次世代の党が日本のこころを大切にする党に党名を変更する。「日本のこころ」といえば、やはり本居宣長である。毎年これから新年にかけては小林秀雄の『本居宣長』を読むようにしている。世の中が紅白とかで騒がしければ騒がしいほど、かえって孤独に徹したいからである。小林はその本の最終章で「宣長は、あるがまゝの人の『情(ココロ)』の働きを、極めれば足りるとした」と書いており、だからこそ、源氏物語を高く評価したというのだ▼宣長は『紫文要領、巻上』で「儒仏は物の哀しらぬようなるが其道にして、畢竟は、それも物の哀しるよりおこれる事也。物語は、さやうの教戒の書にはあらざるがゆへに、たゞその眼前(メノマエ)の物の哀をしり、又その仏の慈悲、聖人の仁義の心をも、物の哀としるゆえに、とにかく一偏(ヒトムキ)にかたゆることなく、とにかくに物の哀をしる事をかける也」を論じている。儒仏を成立せしめる根本には「『情(ココロ)』の働きを」抜きには語れないのである。宣長にとっては「御国にて上古、たゞ死ぬればよみの国へ行物とのみ思ひて、かなしむより外の心なく」と門人に語ったことに尽きる。それが小林の宣長論の結論なのである。人の世がはかないからこそ「物の哀をしる」のである▼日本のこころを大切にする党という党名は、政治的なことよりも、もっと深い意味がある。「心」とするのではなく「こころ」と表記することで、日本人に共通する「情(ココロ)」までも含まれるからだ。今の日本には賢しらな心が氾濫している。「日本のこころ」を見直す観点からも、次世代の党よりも日本のこころを大切にする党なのである。
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