おいらがトラウマになっている幼少の頃の記憶。ある夏の日、おいらは弱ったカエルを棒きれでつついていた。そこへ腰が曲がり、杖を突き、白髪が乱れた老婆。そして言った、「おまえは今度、このカエルに生まれ変わるだろう」と。茫然とするおいらを置いて、老婆はゆっくり背を向け立ち去った。
↓因果応報: 保護国の巻。 (因果応報: 人殺し・テロリストの巻)
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Jimmy
石原慎太郎:「彼らにとって屈辱だったろうが、悪い選択ではなかった」
おもしろいよね。ある意味一貫している。現行日本は米国の保護国に他ならない。その法的根拠は国家主権の根源たる戦争の放棄(戦勝国による制限・剥奪)を唄う現行憲法と日米安保条約(戦勝国の駐留・事実上の占領)である。この状況にぐちを言いながらも結局何もできなかった石原はこの戦後の体制を「我々にとって屈辱だったろうが、悪い選択ではなかった」とやりすごしているのだ。石原を右翼ましてや極右というのは絶対間違っている。なんちってウヨ@石原である。
ところで、大臣として土下座って日本史上これだけだろう。 まさに、「私にとって屈辱だったろうが、悪い選択ではなかった」。屈辱、なんのその! 恐るべき、慎太郎!
本当の日本極右は、義士挙兵の朝鮮烈士(それは松陰センセのごとく)のようでなくてはならない。