中国を知るためには『三国志演義』を読む必要があります。その冒頭に「そもそも天下の大勢は、別れること久しければ必ず合し、合すること久しければ必ず分かれる」と書いてあります。このため統一時代が平和であり、分裂時代は戦乱に明け暮れるという見方に、異を唱えたのが、金文京の講談社の『中国の歴史04 三国志の世界 後漢三国時代』です。
これによると、当時の文明の中心地は黄河流域の北中国であって、長江以南のいわゆる江南地域や四川(しせん)盆地は、いまだ異民族の住む野蛮な地であったというのです。
三国志の世界は魏、蜀、呉による権力闘争のことが記されており、江南地域は呉であり、四川盆地は蜀の拠点です。金は「蜀という字は中に虫があって、ぐにゃりとした虫けらという意味、呉は口の字が中にあり、大声でわけのわからぬことを離すという意味で(ともい後漢の許慎『説文解字』の説)」どちらも野蛮な異民族のことである」と解説しています。
ですから、現在も政治の北京、経済の上海と呼ばれるのは、それなりの理由があるのです。魏が漢王朝の後継を主張したのは、まさしく北中国であったからで、蜀は漢王朝の後継者として、正統性をめぐっての争いでもありました。
金が注目しているのは、今後の中国の出方です。「国土の多様な文化と地方の自主性を尊重する国家になるのか、それとも王朝時代あるいは現在と同じく、強度の中央集権国家でありつづけるのか」ということです。その試金石が台湾に対するアプローです。
多くの人が大東亜戦争によって引き起こされた不幸な歴史に帰することに疑問を呈し、金は「しかし問題の根は、それほど浅くはない。1800年前の三国時代の歴史を、今日的な視点からもう一度見つめ直す必要があるのはそのためである」と述べており、それは大いに参考になると思います。
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