今もっとも恐れなくてはならないのは、北朝鮮の核ミサイルによる攻撃である。寸時にして日本の主要都市は壊滅する。それだけの力を北朝鮮が持とうとしているのである▼ヤスパースは『西ドイツはどこへ行く』(1967年刊)のなかで「われわれは東側からの侵略と破壊の危険に曝されて生きている。この危険に対してわれわれの力では防衛することはできない。ただアメリカだけがわれわれを守る力をもっている」と発言した。いうまでもなく、現在の我が国もアメリカに頼らざるを得ない。その現実を無視して、お花畑に徹することは、まさしく狂気の沙汰である。北朝鮮の非核化が実現するかどうかは、すべてアメリカにかかっており、当然のごとく軍事的オプションが含まれるのである▼ヤスパースは『根源的に問う』(武藤光朗・赤羽竜夫訳)のなかでも「一切の行動は、原爆の危険が回避されうるか、この危険が高められるか、緩和されるかということに照らして考慮されねばなりません。この基準を最高の、すべてに先立つ最優先の尺度とすることが実に重大であると思い、それでわたしは、何びとも原爆とその危険に関する限り、他のいかなる利害もこの利害に優先されることは許されない、というのです」と主張したのだった。私たちは知的虚飾を排して現実と向かい合わなくてはならないのであり、北朝鮮の核の脅威から目を背けてはならないのである。
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戦後復興から経済高度成長・バブル期にかけて奔流のように、若者たちは都会に出て、東京圏に住み着き、その故郷は「空き家」ばかりの過疎地・限界集落となった。
「第一次産業に従事する人の数は、・・・2014年に発表された人口統計資料よると、全体の4%の238万人しかいません。また、そのほとんどが高齢者です。地方から若者が流出していくだけでなく、地方に残っている若者ですら第一次産業に従事しない傾向にあります。これから人数はさらに減少していくと考えられています。」
「地方にあった企業や商業施設などは営業できなくなり、さらに若者は都市部に流出せざるを得ない状況になりました。」(「地域百貨編集部」を再構成)
近年は首都圏などの一部都市圏を除いて全国的に過疎化がさらに進行している。
「東京圏は、過度の人口集中に基づく通勤時間が長い、住宅面積が狭いといった課題を抱えている。 通勤時間を含む仕事に関する時間全体を見ても、東京圏は長く、余暇が少ないことが見て取れる」(総務省「社会生活基本調査」2016)けれども、なお人口流入が続いている。というのは、東京圏には魅力的な何かがあるように思えるからである。
「東京圏転入者が現在(東京圏)の仕事を選ぶにあたって重視したことは、男女ともに『給与水準』や『自分の関心に近い仕 事ができること』が相当程度高い(6割超)。また、男性では『企業の将来性』、女性では『一都三県で仕事をすること』とする割合も高い。女性では、さらに『育児・介護の制度が充実していること』も一定程度重視。東京圏転入者が地元の就職先を選ばなかった理由は、男女ともに『一都三県で仕事をしたかったから』が最も高い。また 、男性では『希望する仕事がなかったから』が、女性では『一都三県で暮らしたかったから』も相当程度高い割合。女性では 『親元や地元を離れたかったから』も高い割合」(「東京圏に転入した若年者の『働き方』に関する意識調査」2015)を占めているからである。
東京圏(都会)に出れば、得るものもあるが、失うものもある。
先の敗戦において、日本人が喪ったものは、親兄弟だけでなく、“国”も亡くしたのであるが、今では故郷も無くしてしまいそうである(自称「知識人」リベラルとは、共産主義に色目を使い、自らすすんで“国”を捨て、根無し草《デラシネ》になった者たちのことである)。
シモーヌ・ヴェイユは、「根をもつこと、それは魂のもっとも切実な欲求であり、もっとも無視されてきた欲求である。職業・言語・郷土など複数の根をもつことを人間は必要とする」と言ったそうだが、人が根をもたなくなれば、いったい何が起きるだろうか?
国防の殆んどをアメリカに依存しながら、憲法改正の必要性を説いても、そんな御花畑の様な話に耳を傾ける程、日本人は暇人じゃない。
日本の耐震建築が進化したのも、何度も大地震を経験したからであり、洪水対策が進んでいるのも、大洪水の犠牲が在ったからで在る。
戦争に関して言えば、終戦後一回も戦争を経験していないのに、何故、憲法改正を声高に叫ぶのか?
日本人が異常なまでに、平和的なのは、先の大戦で未曾有の被害を経験したからだ!
それを、口先だけで、憲法改正とか北朝鮮の核から目を背けてはならないとか言えば何とか成るなんて、狂気の沙汰である。
先の大戦を経験して平和スイッチが入ったのに、日本に何の被害も無しに、口先だけで防衛スイッチが入ると思っているなんて御花畑過ぎる!
交通法規の厳罰化も多くの酷い交通事故が在ったからである。
日本に何の被害も出ない段階で、北朝鮮の核ミサイルによる攻撃を煽るのはオオカミ少年では無いだろうか?
日本の安全を脅かす北朝鮮の核から目を背けてはならないと言いながら、結局、アメリカに負んぶに抱っこでは、何それって言われてしまいます!
日本に実害が生じていないのに、国防に真剣になれって無理な相談です!
外の国は、何かと国境紛争や小・中・大戦争を経験していますので、国防意識は高いでが、日本は戦争どころか紛争も経験していないので外国に比べて国防意識が低いと言ってもナンセンスです!
しかし、国の方では敵地ミサイル基地攻撃についても検討しているみたいなので、やられっぱなしには成らないでしょう?
実際に、日本が攻撃されれば、日本人は本気になりますが、「 北朝鮮の非核化が実現するかどうかは、すべてアメリカにかかって 」いるなら「 北朝鮮の核の脅威から目を背けてはならない 」事になんの意味が在るのでしょうか?
矛盾していませんか?
何時までも、アメリカと云う補助輪に頼っていては、日本と云う自転車は何時まで経っても真面に走る事など到底出来無いのです!