飯山陽さんんの百田氏や有本氏への批判もすさまじいが、それ以上に驚愕するのは、日本保守党支持者によるネットリンチである。その批判が真実であるかどうかをよりも、飯山さんの存在自体を否定し、聞く耳を持たないのである。
彼らの過激な言動の背景にあるのは、全体主義を生みなねない精神的な荒廃である。自分たちが信じている理論らしきものは、すでに破綻しているのに、それを認めたがらず、批判する者を抹殺しようするのである。
百田氏や有本氏のいい加減さは、彼らにとっては逆に称賛に値するのであり、もっとも核心的なテーマである皇統を護ることも、どうでもよいのである。NHKのアンケートにまともに対応しなかったことは、多くの党員をガッカリさせたのではないだろうか。
百田氏や有本氏にカリスマの要素はまったく感じられない。にもかかわらず、暴走する信者がいるのである。エリック・ホッファーは「欲求不満をもつ者は、その時代の下劣さと堕落とが救い難いものであることを長々と述べ、それによって、自分たちが失敗し孤独であるという感じを和らげるものである」(『大衆運動』高根正昭訳)と書いている。
自らの孤独を直視する勇気がなく、他者を罵倒することに生き甲斐を感じるのである。いうまでもなくそうした言動は、保守派にとって、もっとも嫌悪すべきことなのである。