いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

ぶどうの木再生日記;第12週目

2013年06月08日 11時22分28秒 | 草花野菜


ぶどうの木再生日記;第12週目  

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貴族と庶民に挟撃されるインテリ;有馬頼義『兵隊やくざ』、昭和の成仏のために

2013年06月02日 19時43分38秒 | 日本事情

最近、映画・『兵隊やくざ』(1965年(昭和40年)製作・公開、増村保造監督、大映映画)を観た。そして、原作である有馬頼義の『兵隊やくざ』を読んだ。

映画・『兵隊やくざ』は知っていた。でも、ちゃんとみたことはなかった。1度断片を見たのが、10歳ころで、日曜の昼下がりにテレビでやっていた。そのころは、ちゃんとした「戦争映画」を見たかった。ここで、"ちゃんとした「戦争映画」" とは戦車とか軍艦とか戦闘機とかプラモデルになる兵器がバンバンでてくる戦争映画のことである。

なので、映画・『兵隊やくざ』は「戦争映画」もどきの変な映画だなぁと子供こころに思っていた。でも、これは「戦争映画」もどきの本当の戦争映画であると、大人になった今、分かった。 

さて、昭和の成仏のためには、映画・『兵隊やくざ』、シリーズ9作を見たほうがいいのだけど、老後の楽しみにでもするしかないなぁと漠然と思っていた。

でも、先週、ネットの違法に違いない動画サイトで映画・『兵隊やくざ』を見ることができた。

映画・『兵隊やくざ』のストーリーは、wikipedia [兵隊やくざ]にもある。

1943年(昭和18年)、舞台はソビエト連邦との国境に近い満州の「孫呉の丘」。4万の兵力を誇る関東軍が駐屯していた。そこへ入隊してきたのは大宮貴三郎(勝新太郎)、浪花節語り(浪曲師)になれずやくざの用心棒をやっていた男である。大宮の指導係に任命されたのが、有田三年兵(田村高廣)であった。有田は名家の出身でインテリであり、幹部候補試験を意図的に落第したという男であった。  新兵であるにもかかわらず貴三郎はわが道を行く傲慢さで、諸先輩の反感を買い、腕に自信のある砲兵隊の黒金伍長(北城寿太郎)は、貴三郎を痛めつけた。怒りに満ちた貴三郎は、サシで勝負しようと黒金に挑むが、黒金は多勢でやはり貴三郎をさらに痛めつけた。そこへ格上の兵隊である有田が現れ、形勢は逆転、黒金は指の骨をすべて折られてしまう。  貴三郎は有田を慕う。黒金は全師団合同大演習の夜に貴三郎を襲撃し、歩兵隊対砲兵隊の大喧嘩へと発展した。貴三郎はついに外出禁止の罰を食らうが、あろうことか兵舎を脱走し、将校専用の芸者屋に乗り込み、音丸(淡路恵子)と遊ぶのであった。当然事件は発覚するも、有田は自分の責任で貴三郎に制裁を加えることを誓って、貴三郎を許すのだった。

映画では、おいらの観たかぎり、有田は名家の出身でインテリであるとは明言されない。ただ、映画での田村高廣の風貌と演技が、観るものにそう思わせるのである。(今もブログめぐりをすると、例えば、「田村高廣ふんする大学出のインテリだけど軍隊が嫌いで幹部候補生試験をわざと滑った有田上等兵」とある。でも、映画の中で大学出といってるのかな?おいらは確認できていない)

というか、おいらも勝手にそう思い込んでいた。つまり、この映画・『兵隊やくざ』とは、リンチが蔓延する理不尽な帝国陸軍という「狂気」の組織で、実は「真っ当」な認識を持つ荒くれ者の大宮貴三郎(勝新太郎)[肉体派、行動派]とインテリの有田三年兵(田村高廣)[インテリ、知性派]が、義侠に基づき、筋を通して闘っていくという、勧善懲悪的お話かと思い込んでいた。ここで、勧善懲悪の善を実行するのがやくざと万年上等兵であるはずなのだが...

原作の『兵隊やくざ』、有馬頼義を読んだ  違った!

映画でリンチが蔓延する理不尽な帝国陸軍の象徴が、黒金伍長である。自分に敬礼をしないと難癖をつけて貴三郎に「リンチ」を加えた。その黒金伍長は大学出という役回りなのである。つまり、インテリなのだ。そして、大学で拳闘(ボクシング)をやっていたという設定。ここで「リンチ」としたが、最初、黒金伍長が貴三郎に瀕死の暴行を加えた時点では黒金は教育的指導、あるいは懲罰と主張していた。それを理屈で「リンチ」に過ぎないと論破したのが、有田上等兵(田村高廣)だ。そして、貴三郎に黒金への「お礼参り」の機会をつくってやり、拳闘に不可欠な手の指を全部折るという設定。つまりは、インテリ兵が悪役で、懲悪するのが、ヤクザ兵なのだ。そして、有田上等兵の履歴は???

