政治的な左右のテロは断じて許されないが、民主主義が非暴力かというとそれは違う。法律を立て法を執行させるのが国家である。法に反する者に対しては強制力を行使する。国家権力のみが合法的な暴力を行使できるのである。
その一方では、国家権力の暴走に対しては、国民は抵抗権を有しているともいわれ、それもまた暴力とは無縁ではないのである。
葦津珍彦は「集団暴力の理論」において「民主主義が、暴力をなくすだろうなどということは、何の根拠もない期待に過ぎない。民主主義が教えるところは、ただ民主的暴力(権力)を強大ならしめ、反民主的暴力(権力)の横行を許すなということにすぎない」との見方を示す。
そして、葦津は「民主主義の国に於ても、政党は原則的に異質の反対党に対して、議会主義のルールでのみで相対することは困難である。ワイマール憲法下の民主諸党は、異質のナチスとの対決に於ても『反対党の自由』を認めががために、圧殺されてしまった。チェッコ共和国の民主諸党は、共産党に対して議会主義のルールで相対して、自ら亡滅してしまった。民主主義は、反民主主義に対しては、暴力をもってしても戦う、反民主的勢力に対しては、容赦なく圧力を加えるという初期民主主義の信条を失ったときには自滅する」と断言したのである。
今の日本では、反民主主義勢力が、独裁全体主義国家と組んで、日本の民主主義を破壊しようとしている。まさしく危機的な状況下であり、「初期の民主主義者の信条」を忘れてしまっているのだ。
それと同時に、反民主主義勢力を排除する前に、暴力の以前に、葦津は「日本国民が『統合された一国民』と称するに値するような国民的一致点を見出すこと」(「同」)を訴えた。いうまでもなく、それは皇室を押し戴く日本の国柄を根本に置くことである。「国民的心情が一致」すれば、暴力の発動の必要性はなくなるからだ。しかし、それを認めない反民主主義的勢力が厳然と存在しているわけだから、民主主義勢力は警戒を怠ってはならないのである。
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