草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

言葉に責任を持たないのがビジネス保守だ

2025年02月24日 | 祖国日本を救う運動
 ビジネス保守ということを誇らしげに語ることは間違っている。保守的言論で金儲けをするという根性が嫌らしいからである。日本浪漫派ではないが、保守というのは「淋しい浪人の心」を持ち、世に埋もれながら、いざというときに物申す人たちなのである。目立たず、控え目で、それでいて声なき声を代弁するのである。
 そして、ある意味では「右翼」と呼ばれることすら甘受するのだ。保守の論客とされる葦津珍彦が戦後右翼の思想的バックボーンであったことを、私たちは忘れてはならないだろう。日本浪漫派の保田與重郎と大東塾の影山正治は血盟の同志のような関係であった。
 蜷川正大氏は「確かに現在、保守と呼ばれる人達の言論が活発です。一時期、私たちも左翼全盛時代の反動から、その人達の言論を歓迎したこともありましたが、しかし最近では警戒から、要注意に変わってきています。右翼の機関誌より過激な主張をする本が書店に堂々と並び、自分の言葉に責任を持つことのない学者や評論家と称する『保守派』の人達の意見が多数派となることが、果たして日本にとって好ましいことなんでしょうか」(『右翼・行動の論理』)と述べている。
  今から18年前の時点でも、無責任な保守的言論が氾濫していたのである。知行合一とは無縁な口舌の徒なのである。言葉が軽いビジネス保守であってはならず、言葉には責任が伴うのである。
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