映画での、この話の流れは、勧善懲悪的である。だから、人気が出て、映画の興行は成功したのだ。しかし、原作の有馬頼義、『兵隊やくざ』には書いているのだ。原作の『兵隊やくざ』での有田上等兵の設定は、東京の郊外の大きな屋敷に住むたくさんの本を持つ男。ただし、大学は出ていない。

大学出の黒金が軍曹となって復讐しに来た。それを撃退し、最後に再び貴三郎と黒金を戦わせる場面がある。この時、黒金は弱っていて、貴三郎の暴力を受けるのみという状況だ。 その場面で、原作の有馬頼義、『兵隊やくざ』で、有田上等兵は言っている:

 告白しておかなければならないが、私は、下士官候補あがりの、無智な下士官を憎んでいたと同様に、大学出の下士官をも、心の中で憎んでいた。自分が、大学を卒業できなかったからだろうか。彼らの顔に刻まれている、―明らかにこれは勉学のためにできたと思われる皺を、私は憎んでいた。私は、学校教育を完全にはうけていない兵隊だけが、好きだったのだ。

原作の有馬頼義、『兵隊やくざ』では、有田上等兵がインテリであるとは全く書いていない。ただ、インテリという言葉はよく出る。むしろ、有田上等兵がインテリに向って、「お前はインテリだというから、言ってやるが、・・・」と大学出の黒金に言うのである。

つまりは"インテリ「コンプレックス」"の上等兵が粗暴な二等兵をうまく「教唆煽動」し、リンチが蔓延する理不尽な帝国陸軍でうまいことやっているインテリを懲らしめるという話が主題のひとつなのだ。 (他の主題は、「慰安婦」と逃亡だ。)

日帝時代の軍隊、特に帝国陸軍が「一君万民」的「平等」社会で、世俗での出自・身分を問わずに、戦場では軍隊の論理に従い、組織が運営されていたとよく言われる。さらには、「星の数よりメンコの数」ともいい、階級よりも長く軍隊にいた人間が偉いという世界。ましてや、世俗=シャバでの職業なぞ関係ない。この論理を逆手に取ったつもりになって、2007年に「「丸山眞男」をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。」が話題となった。でもさ、31歳フリーター氏は映画・『兵隊やくざ』を観てなかったのだろうな。丸山眞男はよわっちいかもしれないが、黒金みたいな奴はどうする?悪知恵が働き、凶暴だ。

■ 原作と作者の実人生

原作の有馬頼義、『兵隊やくざ』では有田上等兵は大学を出ていない。そして、原作者の有馬頼義もそうだ。戦前なので、そもそも大学出がその世代の3%であったらしい。ただし、有馬頼義は伯爵の息子なのだ。しかも、後継ぎ。次の当主、伯爵である。 有馬頼義の経歴(wikipedia)。有馬頼義が旧制高校を中退したのは、その貴族的奔放さで近代教育なぞという"本質的に「貧乏くさい」制度"におつきあいできなかったからなのであろう。 原作者と作中人物の同一視もほどほどにしないといけないが、ありま頼義が、作中のその人物に与えた名前は、ありた、である。

未来の伯爵さまが帝国陸軍に入営したのが、1940年。3年、兵隊をやった。最後は上等兵。有馬上等兵。原作には、有田が「貴族」、日帝時代のちゃんとした法制用語でいえば華族であったとは書いていない。ただし、東京の郊外のお屋敷に住んでいると暗に明に書いてある。そして、坊ちゃん育ちであったことも原作『兵隊やくざ』には書いてある。

  ◆ 「遺骨宰領」

その有馬上等兵の東京のお屋敷に貴三郎が泊まる。原作の設定は奇想天外に思える。その奇想天外な設定を可能にしているのが「遺骨宰領」である。知らなかったよ、そんな制度。映画では大学出の初年兵が自殺する。そのことは原作にある。ただ、映画にはないのが、この「遺骨宰領」。つまりは、死んだ兵士の遺骨を遺族に届けるのだ。原作の設定では、白木の箱を首からぶら下げた貴三郎と有田上等兵が満州から東京に帰郷する。

そして、有馬上等兵のお屋敷に貴三郎が泊まるのだ;

