香港の民衆は何故に決起しなければならなかったのか。1956年に蜂起したハンガリーの民衆について、ヤスパースが語った言葉が参考になるのではないだろうか。武藤光朗が『例会社者社会思想—ヤスパース哲学への同時代的共感』において紹介している▼「自由を求めて起ちあがった一国民の献身は、果たして何のためであったのだろうか。それは生きるに値する生活のためか。自由のなかでの生活のためか。この国民とその伝統を救うためか。たしかにそうだったであろう。だがそれだけだったのではあるまい。この献身の中には、それ以上のもの、およそ世界内の目的とは言い切れないもの、世界を超える一つの意味、とでも言うほかないような何ものかが、ふくまれていた」(『原爆と人間の将来』)▼この言葉を解釈することは難しいが、全体の知を手にすることができない人間とっては、人間であることへの根拠を問うことの大切さを説いているように思えてならない。そのためには他者とのコミュニケーションが前提であり、それを妨げるような政治体制を容認することはできないのである。ハンガリーの場合は、その時点ではソ連の戦車に踏みつぶされてしまった。しかし、ヤスパースが「いつの日か、献身者たちの挫折した行動を再現するであろう」と予言した通り、その悲劇を乗り越えて東欧は全体主義から解き放たれたのである。香港もまた同じである。中国共産党がいかに暴虐の限りをつくそうとも、香港の人たちの叫びを打ち砕くことはできないのである。
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