草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

信念なきエセサヨクの小沢一郎礼賛を嗤う

2010年09月05日 | 思想家
 公式主義のサヨクである高野孟が、民主党代表選をジャーナリストぶって論評している。菅直人首相とも、小沢一郎前幹事長とも喧嘩したくない高野は、持ち前の詭弁を弄している。高野といえば、親父は総評の事務局長だった高野実で、元日本共産党の党員であったせいもあり、左派の旗振り役を務めた。ソ連や中共を平和勢力と位置づけ、スターリン主義者と新左翼から冷笑されたものだ。また、弟の津村喬は気功師とかいわれているが、それこそ1970年頃には、アジテーターとして、革命論を吹いて回っていた。毛沢東盲従派の一人として、スターリン主義のお先棒を担いだのだった。テレビ製作会社の経営者として、早稲田人脈を駆使してのし上がった高野も、父親や弟とイデオロギー的には大差がないようだ。だからこそ、高野は小沢を待望しているのではなかろうか。「理念を語れる豪腕政治家」としての小沢に注目するのは、独裁者に惹かれるからだろう。スターリンや毛沢東礼賛に走った血は、高野のなかにも流れているようだ。しかし、小沢ごときが総理になってしまえば、無法者による支配が貫徹されることになり、民主主義の危機であることを、どうして高野は理解できないのであろうか。それは政治文化の違いどころの話ではないのである。


 にほんブログ村 政治ブログ 政治評論へ
にほんブログ村            人気ブログランキングへ
               ↑
    会津っぽに応援のクリックをお願いします

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 雄国山麓から喜多方市街地と... | トップ | 外国勢力に付け入る隙を与え... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

思想家」カテゴリの最新記事