草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

靖国の根本にあるのは「招魂慰霊」の日本人の信仰心だ!

2015年08月10日 | 思想家

終戦の日の8月15日が迫ってきたが、この日に靖国神社に参拝する日本人も多い。国のために命を捧げた者たちを慰霊するためである。しかし、そうした日本人の信仰心は、キリスト教や仏教のような教義において確認されるのではなく、そうせざるを得ない力が働くのである。加地伸行は『新世紀の靖国神社』に収録された「靖国参拝何がいけないのか」の文章で、その点をわかりやすく論じている。日本を含めて東アジアに共通する死生観は「招魂慰霊」である。死者を丁寧に埋葬し、土葬し、慰霊を続けることであり、それを体系化したのが儒教である。死者を招くとは天の魂と地の魄とを呼び寄せることである。日本ではそれが神道や仏教に影響を及ぼした。日本仏教では盆などの法事の折、仏壇において祖先の霊を呼び降ろして出会い、墓参して祖先の魄(白骨)を呼びあげて出会う。ともに慰霊である。これに対して、靖国神社が行っているのは、死者の魂についてなのである。国家的な意志の下に戦死した英霊への国家的敬意なのである。それは全国戦没者追悼式も同じである。祭壇中央に強大な憑り代が建てられているのが、それを象徴している。あくまでも式典は一日に限られているために、常日頃は靖国神社への参拝となるのである。しかも、日本人の場合は仏教が大きな比重を占めており、死者は平等なのである。戦没者を祀る季節がめぐって来たが、日本人の宗教性に立脚した靖国神社を否定することは、取りも直さず日本を否定することなのである。

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