「じゃ、兵長どののところへ行きましょう」

「入営前に、ジンを一本隠しておいた。それを飲ましてやる」

 私がそういうと、大宮は、舌を出して唇をなめた。私の郊外の家まで、三十分かかった。

大宮は、私の家の門構えを見て、また動かなくなった。

「どうしたんだ?」

「こういう家は苦手だ」

「だれにも会わせないよ」

「ほんとうですか?」

「ああ、ほんとだ」

 私は、四年前に去った二階の自分の部屋に大宮を連れて行き、それから一人で父と母の部屋に挨拶に行った。そして、できるだけ御馳走をつくってくれるように頼んだ。もちろん、女中以外のだれも、大宮とは会わないように条件をつけた。 (有馬頼義、『兵隊やくざ』、-遺骨宰領-)

もちろん、この帰郷は創作だろう。でも、家の状況は自分の経験に基づいたとものと思われる。つまりは、有馬頼義は脳内で貴三郎を自分の屋敷に呼んだのだ。 屋敷によんだことにとどまらない。有田上等兵は、自分の書斎を貴三郎に見せ、コメントをもらうのだ。

 すぐ上の引用の続き;

私が部屋にもどると、大宮は、私の書棚の前にいた。

「これは、みんな兵長どののものですか?」

「そうだ」

「こんなに本をよんで、どうなさるんです?」

「どうもなりはしないさ。人間が、臆病になるだけだ」

「そうでしょうね」と、大宮は言いにくいことを平然といった。 (有馬頼義、『兵隊やくざ』、-遺骨宰領-)

「どうもなりはしないさ。人間が、臆病になるだけだ」、 「そうでしょうね」 :このくだりはすごい。 そして、「そうでしょうね」と貴三郎に言わせているのは有馬頼義であり、大宮は言いにくいことを平然といったと書いているのも有馬頼義である。つまりは、有馬頼義は言いにくいことを自ら書いているつもりなのだ。ある種の自意識の発揮の事例ではある。

▼華族子弟の入営

これまで愚ブログでは華族の有名軍人について言及してきた。愚記事:盛岡・南部家は維新後、伯爵家となるが、第42代当主、南部利祥さんは日露戦争で戦死する あるいは、東条英機とライバルとされている前田利為侯爵(wiki)というのも聞いたことがあった。一番有名なのは、近衛文麿の息子だ。近衛文隆。1940年召集。一兵卒ではなく、最後は中尉だったらしいが、シベリアで死亡(wiki)。

そして、今回初めて知ったよ、伯爵後継予定者で上等兵の有馬頼義。有馬頼義の父は有馬頼寧。近衛内閣の農相。戦後まで生きたので、華族廃止の時に当主。だから、有馬頼義は伯爵にはならなかったことになる。

さらに、もっと驚いたのが; 徳川「17 (18?) 将軍」は上等兵! 出征華族で調べていくと見つけたよ。

 

すごいな、 陸軍上等兵公爵 !  一君万民の帝国陸軍マンセー!

 1940年入隊。有馬頼義の入隊と同じ年だ。 

ちなみに、その帝国陸軍をつくったのは、枢密院議長議定官元帥陸軍大将従一位大勲位功一級公爵山縣有朋さまである。

wikipedia [徳川慶光]

1940年(昭和15年)1月に召集され、二等兵として入隊。しかし内地で肺炎にかかって陸軍病院に入院、退院と同時に除隊。1941年(昭和16年)7月、再び召集されるも徴兵検査で即日帰郷となる。1944年(昭和19年)2月、3度目の召集で二等兵として歩兵第101連隊東部62部隊に入隊。中国大陸を転戦したが、行く先々で入退院を繰り返していた。長沙の野戦病院では赤痢とマラリアに栄養失調も加わり、生死の境をさまよった。終戦は上等兵として北京で迎え、1945年(昭和20年)12月に復員。

参照;


枢密院議長議定官元帥陸軍大将従一位大勲位功一級公爵

◆ この土日、ちょっと調べただけで、知らないことばかり。いずれも、wikiにのってるような公知情報。 不勉強が身にしみます。とっくに公知のことをいろいろ書いてすみません。

まとめ; 有馬頼義、『兵隊やくざ』とはインテリ崩れルサンチマンの書であったのだ。しかも、伯爵の子弟のルサンチマン。 どうなっているんだ?、近代ぬっぽん! やはり、メリトクラシーとアリストクラシーの深い闇を抱えているのだ、近代ぬっぽんは...

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この男、有馬頼義、たぶんブログを書いてない ! (当然だ) 小説を書いていたのだ、しかも、斜陽族。

だから、みんな書こうぜ、小説! [与太こいてんじゃねえ!]

 


ぶどうの木再生日記;第11週目

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おいらは、アントニオ・ロペスを一昨年知った。すでに現物を見ていたのに...
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