb)十二滝町。十二滝町は2度"転落"する(b1, b2)。
a) 彼(羊博士)の転落はそこから始まった。
大学を首席で卒業すると彼はスーパー・エリートとして農林省に入省した。彼の卒業論文のテーマは簡単に言えば本土と朝鮮と台湾を一体化した広域的な計画農業化に関するものであり、これは少々理想的に過ぎるきらいはあったが、当時はちょっとした話題になった。
羊博士は二年間本省で鍛えられたあと、朝鮮半島に渡って稲作の研究をした。そして「朝鮮半島における稲作に関する試案」というレポートを提出し、採用された。
一九三四年に羊博士は東京に呼び戻され、陸軍の若い将官にひきあわされた。将官は来るべき中国大陸北部における軍の大規模な展開に向けて羊毛の自給自足体制を確立していただきたい、と言った。それが羊博士と羊の最初の出会いだった。羊博士は本土と満州とモンゴルにおける緬羊増産計画の大綱をまとめた後、現地視察のため翌年の春満州に渡った。彼の転落はそこから始まった。
羊博士に入った羊は抜けてしまう。
「人の体内に入りことのできる羊は不死であると考えられている。そして羊を体内に持っている人間もまた不死なんだ。しかし羊が逃げ出してしまえば、その不死性も失われる。全ては羊次第なんだ。気に入れば何十年でも同じところにいるし、気に入らなければぷいと出て行く。羊に逃げられた人々は一般に『羊抜け』と呼ばれる。つまり私のような人間のことだ」
b)十二滝町
羊をめぐる冒険Ⅲ、
1 一二滝町の誕生と発展と転落
2 一二滝町の更なる転落
更なる転落はこのローカル鉄道線の廃止で決定的になると予想されていて、鉄道がなくなると町は本当に死ぬと断じられている。
「東京からいらっしゃると、死んだ町みたいに見えるでしょう?」と彼は言った。
僕は曖昧な返事をした。
「でも実際に死にかけているんですよ。鉄道のあるうちはまだ良いけれど、なくなってしまえば本当に死んでしまうのでしょうね。町が死んでしまうというのは、どうも妙なもんです。人間が死ぬのはわかる。でも町が死ぬというのはね」
「町が死ぬとどうなるんですか?」
「どうなるんでしょうね?誰にもわからんのです。わからないままにみんな町を逃げ出していくんですよ。もし町民が千人を割ったら--ということも十分あり得ることなんですが--我々の仕事も殆んどなくなってしまいますからね、我々も本当は逃げ出すべきなのかもしれない」(下線、いか@)
●羊博士の転落は羊抜けでどん底を極める。他方、近代日本の空虚さを描く『羊をめぐる冒険』において、この十二滝町はそんな近代日本の空虚さの象徴であるに違いない。なぜなら、近代の幕開けとして「貧乏人」が流入、開拓、農地をつくる。でも、近代化の進展で、つまりは高度経済成長の産業構造の変化で多く人々が離農した。
曾祖父たちが血の汗を流して木を切り倒して開墾した土地に、子孫たちはまた木を植えることになった。不思議なものだ。
この十二滝の歴史は、右翼の黒幕の先生に若いころ"羊"が入り、システム構築と支配を貫徹させた今、その"羊"が先生から逃げ出すこと、そして、羊博士に"羊"が入り、そして、"羊"抜けしたこととパラレルである。
そして、曾祖父たちが血の汗を流して木を切り倒して開墾した土地に、子孫たちはまた木を植えた。近代の空虚さ。同様に、まずは囚人労働で道を拓き、そして文明の象徴であった鉄道を敷いたけれども、赤字ローカル線なので廃線予定。鉄道の廃止は産業の空洞化の象徴である。
「この線だってさ、あんた、いつなくなるかわからねえよ。なにせ全国で三位の赤字線だもんな」と年取った方が言った。
これよりさびれた線が二つもあることの方が驚きだったが、僕は礼を言って駅を離れた。
■以上、村上春樹は開拓→産業の空洞化=羊抜け(の一形態)というイメージを描くため、赤字ローカル線廃止の舞台である、十二滝=仁宇布をモデルとしたのではないか?というのがおいらの今日の思いつきだ。その際村上は国鉄改革→小さい政府→今(1982年)は時代の転換点という認識で。
これは、後年、村上の取材記録が明らかになればわかる。
●まとめ
「人の体内に入りことのできる羊は不死であると考えられている。そして羊を体内に持っている人間もまた不死なんだ。しかし羊が逃げ出してしまえば、その不死性も失われる。全ては羊次第なんだ。気に入れば何十年でも同じところにいるし、気に入らなければぷいと出て行く。羊に逃げられた人々は一般に『羊抜け』と呼ばれる。つまり私のような人間のことだ」
↓
「利潤が出る国に入りことのできる産業(資本)は不死であると考えられている。そして産業(資本)を内に持っている国もまた不死なんだ。しかし産業(資本)が逃げ出してしまえば、その不死性も失われる。全ては産業(資本)次第なんだ。気に入れば何十年でも同じところにいるし、気に入らなければぷいと出て行く。産業(資本)に逃げられた国々は一般に『羊抜け』と呼ばれる。つまり21世紀日本のような国 (あるいは周辺が空洞化してみんなが札幌に集まる北海道) のことだ」