もはや寝ぼけたことを口にすべきではない。韓国と北朝鮮は砲撃戦を繰り広げており、戦争一歩手前である。経済的に行き詰っている中共は、中国共産党内部の権力闘争がし烈になっている。いつ内乱になっても不思議ではない。日本が集団的自衛権の一部行使を容認することは、国家として身構えることであり、国民の命を守るためには、それしか方策がないのである。朝鮮半島で戦争が起きれば、また、中共の人民解放軍が暴発すれば、否応なく自衛隊は対応しなければならなくなる。座して死を待つわけにはいかないのである。「戦争法案」などと批判することは、日本の安全保障上マイナスでしかなく、断じて看過することはできない。日本共産党に操られたシールズなる若者のグループが、形だけのハンガーストライキを実施するのも、現実を直視しないお花畑でしかない。目の前に狂暴な国家が存在し、襲いかからんとしているのである。日本が国家としての主権を奪われ、自由を奪われても仕方がないのだろうか。命さえあれば、それで本当によいのだろうか。他者とのコミュニケーションにとって不可欠なのが自由であり、それが人間であることの前提条件なのである。ハンナ・アレントはカール・ヤスパースを論じながら「真理それ自体は伝達可能なものであり、コミュニケーションの外において真理は消滅し、かつ表現不能なものとなる」(『暗い時代の人々』阿部斉訳)と書いている。戦争を未然に防止するとともに、自由を私たちが維持できるかどうかが問われているのだ。東アジアは重大な危機に直面しており、私たち日本人は現実から目をそむけてはならないのである。
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